94・武装の裏側
思い立ったが吉日、善は急げと、その場で葵を呼び出すことになった。
まだ心の準備が! と、今更騒ぐつもりはないけれど、葵の押しの強さに何度も負けてきた経験上、出たとこ勝負は少し不安だ。つい先日も、対策不足だったと後悔したばかりだし。
とはいえ、シミュレーションに時間をかければ良いというものでもないだろう。気持ちに勢いがある時が、行動する時だと考えよう。私のするべきことはデートのお断りと、葵に誠心誠意向き合うこと。うん、とってもシンプル。
待っていると、廊下で軽やかな足音が近づいてきて、短いノックの後に「失礼しまーす」と扉が開いた。言わずもがな、葵だ。
「こはるに呼ばれてきたんですけど、入ってもいいですか?」
「どうぞ」
以前、部外者は立ち入り禁止と言われたのを気にしているのか、扉のところで様子を伺う葵を、陽子が手招きした。
ホッとしたように中に入ってきたはいいが、なぜ呼ばれたのかわからず、キョロキョロと室内を見回してから、とりあえずといった感じでこはるのそばへと近づいた。
「葵ちゃん、呼ばれた理由ってわかる?」
「えっと、……ごめん、わかんない」
嘘だね。一瞬チラリと私を見たのは見逃してない。それはこはるも同じだったらしく、ゆっくりと立ち上がり、葵の前へと移動して言った。
「ねえ、葵ちゃん。私、脅迫は良くないと思うんだ」
「あ、えーっと、……こはる?」
「そんな卑怯な幼馴染を持った覚えはないから、しっかり話し合ってね」
驚いている葵をそのままに、「じゃあ、私は部室に戻ります」とお弁当箱を手に部屋から出て行った。
葵だけじゃなく私も呆気に取られていると、「じゃあ、私も」と立ち上がった陽子も葵の肩をポンと叩き、「おいたは程々にしないと、後で泣くことになるよ」と言い残して出て行った。
……あはは、あの2人、実は結構怒ってたんだなぁ。私のヘタレぶりにではなく、葵のやり方に。
葵の顔色をうかがうと、珍しく笑顔が消えて青ざめている。援護射撃としては十分すぎるくらいだ。
「とりあえず、座って」
「……はい」
さっきまでこはるが使っていた席をすすめると、素直にそこに座った。いつもより大人しい彼女にほっとする。これなら、少しは落ち着いて話せそうだ。
「まず、さっきの準備室のことなんだけど、やっぱり貴女とデートはしないわ」
「っ、いやです!」
「いやでも、しない。それで貴女が紗良を誘うなら、好きにすれば良いわ。もし貴女が紗良に何かするようなら、私はあの子を全力で守るだけよ」
色々と難しく考えすぎたけど、最初からこうすれば良かった。私に出来ることなんて数える程しかなくて、あれこれと頭を使って策を弄したところで、上手くいったことなんてほとんどないのに。
きっぱりと断る私に、葵が悲しげに口を引き結んだ。
「先輩は、紗良ちゃんが好きなんですか?」
「ええ、好きよ」
間髪入れず肯定すると、怯んだように葵が黙った。
葵を呼び出す前から、もう隠すのはやめると決めていたのだ。少なくとも今回は、誠心誠意きちんと葵と向き合う。それで彼女が何も変わらないのであれば、やはり突き放すだけになるが。
「私は紗良が好きだから、貴女とは付き合わないし、デートもしない。ごめんね」
「付き合ってるわけじゃないんですよね?」
「残念ながら、片想いよ」
「だったら……っ! 片想いなんだったら、少しくらい私も見て下さいよ!」
決して大きな声じゃなかったのに、絞り出すようなその叫びは、圧倒されるくらい痛々しい。
この時、葵は私に本気で恋をしているのだと、ようやく実感した。
「ごめんなさい。それでも、私は貴女を恋愛対象としては見れない」
何度突き放されても、必死で手を伸ばしてくる葵は強い。
こはるの言うように、彼女の笑顔は武装だったのだろう。こはると陽子からの牽制が効いたのか、いつもの無邪気な笑顔は一切見られず、武装が剥がれた必死の表情で、ただただ真正面から好きだと伝えてくる。
私にはないそのがむしゃらさが恐ろしく、同時に少し羨ましくもあった。
「こうして話して、貴女が私のことを本気で好いてくれているのは、よくわかったわ。それでもね、私は貴女を後輩以上には見れないの。これで納得してくれないなら、後輩としても仲良く出来ないわ」
だから、諦めてほしいと。
もう何度目かのお断りの言葉に、葵の目から涙が一筋流れ落ちた。ポケットから取り出したハンドタオルを差し出すと、更にポロポロと涙をこぼす後輩が、お礼を言って受け取った。
「……諦めて何が残るんだって、ずっと思っていました」
「え?」
涙を拭いながら、葵がポツポツと話し始めた。
「振られたからって、聞き分けのいい後輩の顔で引き下がって、諦めて、私は何を手に入れられるんですか? 部活の平和とか、いい思い出とか、先輩を慕う可愛い後輩ポジションとか、そういうものですか?」
「島本さ……」
「そんなの、私は欲しくなかった! 先輩にまったく見てもらえないままこの恋が終わるくらいなら、嫌われたとしても何回でも足掻いてやるんだって、少しくらい強引にでも先輩の心に食い込んでやるんだって、……ずっと、そう思ってたんです」
「…………そう」
それは確かに正しい。もし告白してきた葵がすぐに引き下がっていたら、私はこんなにもこの子のことを考えなかっただろうし、酷い話だが「やれやれフラグがひとつ折れたぞ」くらいの感覚だっただろう。
好きの反対は無関心、とはよく言ったものだ。私が葵の気持ちから目を逸らしていたから、余計に彼女を追い詰めてしまっていたのかもしれない。
私は確かに、葵を全く見ていなかったんだ。私の中で、『葵』は無邪気で明るく元気な人気者で、いかにも主人公らしい少女だったのだから。こんな、巨大感情抱きかかえて突撃してくるような子だなんて、露ほどにも思っていなかった。
「好きです」
「ええ」
「本当に好きなんです」
「ええ、よくわかったわ」
壊れたラジオのように何度も好きだと伝えてくる葵へ、私は相槌を返すしか出来ない。
本当は、ありがとうくらい言うべきなんだろう。しかし、それを口にする気にはなれなかった。彼女の私への想いはあまりにも重くて、そんな薄っぺらな言葉では到底受け止められるものじゃなかった。
「…………どうしても、ダメですか?」
「ええ、どうしても」
「そうですか……」
貸したタオルを目に当て、肩を震わせながら歯を食いしばる葵に、未来の自分の姿が重なった。
この姿は、紗良に告白した後の私の姿かもしれない。そして、紗良は今の私のような気持ちになるのかもしれないと想像すると恐ろしく、さっきあんなに強く固めた決心が崩れそうになってしまう。
そんな時間がどれだけ続いただろうか。ようやく落ち着いた葵が、「あーあ」とため息混じりにつぶやいた。
「本当は、ちょっとわかってました。ダメだろうなって」
泣き腫らした目の彼女が、力なく言った。
「どんなに頑張っても、こういうのって無理な時は無理なんですね」
「……そうね」
「先輩的には、いきなり追いかけ回してきた怖い後輩なんでしょうけど、最初はちゃんと段階を踏んで仲良くなるつもりだったんですよ。まずは一番仲の良い後輩になって、徐々に距離を縮める予定だったのに……先輩、最初から私のこと避けてましたよね?」
なんでですか? と聞かれて、ぎくりとする。
そんなの、貴女が百合ゲーの主人公だからだよ、とは言えるわけもない。いくら本音で向き合うつもりでも、これは無理。別問題。
「苦手なのよ、元気で明るい人気者って」
「そんなの、陽子先輩もそうじゃないですか」
「陽子は向こうから付きまとってきて、なし崩し的に仲良くなったのよ」
これは嘘じゃない。今となっては、その付きまといに感謝しているけれど。
私の言い訳に納得したのか、「じゃあ、粘れば仲良くなれる可能性はあったんですね」などと恐ろしいことを言うけれど、確かに可能性だけならあった。
私はもうゲームの『詩織』とはほぼ別人だけど、選択した道によっては『詩織』ルートも存在したはずなのだから。
「この際だからもう全部言わせてもらいますけど、私、ほぼ一目惚れだったんです」
「え、そうだったの?」
葵がなんでこんなにも私に執着するのか、ずっと不思議だったが、あっさりとわかって拍子抜けだ。そうか、顔か。そんなにこの顔が好きだったか。
「覚えてないかもしれませんけど、部活勧誘の日、学校の近くの公園で女の子と話してましたよね?」
「ああ、タイヤキの子」
確か、名前はみおちゃんだったはず。
「実はあの子、私の姪っ子で。美桜っていいます」
「えっ、そうだったの?」
「はい、姉の子なんです。勝手に家から出てたのを帰るように言って下さったみたいで、ありがとうございました」
「あ、どういたしまして……」
意外な接点に驚いたが、ゲームでの葵が遅刻してまでみおちゃんを家に送り届けていたのは、親切なだけじゃなくて姪だったからか。
「それで、美桜と話してる時の先輩がすごく優しい顔をしてて、素敵だなぁ、お近づきになりたいなぁって」
そんな顔してたかな? まあ、子供相手だったし……って、あー、なるほど、わかったぞ。他にも部員がいる中で、即座に私を選んで近づいてきてたのは、偶然じゃなくてこれが理由か!
そして、それをこはるに伝えてたから、最初から敵意バリバリだったわけか。なんでこんなに警戒されてるんだろうって、不思議だったんだ、あの時。殺気飛んでたもん。
「でも、話しかけてみたら作り笑顔しか見せてくれないし、めちゃくちゃ壁を感じるし、思ってた人とは全然違ったんですけど」
「ああー、なんだかごめんね」
「いえ、私が勝手に想像してただけなんで。だから、勘違いだったのかなって思ってたら、電車で紗良ちゃんといる時の先輩を見て……それで、やっぱり好きだなって」
「え、紗良といる時?」
はい、と葵が頷く。
「もう紗良ちゃんが可愛くて大事で仕方ないって感じの、デロデロに蕩けた笑顔で……」
「待って、そんな顔してた!?」
「はい、間違いなくしてました」
自覚なかったんですね、と苦笑され、穴があったら入りたい気持ちになる。
そんなの、自分がどんな顔してるかなんていちいち知るはずないじゃないか。少なくとも、今この瞬間は、真っ赤になってるだろうなって自覚してるけど!
「先輩を意識したのは公園で見た時でしたけど、多分、好きになったのは電車で紗良ちゃんと一緒の先輩を見てからです。私も、先輩にあんな目で見てほしいって、あの笑顔が私のものだったらって……紗良ちゃんが羨ましかったです」
こんな時、何と言えばいいのだろう。
紗良への気持ちを自覚したのはつい最近だというのに、葵の言葉を信じるなら、私は春の時点でデロデロに蕩けた笑顔とやらを紗良に向けていたらしい。いや、最初は推しを愛でる気持ちだったはずだったけど、どっちにしろ人にお見せしていい顔ではない。
やばい。無意識だった分、とてつもなく恥ずかしい。そんな緩みきった顔で、同じ高校の生徒が乗っている電車を利用していただなんて!
「あはは、今わかっちゃった。私、紗良ちゃんを好きな先輩が好きだったみたいです」
「……そう」
「はい。普段の先輩も綺麗だし、素敵だとは思うんですけど、紗良ちゃんが隣にいる時の先輩は、なんて言うか……欠けてる部分が埋まった完成形みたいなんですよ」
「──ああ、そうかもしれないわね」
完成形という言葉に、はっとした。
他でもない、ゲームでの葵が似たようなことを言っていたのを思い出したのだ。
「まだ子供の私たちは未熟で未完成だから、心から愛しいと思える誰かと出会って、やっと完成形になれるのかもね」
ゲームの『こはる』ルートの最後、ベッドの中で2人が寄り添い、こはるに言った言葉。パソコンの液晶モニターの向こう、まるで繭に包まれてひとつになったような2人の姿は、まさに完成形といった美しさだった。
私はまだ紗良に告白も出来てないし、人として足りていない部分だらけだけど、それを埋めてくれるのが紗良だったら嬉しいし、紗良の足りないところを埋めるのが、私だったらいいなと思う。
「振った直後にノロケるのって、どうかと思いますけど」
「付き合ってもないのに、ノロケも何もないわよ。ただの願望」
「付き合ってもないのにさっきの言葉が出てくるって、それこそどうなんですか?」
「別にいいじゃない。うけうりよ、うけうり」
貴女からのね、と心の中で付け足しておく。
このセリフを言っていた葵はこはると付き合っていたから、確かに言う資格はあったかもしれないけど、別にいいじゃないか。片想いでも、愛おしいとは思ってるんだから。
開き直る私に、物言いたげな葵が複雑な視線を送る。それに気づかないフリをしていると、はぁ~と深呼吸みたいに大きなため息が聞こえた。
「もういいです」
口をへの字にした葵が、脱力して椅子に背中を預ける。いつから使われているのかわからない木製のそれは、ギシリと音を立てた。
「先輩、紗良ちゃんしか見てないし、私の一人相撲だったってよくわかりました」
「そこまで酷いこと言ってないわよ、私」
「言ったも同然じゃないですか。安心して下さい、これでちゃんと……諦めます」
気丈に振る舞う彼女が、なんてことないように話す声の、最後だけが少し震えた。
ずっと怯えていたゲームの強制力なんて、そんなものはなかった。葵は『杉村詩織』ではなくて、ちゃんと今の私を見て好きになっていたのに、私だけがずっと『島本葵』というキャラクターを見ていたんだ。
気持ちに応えられないことよりも、そのことに対して申し訳なく思う。実際の彼女は、天真爛漫な主人公でもポジティブモンスターでもなく、恋に一生懸命なただの女の子だった。
「ごめんね。好きになってくれて、ありがとう」
言うつもりのなかった言葉が、自然と口をついて出た。
密かにひとりで驚いていると、目を潤ませた葵が「こちらこそ、ちゃんと話してくれてありがとうございました」と控えめに笑う。
その笑顔は、過剰な元気で武装されたいつもの彼女とは、どこか違って見えた。
【生徒会室を出た後の2人】
陽子「ねーねー、脅迫は良くないって言ってたけど、こはるっちのは脅迫じゃないの?」
こはる「私のはただの意見です。それを言うなら、陽子先輩こそ」
陽子「えー、私のは先輩から後輩へのありがたい忠告ってやつだから」
こはる「ものは言いようですね。具体的にどう泣くことになるんですか?」
陽子「うーん、泣きながら退部届を書く程度かなー」
こはる「やっぱり脅迫じゃないですか」
いつも読んで下さってありがとうございます。
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