76・【番外編】紗良視点④
7月7日は紗良の誕生日でした。
少し遅れたけど、お誕生日おめでとう、紗良!
翌朝、先に目が覚めたのは私だった。
夏布団を抱きしめるようにして眠る詩織さんの姿は、なんだか子供みたいで可愛かったのだけど、こっそりと覗いた寝顔を見てすぐに後悔した。
前々から色っぽいとは思っていたけど、ここまで色気のある人だったっけ? 間近で眺めても起きる気配がないのを良いことに、何が違うのかとじっくり観察してみたが、あまりの色気にため息が出そうだ。
寝顔というのは、もっと幼かったり無防備だったりするものじゃないだろうか。まあ、無防備ではあるのだけど、その無防備さがまた色気に拍車をかけているというか。これだけの色気を放っているのに、まったく下品な感じがしないのは一種の才能だと思う。
「……目に毒だなぁ」
彼女の色っぽさの象徴である大きな胸が抱きかかえた布団で隠されているにも関わらず、匂い立つような色香は健在だ。
寝汗で額や首筋に張り付いた髪、暑さのせいか少し不機嫌そうに寄せられた眉毛。血管が透けそうな白さの瞼。そして、──ぽってりした血色の良い唇。
ふと、じっとそこを凝視してしまっている自分に気づいて、誰も見ていないのに慌てて目線を逸らした。
昨晩、あの柔らかそうな唇が眼前にあったのだ。何かが違えば口づけていたのかもしれないと考えると、とてもじゃないけど平静ではいられない。
あの唇は、どんな感じなんだろう。口づけたいとまでは言わないけど、少し指でつつくだけなら許してくれるかな。よくリップのCMなんかで言う『キスしたくなる唇』の見本みたいなあの唇に触れたい……なんて。いやいや、何を考えてるんだ私は! これじゃ痴女だ!
「はぁ、顔洗ってこよう……」
友田先輩からの告白と詩織さんの色気のせいで、思考があらぬ方向に飛んでしまっている。このまま眺めていたら、どんどん加速してしまいそうだ。
一度頭をリセットさせるため、私はそっと部屋を抜け出し、一階の洗面所へと向かった。
「あら、おはよう。早起きね」
「おはようございます」
階段を降りると、詩織さんのお母さんとお父さんはもう起きてきていた。
「詩織はまだ寝てる?」
「はい、まだぐっすりでした」
「もう、せっかく紗良ちゃんが来てるっていうのに。ごめんなさいね」
顔を洗ってから、そのまま一階で詩織さんの両親と朝食を食べ、お父さんが仕事に出かけた後はお母さんと雑談しながら片付けをした。
詩織には内緒ね、と悪戯っぽく笑いながら子供の頃の詩織さんの話を聞かせてくれたけど、テーマパークのお城を見て「ここに住みたい!」と言っていたくせに、中のアトラクションに入ったとたん大泣きした話とか、聞いてしまって良かったんだろうか。
それともう一つ。これは本当に内緒という念押しの後、詩織さんが今でも一年生の勉強を熱心にしているのだと教えてくれた。「よっぽど紗良ちゃんに良いとこ見せたいみたい」と、口元に人差し指を立てながら。
何それ。どれだけ大事にしてもらってるんだ、私。
普段、何でもないような顔をして勉強を教えてくれている詩織さんの顔を思い出して、ちょっと目頭が熱くなる。こんなのズルい。何がズルいのかは自分でもよくわからないけど。
「紗良ちゃんみたいな子が詩織と仲良くなってくれて嬉しいわ」
「いいえ、そんな……私こそ詩織さんにはお世話になりっぱなしで」
「詩織がお世話したくなるくらい大事にしてるっていうのが、一番のポイントなのよ。おかげで、随分と柔らかくなったもの」
そう言ってはくれるが、詩織さんは初めて会った時から優しくて親切で、十分柔らかかったけど。前はそうじゃなかったってこと?
柔らかかったといえば、昨日の夜の詩織さんの体も柔らかかった……じゃない!
「あの子の前でこんな話は出来ないから、寝坊してくれて丁度よかったわ。どんな形であれ、これからも詩織と仲良くしてやってね」
「はい」
詩織さんのお母さんの言葉に即答ではいと答えたけど、『どんな形であれ』という言葉に含みを感じて顔を見ると、大人の笑顔で誤魔化されてしまった。
──この人には、私と詩織さんの今とは違った形が見えているのかもしれない。
私にはまだ何も見えない。しかし、それがどんなものであれ、互いに心地いいものであってほしいと、そう願った。
※ ※ ※ ※
私にとって、詩織さんは優しくて頼りになる年上のお姉さんだった。というか、今でもそうだ。
ただ、この家で見る詩織さんはいつもより少しだけ気が抜けていて、年相応の可愛らしい女の子に見える。いつもの彼女が作り物だとは思わないけれど、多分こっちが素に近いんだろう。
可愛いと言われ慣れてないのだと、可愛いと褒めるたびに照れて赤くなる顔を隠す様子が本当に可愛くて、そんな詩織さんを見たくて何度も可愛いと言っては困らせた。
こんなに照れるのは、慣れてないからってだけ? それとも、私のことを意識してるから?
いつも優しくしてくれるのは、私を好きだから?
詩織さんが私を好きかもしれないという疑惑は、まだ晴れていない。こんなこと、真正面から直接問いただすわけにはいかないし、聞いても教えてくれなさそうだから保留にしている。
でも、やっぱり気にはなるものだから、夜に友田先輩とのことを相談した時、思い切って聞いてみた。
「ねえ、詩織さんは女の子同士の恋ってどう思う?」
あんなにドキドキしながら聞いたのに、返ってきたのは「本人同士が想い合ってるなら、いいと思うけど」という当たり障りのないものだった。そりゃそうだ、私は何を期待していたんだろう。こんな質問で、詩織さんの本音がわかるわけがないのに。
ガッカリしていると、今度は「紗良は?」と聞き返される。反射的に「わからない」と答えると、小さく笑って細い肩が揺れた。
「他人のことなら、本人の好きなようにしたらいいと思うけど、そこに自分を当てはめたら急にわからなくなるんだよね」
男女の恋愛すらよくわからない私が、周りにサンプルのない女の子同士の恋愛なんてわかるわけない。わかりたい、とは思うけど。
そもそも、女の子同士の恋愛って友情とどう違うのかとか、どこからが恋なのかとかがわからない。エッチなことをしたくなったら恋? でも、恋じゃなくてもそういうことをしたがる人はいくらでもいる。
「……例えば、私が詩織さんに恋をしたとして」
「えっ!?」
「あっ、例えば! 例えばの話だからね!?」
「え、ええ、例えばね! 例えば!」
明らかに動揺しているこの反応が、単に驚いたからなのか別の理由からなのかすら、私には判断がつかない。というか、私を好きかもしれない人にこんな話をしても良いのかな。今更だけど。
「今の友達の関係じゃなくなって、手を繋いだりキスしたり、それこそ昨日のことの続きをしたりするわけでしょ?」
「……そうね。昨日のことは、出来れば忘れてほしいけど」
「手は簡単に繋げるよねー。キスとかその先は……あっ」
ふと、詩織さんの寝顔を思い出し、気づいた。今朝、誘うように薄く開いた唇に、汗に濡れた白く細い首に、寝乱れた髪に、思わず触れたくなった衝動を。
恋をしていなくても、詩織さんには触れたい。エッチなことがしたいわけじゃなくて、ただ抱きしめるだけでいい。昨日みたいに押し倒されるのは落ち着かないけど、私の腕の中で詩織さんが恥じらう姿は見てみたい。
「私、詩織さんが相手だったら、押し倒されるより押し倒す方がいいかも」
ポロリとこぼれたつぶやきに、「え」と隣で小さな声が漏れた。
しまった。思わず声に出しちゃったけど、変に思われるかな。まあ大丈夫か。
「体格的にも私が押し倒す側だと思うんだけど、どう思う?」
「どう思うって、えっと……よ、よからぬ想像をしてしまうので、この話はここまでにしたいと……思っています?」
狼狽しているのだろう。首まで赤く染めながら、これくらいにしてほしいと言う詩織さんが可愛すぎて、私の中の意地悪な心が疼いた。
だって、本当に可愛いから。こんな大人っぽい見た目で、百戦錬磨って言われても信じれちゃうような色気たっぷりの人が、私の言葉ひとつでこんなに赤くなったり恥ずかしがったりするなんて。そっか、よからぬ想像をしちゃったのか。
これ、ギャップ萌えっていうのかな。もし本当に押し倒したら、もっと可愛い顔が見れるのかな。見てみたいな。
そう思って、押し倒しても良いか聞いてみたら、当然のようにダメだと言われた。しかも、枕まで飛んできての全力拒否だ。残念。
そのまま突入した枕投げは、あれはあれで楽しかったけど。
もう寝ましょうと、枕投げでほんのりと汗ばんで濡れた髪をかきあげながら、詩織さんが枕を渡してくれる。その仕草がやけに魅力的で、一瞬目を奪われた。同時に、胸も甘く締め付けられる。
慣れない感覚に戸惑っているうちに、詩織さんは床に敷いた布団に潜り込んで背中を向けてしまったが、この気持ちをどう落ち着かせたらいいのだろう。
寝るのがもったいない。
詩織さんともっとお喋りしていたいし、もっと詩織さんのことを知りたい。もっと顔が見たいし、もっと触れていたい。もっと──ずっと一緒にいたい。
もっともっとと求める、欲張りなこの気持ち。ソワソワしてしまうこの状態を、何と呼べばいい?
すごく特別だけど、同じくらい扱いに困るこれを簡単に口にしてはいけない気がして、きゅっと胸に抱え込むように布団の中で丸くなる。
近々、友田先輩とも話すことになるのだから、それについても考えないといけないのに、詩織さんのことばかりをこんなに考えている私は薄情だろうか。
友田先輩を軽く考えているわけじゃない。それでも、背後に感じる詩織さんの気配が昨日よりずっと気になって、その夜はなかなか眠りに落ちることが出来なかった。
だっけっどっ気にーなるー♪の紗良さんです。
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