8・誘われたい?
部活の見学期間が終わり、今日からはいよいよ一年生にも本格的に部活に参加してもらう。ゲーム内では葵を含めて三人だった新入部員は、予定外に入ってきたこはるも合わせると最終的に五人になった。こはる以外にも、予定より一人増えているのが謎だ。
とはいえ、三年生が二人と二年生が三人だったところに、五人の一年生が入ってきたことで部員は一気に倍増。それはもう、先輩も顧問も喜びに沸きに沸いた。
「ねーねー、杉村先輩。美術部の活動って、具体的にどんなことしてるんですか? 絵を描いたり何かを作ったりっていうのはわかるんですけど……」
そう言って私の袖をつんつんと引っ張ったのは、新入部員一号の葵だ。なぜ私に聞く? と言いたいところだが、質問してくる気持ちがわからないでもない。いきなり何かを作れと言われても戸惑うだろう。
絵を描くと言っても、水彩画がやりたいのか油絵がやりたいのか、はたまた他の何かなのか。そもそも、何を描きたいのか。どうすれば上手く描けるのか。描き始める前に考えることはいっぱいあるし、絵ではなく陶芸や彫刻を選んでもいい。
つまり、選択肢が多すぎて困ってしまうのだ。
「そのあたりは後で顧問が教えてくれると思うけど、島本さん達は何かやりたいこととかある?」
「うーん、まずはそれですよねぇ。先輩は絵……ですよね? トリックアート描いてましたし」
「そうね。でも私も最初から絵を描くって決めてたわけじゃなくて、陶芸もいいなーとか工作で何か作るのも面白そうだなーとか目移りしてたわよ」
大きな声では言えないが、美術部に入ったのは活動が緩いっていうのが一番の理由だった。活動日が週二回で、文化祭に一点提出すれば良いなんていう部活、ここ以外にはない。適当に何か作って、あとは自由な高校生活を過ごそう、なんて入部当初は思っていたものだ。
まさか夏休み返上で大物のトリックアートを完成させることになるなんて、誰が予想しただろう。
そんな過程は、「何しようかなー」なんて希望に満ちた目をしている一年生には聞かせられない。
「顧問の先生はね、自分が何をどんな形で表現したいかを考えてごらんって言ってたから、先輩がやってるのを見たり質問してみたら? あ、絵に興味があるなら、部長がすっごく上手だから相談するのがおすすめ」
さりげなく相談相手を部長に丸投げしておく。いや、本当のことしか言ってないけどね。部長、去年何かの賞を取ってたし。
それにね、そろそろ離れたいのよ。さっきから見ないようにはしてるんだけど、視界の端でチラチラとあの子がこっち見てるのが気になって仕方ない。ああ、そんな睨まないで、殺気飛ばさないで。
先輩として、普通に指導してるだけなんだけど!?
「それじゃ、頑張ってね」
まだ何か言いたげな葵にそう言い残して、そそくさとその場を去る。一人でいるとまた話しかけられそうだったから、雑談している同級生二人に混ざることにした。
「あ、詩織。ちょうど良かった。今日、久しぶりにクロッキーやらないかって陽子と話してたんだけど、どうかな?」
「いいわね。久々の部活だし、腕ならしになるんじゃない?」
「じゃあ、モデルは三人で交代制で。詩織にはセクシーポーズを……」
「しないわよ」
まったく、陽子は隙あらば私にそういう要求をしてくる。彼女曰く、人は選んでちょっかいをかけているらしいが、セクハラ対象に選ばれても嬉しくないと文句を言えば、セクハラじゃなくて愛だ! と語られたので、改善はもう諦めた。
そんな話をしていると、「あの、クロッキーって何ですか?」と、一年生の一人が訊ねてきた。
「クロッキーっていうのは、動きのあるポーズを短時間で簡略化して描くこと……かな? 私たちは10分で区切ってるよ」
「スケッチのことですか?」
「似てるけどねー。スケッチは、風景とか動かないものをおおまかに描いたものだよ。質感とか光の加減とかまでしっかり描いたのがデッサン。ものすごく大雑把な説明だけどね」
陽子が指を折りながら、一つずつ説明していく。普段はセクハラ大王だが、こういう姿を見ていると真面目な頼れる先輩っぽく見える。
「良かったら、一年生も興味がある子は一緒にやってみる?」
「あ、やってみたいです!他の子にも声かけてみます!」
結局、一年生全員が参加することになって、この日は一年二年合同のクロッキー大会が行われたのだが、私がモデルをする時には陽子が「詩織、もっとセクシーに! 脚開いて、膝ついて、胸を持ち上げるように…!」とやけに具体的な指定の入った野次を飛ばしてくるものだから、「うるさいわよ」と脛を蹴飛ばしたら大人しくなった。
おそらく後輩たちの陽子への印象がガラリと変わった瞬間だったが、私まで暴力的な性格だと誤解されていたら納得いかない。
ただ、その後で耳にした陽子と葵の雑談は、少し気になった。
「陽子先輩、セクシーなポーズって二人きりの時にしてもらった方が嬉しくないですか?」
「おっ、島本さんいいこと言うねぇ。でも、みんなの前で恥ずかしいポーズをとらされて恥じらう姿も捨てがたいんだよ」
「あはは、マニアックですねー」
「まあ、みんなの前でも個人的にも、見せてくれたことないけどね」
「残念ですね……いろんな意味で」
本当に残念な頭だ。もっとも、しつこく強請ってくることはないので安心はしてるし、もはやお約束のやりとりになっているのだが。
ただ、葵が陽子の影響を受けて変態化しないかは少し心配だ。どうしてもセクシーポーズが見たいなら、こはると二人きりの時に頼んでほしい。彼女ならきっと葵のためにひと肌脱いでくれるだろう。なんなら物理的にも脱いでくれるかもしれない。
(……そういえば、今日、葵とこはるはあまり一緒にいなかった?)
相変わらず、私が葵と話すと射抜くような視線が飛んでくるが(他の子は大丈夫なのに)、葵の隣にはいなかった。いつもの彼女なら、クロッキーの時だって葵の隣を陣取っていただろうに、今日は少し離れた場所に座っていた。
喧嘩でもしたのだろうかと思ったが、首を突っ込むつもりはない。まあ、あの二人なら放っておいても大丈夫だろう。
※ ※ ※ ※
「――っていうことがあってね」
翌朝、部活での出来事を紗良に話すと、珍しく声をあげて笑われた。
「詩織さん、スタイルいいもんね」
「紗良の方がいいと思うけど」
「私はほら……胸が足りないから」
今後の成長に期待します、と控えめな胸元をポンポンと叩いてみせられたが、胸なんて最悪詰め物や豊胸手術でどうとでもなる。彼女の持つすらりと長い手足や高い位置でしっかりとくびれたウエストは、胸なんかより得難いものだ。
「でも、詩織さんのセクシーなポーズはちょっと見てみたいな。ねえ、今度うちに来た時にやって見せてよ」
なんて。いたずらっぽく笑う彼女に仕返しをしてみたくなった。
「いいけど……二人きりの時にそんな格好するのって、なんだか誘ってるみたいね」
「えぇっ、誘……っ!?」
焦ったように、目を白黒させた紗良が身を引く。女子校では挨拶レベルの冗談でも、これだけウブな反応を見せてくれる彼女はとても可愛らしい。
調子に乗って、頬を染めて狼狽える彼女の顔との距離を、拳一つ分くらいまで詰め、
「それとも、誘われたい?」
と頬を撫でると、涙目になりながら声にならない悲鳴をあげた。プルプルと体を震わせ、耳どころか首まで真っ赤だ。……なに、この可愛い生き物。尊い。
少しやりすぎたかと、羞恥で項垂れる頭を撫でて謝ると、熱くなった頬を手で隠しながら「意地悪……」と小さく一言。うん、やっぱり可愛い。これはちょっとクセになるかも。
本当に、この子のクール設定はどこへ行ったのだろう。出会ってからこれまで、紗良がクールだったところを一度も見たことがないのだが。それについての不満は全くないし、むしろこっちの紗良の方が好きなんだけど、やはり不思議だ。
ゲームについて思い出していると、ふとさっきの紗良とのやりとりに既視感を覚えた。あんなやりとり、ほかの誰かとしたことないし、誰かがしていたのを見た覚えも……
(あ、ああ〜〜〜、……ゲームだ!)
詩織『それとも、誘われたい?』
葵 『もう! からかわないで下さいよぅ!』
ゲームではおちゃめな先輩キャラだった『詩織』が、部活中に葵をからかうシーン。後日、二人が美術室であれやこれやするシーンに繋がる伏線でもあったはずだ。
それを忘れて紗良に同じことをするなんて、油断にもほどがある。まあ、サブヒロイン同士ではフラグの立ちようもないし、やらかした相手が葵でなかったのだから、大して問題はないはないけれど。これからは少し気を引き締めた方が良さそうだ。
「誘惑はしないけど、紗良のおうちは楽しみにしてるわね」
「……うん、お菓子用意しとくね」
これ以上はからかってこないと判断したのか、紗良が安心したような笑顔を見せる。まだ週の半ばだというのに、週末が待ち遠しくて仕方なかった。
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