82・【番外編】紗良視点⑩
惚れた欲目を差し引いても、詩織さんは魅力的だ。整った顔立ち、学年トップの学力、あふれ出る色気。優しくて親切で、高校生とは思えないくらい落ち着いている。
時々見せる照れた表情なんて、可愛さと色気の相乗効果は破壊力抜群で、あんなの老若男女関係なく魅了してしまうんじゃなかろうか。お願いだから、私以外に見せないで欲しい。
私の膝枕で眠る詩織さんを眺めながらそんなことばかり考えていると、時間なんてあっという間に過ぎていく。好きな人の寝顔はどれだけ見ていても飽きないと、またひとつ新しい発見をした。
「……好きです」
よく寝ているのを確認して、小さな声で告白してみる。起きていたとしても聞こえたかどうかの大きさだ。当然、反応はない。
「好き」
「私を好きになってよ」
「起きないならキスしちゃうよ」
反応がないのをいいことに言いたい放題口にしても、起きる気配はまったくなし。スヤスヤと規則正しい寝息を立てて、気持ちよさそうに眠ったままだ。
「……キスかぁ」
もし詩織さんと両想いになって付き合えたなら、キスもするのだろうか。
したい、という気持ちはある。すごくある。でも、それを想像すると先日のお泊まりでのキス未遂事件を思い出し、ドキドキしすぎて肝心な部分まで思い浮かべることが出来ない。
お泊まりの日、詩織さんの唇に触れてみたいとは思ったけど、キスしたいとまでは思っていなかったのに、気持ちを自覚した途端にキスしたくなるなんて、我ながら欲望に正直すぎる。ミハルちゃんに言われた『ムッツリ』は、案外当たっているのかもしれない。好きって自覚して以来……違う、お泊まり以来、気がつけばじっと見つめてしまうくらい、詩織さんの唇が気になって仕方ないのだから。
眠っている詩織さんの唇は薄く開いていて、ぽってり柔らかそう。ちょっとだけ触ってもいいかな、と人差し指で下唇をそっとつついたら、思った通り柔らかくて、ふにっとしていた。そのくせ弾力があって、温かくて、クセになりそうな触り心地だ。
ふにふにと指先で柔らかさを堪能していたら、さすがに気になったらしく、少し眉を寄せた詩織さんが「んー」と小さく唸る。と思ったら、形のいい唇が私の指先をやんわりと挟んだ。そして、はむはむと動いた。
「~~~~~~~~~っっっっ!!!!!」
光速で右手を頭上にやり、心の中で絶叫する。
あまりに予想外すぎて頭も気持ちもついていけてないけど、何!? 今、何が起こったの!? 詩織さんがっ、詩織さんの唇がはむって……はむはむって……!!
寝ている人の唇を勝手につついておいて、今更何をジタバタしているのかと自分でも思うけど、心の準備が出来ていなかったというか、自分から触るのと不意打ちではむはむされるのは別物というか。
ピンとまっすぐ伸ばされた腕の先、右手の人差し指にはまだ柔らかな感覚が残っている。まるでそこだけを心臓と直結させたみたいに脈打っていて、ヒリヒリするくらいに熱い。
ゆっくりと手を下ろしてその指先を眺め、私は途方に暮れた。何も考えずに唇に触れてしまったけど、この指をどうしたらいいだろう。このまま何かに触れてさっきの感覚が消えてしまうのがもったいなくて、ソファの上に下ろすことすら出来ない。
「…………」
詩織さんが起きる気配はまだない。
一瞬だけ。一瞬だけだから、と誰にともなく言い訳をして、もう一度指先を見つめた。詩織さんが起きてしまうんじゃないかってくらい激しく鳴る心臓を押さえながら、震える指先にそろそろと唇を寄せ、あと数ミリというところでチラリと詩織さんを見る。
静かな寝息を立てている彼女に、どうか起きないでと心の中で呟きながら、残りの数ミリを超えた。誰かへの約束通り、ほんの一瞬だけ。
「…………っ」
あああああ、何やってるんだろう、私っ! 馬鹿じゃないの!? っていうか、馬鹿だ!!
余韻に浸る間もなく、唇から離した指先をぎゅっと握り込んで、自分の愚行に身悶える。恥ずかしい。ムッツリって言われても、もう否定なんてできない。まさか、こんな簡単に欲望に負けてしまうなんて。やらかした唇から熱が広がっていくように、顔も体もひどく熱い。
それにしても、頭上でこんなにジタバタしているのに熟睡していられるなんて、詩織さんは私のことを信用しすぎだ。寝ている隙にあんなことして……詩織さんが知ったら、嫌われるかもしれない。
「ごめんなさい」
欲望に負けて残ったものは、申し訳なさと自己嫌悪、そして未だ燻っている胸の熱。
欲しいと願う気持ちは消えないけれど、寝込みを襲うような真似はもう二度としない。次に触れるのは正々堂々と、詩織さんが起きている時だ。
そんな日が早く来るよう、頑張って振り向いてもらおう。
と、思っていたのに。
それが、どうしてこうなったんだろう。詩織さんの寝顔を眺めているうちにうたた寝してしまい、膝の上の動く気配に目を覚ましたら、なんと好きな人がじっと見上げていた。ここまでは、まあ良い。あんまり良くないけど、まあ許容範囲内だ。
寝顔を見られたショックを受けながらも、なんとか笑顔でおはようと挨拶した私に、詩織さんは、
「おはよう、紗良。よく寝てたわね。可愛い寝顔だったから、奪っちゃおうかと思ったわ」
って……!!!
私が眠っている詩織さんにしたみたいに、指で唇をふにっと突きながら、艶やかな笑顔で。しかも、寝起きのせいかいつもの三割増しの色気を放ちながら言った。寝起きなのに、なんて心臓に悪い。
さっきの私みたいなことをするものだから、もしかして起きていたんじゃないかとヒヤッとしたけど、様子を見ているとそういうわけでもないらしい。最初こそ余裕たっぷりのお姉さん然としていたのに、私が固まっていると段々と恥ずかしくなってきたのか、顔が赤くなって目も泳ぎ始めてきた。自分から仕掛けてきたくせに、こういうとこが可愛いんだよなぁ、この人。
軽口じゃなくて、本当に奪ってくれるなら、私はいつでも大歓迎だけど。
「じゃあ、奪われたら責任取ってもらわなくちゃ」
次に触れるのはいつになるだろうと、体感的にはたったさっき考えていたばかりなのに、チャンスは思いのほか早く訪れた。人差し指で触れるのはさすがに躊躇われて、ツヤツヤのさくらんぼみたいな唇を親指でなぞると、何が彼女の琴線に触れたのか、みるみる間に顔を真っ赤に染め、なぜか「負けました」と顔を覆ってしまった。一体何の勝負をしていたのだろう。
「詩織さんって、反撃されると弱いタイプだよねー」
揶揄うようにそう言うと、赤い顔のまま恨めしそうにこっちを見た詩織さんが、「紗良は強くなったわよね。最初はすぐ赤くなってたのに」と言う。
確かに、出会った頃はそうだった。
「おかげさまで。でも詩織さん、誰にでもそんな冗談言ってたら誤解されちゃうんだからね」
「大丈夫よ、紗良にしか言ってないもの」
ほら、そういうとこ。そんなこと言われたら、どうしたって期待しちゃうんだから。
私のこと、どう思ってる? 好き? それとも、何とも思ってないから、そんなこと言えるの?
「はいはい。もう、そういうところがねー。なんか陽子さんっぽい」
「……それ、今日一番ダメージ大きいわ」
本気でショックを受けてるみたいだけど、それを聞いたら陽子さんもダメージ大きそうだよ。詩織さんのこと、あんなに心配してくれてるのに。
でも、拗ねたみたいな顔をした詩織さんが可愛くて、ごめんねの気持ちも込めて頭を撫でる。すると、ちょっと機嫌が直ったみたいに嬉しそうな顔をするものだから、やっぱり素直で可愛い。
「陽子さんに聞いたよ、後輩から追いかけ回されてるって。詩織さんが疲れてるから、癒してあげてねって言ってた」
伝えるかどうかは少し迷ったけど、陽子さんの名前が出たし、いいタイミングだと思った。どうせ私が言わなくても、陽子さんから聞くかもしれないし。
付き合うつもりなのかを聞いてみると、即答で付き合わないし恋愛的にも好きじゃないと返ってきたのでほっとしたけれど、周りが応援ムードだと聞いて少し不安になった。詩織さん、流されてその気になったりしないといいけど。
とはいえ、島本さん本人への気持ちを聞いてもあまり良くないみたいだし、今すぐどうこうという心配はなさそうだ。今はそれだけわかれば十分かな。
「詩織さん、男女問わずモテモテだから、すぐに恋人できちゃいそう」
「それ、紗良にも言えることでしょ? モテたからって付き合うわけじゃないわよ。……少なくとも私は好きな人としか付き合いたくないし」
髪を撫でる手が、一瞬止まりそうになった。
好きな人って私のこと? なんて、冗談みたいなノリでも聞いてしまえば良かったけど、ほんの少し躊躇っているうちにタイミングを逃してしまった。
でも、「イケメンとしか付き合いたくない」とかではなく、好きな人としかって言ったってことは、可能性はゼロじゃないはずだ。島本さんの件だって、彼女と付き合わない理由に「女の子だから」とは言わなかった。
それだけで、ひどく安心している私がいる。
「そうだね。詩織さんはもうしばらく恋人作らずに、こうして私の膝枕で頭なでなでされてくれてたらいいよ」
そうしているうちは、他の誰かと付き合ったりはしないんでしょう?
本当はすぐにでも恋人になりたいけど、今はまだ我慢できる。焦らず、ゆっくりと距離を縮めていこう。友達としてじゃなくて、恋人候補として見てもらえるように。
「ふふっ、それも悪くないわね。じゃあ、紗良が疲れた時は私が膝枕するから」
「えー、恥ずかしいなぁ」
「……それ、今こうされてる私の立場は?」
いじけたような、照れたような表情の詩織さんが、上目遣いでねめつけてくるのが可愛くて、愛おしくて。溢れ出てきそうな気持ちを誤魔化すために、クシャクシャと乱暴に髪をかき混ぜると、悲鳴のような笑い声を上げた。
ああ、もう。大人っぽい彼女が時々見せる年相応の仕草が、やっぱり私はたまらなく好きみたいだ。膝枕だけじゃなくて、詩織さんが笑ってくれることなら何でもしてあげたくなってしまう。
「私、されるよりする方が好きみたい」
「……私にも、時々はさせてね?」
苦笑いの詩織さんに無言で微笑み返すと、下から伸びてきた手が頬をムニムニとつねってくる。
嘘、冗談。詩織さんが私のためにしてくれることなら、全部嬉しい。以前なら意識せず言葉に出来たそれは、やっぱり言えなかった。
読んで下さってありがとうございます。