74・小悪魔とヘタレ
生徒会室から出た瞬間、葵が待ち構えてるんじゃないかと怯えていた私だが、そういったことはなかった。それならば、美術室で突撃してくるかと構えていると、そんなこともない。お昼休み以降の部活は平和そのもので、私が一人でビクビクして疲れただけだった。
──それが金曜日のこと。
その翌々日である今日、私は紗良の家に来ている。今回は癒しを求めに来たわけではなく、いつもの家庭教師として。
家庭教師といっても、最近はつきっきりで教えるわけではなく、夏休みの宿題をしている紗良の横で私も自分の宿題をして、わからないところがあれば聞いてもらうスタイルだ。
進学校である椿ヶ丘は、宿題の量もえげつない。積み上げられた宿題は、うちの高校の倍くらいあるし、その中にはまだ習っていない二学期の授業の予習まである。すでに習った範囲はほとんど大丈夫みたいだけど、予習の範囲になったら私が教えながら進めるつもりだ。
「紗良は優秀だから、最近は教えることがほとんどないわね」
さっきから問題集を睨んでいる可愛い教え子に声をかけると、顔をあげて「そんなことないよ」と言って、ふにゃりと笑った。どうやら少しお疲れらしい。
「詩織さんの教え方がわかりやすいおかげで、なんとかついていけてるだけ。一人だったら、とっくに脱落してたよ」
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、予想では、もっとつきっきりになると思ってたのに」
「あはは、先生が優秀だったからね」
「お褒めに預かり光栄。あんまり質問が少なくても寂しいから、何かあれば遠慮なく聞いてね」
冗談半分本音半分でそう言うと、「あ、じゃあ」と思い出したように紗良が口を開いた。
「後輩の女の子に告白されたって本当?」
「──っ!!?」
ポキンと音を立てて折れたシャーペンの芯が、勢いよく飛んでいった。
なぜそれを、なんで聞くまでもない。情報源なんて一人だけだ。前々から何度も思ってきたけど、私の学校での情報を流しすぎてませんかね、陽子よ。
「本当だけど……」
あまり知られたくなかったなぁ、なんて。
しかも、相手が相手だから、あまり話題にしたくない。紗良の中に、どんな形であれ葵を印象づけるのは嫌だ。
「それって、前に追いかけ回されてるって言ってた子?」
「ああ、そういえばその話もしてたわね。そう、その子。今後、追いかけられるのがエスカレートしそうで怖いわ……」
「お断りしなかったの?」
「したけど、諦めないって息巻いてたわね」
「あー、たまにいるよね、そういう人」
いるのか、紗良の周りにも。葵の話より、そっちの方を詳しく聞きたいんですけど。
「紗良はそういう人にどう対応してるの?」
「んー、何度も繰り返しゴメンナサイする……かな? 高校に入ってからは、友達が協力してくれたり」
「そう、友達とは上手くいってるみたいね」
「うん。『この子は他に好きな人いるんだから!』って追い払ってくれたよ」
その時の様子を嬉しそうに語る紗良に、気持ちがほっこりする。話してる内容は全然ほっこりしないんだけど。
同じ追い払う行動でも、紗良の方は高校生らしい空気なのに、私の方はなんであんなに殺伐とした火花が散っていたのだろう。日頃の行いの差か? それともキャラの問題か?
「残念ながら、好きな人がいるって言っても退いてくれなかったのよね。私、本とか映画とかで振られても諦めずに想い続けるキャラクターって結構好きだったんだけど、あれって実際にはすごく迷惑で怖いものなんだって、今回のことでよくわかったわ」
「うんうん。こっちの迷惑も考えず、しつこく言い寄ってくる人を好きになるわけないのにね」
過去のアレコレを思い出しているのか、心底うんざりした様子の紗良がため息を吐いた。
あ、ちょっと心が痛む。この先、私がフラれたとしても、何度もしつこく言うのだけは絶対にやめよう。こんな顔で迷惑って言われたら、首をくくりたくなってしまう。
「あとさ、少女漫画でよくある壁ドンとか顎クイとか、恐怖でしかないよね。寝てる人にキスするとかも、強制わいせつ罪で捕まればいいのに」
「ふふっ、強制わいせつ罪って。でもそうよね。起きてても、強引にキスとか漫画でよくあるシチュエーションって、普通に犯罪だし」
はい、熱で朦朧としていた紗良に、ついキスしようとした私です! すみません! 未遂なので見逃してください!!
「元々の好感度が高ければ、ときめくのかもしれないけどね、壁ドン」
「そうかなー? じゃあ、その告白してきた子が壁ドンしてきたら、詩織さんどうする?」
「思いっきり突き飛ばして、ダッシュで逃げる」
私の食い気味の即答に、紗良が「答えるの早いよ」と笑う。
いや、だってね。葵からの壁ドンなんて、容易に想像出来てしまうから余計にタチが悪い。なんかやりそうだもん、あの子。ゲームではなかったよね、壁ドン。うん、なかったはず。
「断るの大変そうだけど、頑張ってね。私で良かったら、愚痴とか聞くから」
「ありがとう。一緒にランチしてる後輩からは、断りたいなら恋人作れって言われたけど、そんな簡単に作れるものじゃないしね……」
正確には、さっさと紗良と付き合えだったけど。
「紗良、私の恋人になってみる?」
「あ、なるほど。いいよー」
……ん? あれ? 今、いいよって言った?
完全に自虐的な冗談で言ったんだけど、もしかして今のでお付き合い成立した? 私の予想では「またそんなこと言ってー」と笑って流されるはずだったんだけど。
状況が理解出来ていない私に、紗良が力強い笑顔を見せる。
「偽装彼女ってことでしょ? まかせて! 詩織さんのためなら一肌脱ぐよ!」
あー、はいはいはい! そう受け取ったのね!?
しかし、これはどう受け止めたらいいのだろう。肩書きだけでも彼女になれるチャンスと考えるべきか、偽装彼女になると簡単に言われてしまうくらい対象外なのだと凹むべきか。
フリだとしても、紗良と恋人になれるのなら悪くない話なのかもしれない。恋人を演じることで、少しは意識してもらえるかも──なんていうズルい期待もある。
でも、それで良いのだろうか。
彼女の優しさを利用して、少なからずある自分への信頼と依存心につけ込んで、なし崩し的に恋人としての立場を確立してしまおうか、とか。守りたいとか大事にしたいとか、そんな綺麗事は投げ捨てて彼女を手に入れてしまえ、とか。
そんなことを考えてしまう私は、なんて浅ましいのだろう。
「……ありがとう」
紗良を好きになればなるほど、欲深い自分と向き合うことになる。向き合って、何度も闘って、いつか負けてしまいそうだ。
「でもね、大丈夫。まずは自分で頑張ってみるから」
きっと陽子やこはるが知れば、千載一遇のチャンスをふいにしたと呆れるのだろう。こはるなんて、もう「バカなんですか?」どころか「バカですね」って断言する様子が目に浮かぶ。
ええ、ええ。自分でもそう思ってるから! 今だって、必死に痩せ我慢してるから!!
「私に何か出来ることがあれば、いつでも言ってね」
「ありがとう、気持ちだけで充分よ。それに、紗良が恨まれて何かされたら嫌だし……」
「あ、そっか。それは考えてなかった」
「まだ何かされたわけじゃないし、しばらく様子を見るわね」
葵のキャラ的に、陰湿な嫌がらせをしてくるとは考えにくいけど、念には念をだ。何より、紗良と葵を関わらせるわけにはいかない。
「あーあ、振られちゃったー」
「ふふっ、私も可愛い彼女が出来損ねて残念だわー」
本っっっ当に残念。すでにめちゃくちゃ後悔してる。心の中で血涙流して、現在進行形で大号泣してますとも!
今からでも、やっぱり彼女になってって言うのはダメかな。ダメだ……かっこ悪すぎる。
っていうか、振られちゃったって! そんな頬杖ついて可愛く言われても! 今からでも、やっぱり彼女に(略)
※ ※ ※ ※
その後、勉強の続きに戻ったものの、当然ながら集中出来るわけもなく。もし紗良に彼女になってもらっていたらという妄想で度々手が止まり、声をかけられては我に返るのを繰り返した。
料理をしていても、普通に話していても、ちょっとしたはずみでいつも以上に意識してしまって、頻繁に稼働停止してしまう私は不自然極まりなかったことだろう。
全世界の恋する人達は、どうやって好きな人の前で自然に振る舞っているのか、是非ともご教授願いたい。切実に。
「今日もありがとう。気をつけて帰ってね」
「ええ、紗良もちゃんと戸締りしてね」
玄関でお見送りしてくれる紗良に背中を向けて、ドアを開けようとした私の背中に、「あ、詩織さん」と呼び声がかかる。なに? と振り返りかけた私の顔のすぐ横に、伸びてきた紗良の左手がトンとドアについた。
数秒、その手を眺めてから振り向くと、いつもより近い距離に紗良の悪戯っぽい笑顔があり、ドキリと心臓が大きく鳴った。
「へへっ、壁ドーン」
あああああ、無理! 死ぬ!死んでしまう!!
何その可愛い壁ドン! 可愛さが限界突破してる! っていうか、顔近いし! いい匂いするし! これはやばい、顔上げられない!
「からのー、顎クイ!」
顔をそらしていた私の顎がヒョイと持ち上げられ、無理やり目線を合わされた。
ヒィィィ、無理! やめて! 心臓止まる! 爆発してしまう!!
誰だ、壁ドン顎クイ怖いとか言ってたの! こんなのときめき不可避でしょ! ある意味めちゃくちゃ怖いけど!!
「あははっ、詩織さん真っ赤!」
「あ、赤くもなるわよ、こんなの……」
「ねえねえ、ときめいた? ドキッとした?」
「…………した。から、そろそろ勘弁してください」
そろそろ限界なので。実はさっきから、ちょっと足震えてるからね。
そんな私の極限状態も知らず、「えー、もう少しだけ」とか言って、顎クイのまま親指で顎をスリスリするのはやめなさい。人の形を保てなくなるから。
「照れた詩織さん、可愛いんだもん。もう少し堪能したいなー」
「……可愛くないってば」
はい。壁ドン顎クイに続き、可愛いまでいただきました。もう、今日が私の命日かもしれない。
あ、こういう状況、百合漫画で死ぬほど読んだね!? 小悪魔な年下に翻弄されるヘタレな先輩とか、王道中の王道じゃないか。
このままじゃダメだ。いいようにされっぱなしじゃ、年上の威厳がなくなる!
「……あのね、紗良。私、言ったわよね」
「何を?」
「貴女は魅力的で、男にも女にも好かれるんだって。警戒心を持ちなさいって」
「あぁ~……」
その『そういえばそんなこと言われたっけ』みたいな声を聞いただけで、警戒心がゼロなのはよくわかった。泣いていいかな、私。
「こういうことすると、煽られたって勘違いされて、逆襲されるかもしれないんだから。危ないでしょ、こんな……私達二人しかいない部屋で」
うちに泊まりに来た時は、部屋に二人だったとはいえ、まだ階下に両親がいた。
でも、ここは違う。完全な密室で、正真正銘の二人きりだ。
こんなふうに煽られてしまえば、そのつもりがなくてもその気になってしまう。紗良はそれがわかっていない。いい加減、自分の魅力を理解するべきだ。
「だって、詩織さんなら大丈夫でしょ?」
「あら、私だってここまでされれば、唇の一つでも奪おうかって考えてるかもしれないわよ?」
「えぇー?」
「ああ、もう。そこまで煽るなら、期待に応えましょうか?」
私一人だけこんなにドキドキさせられて、不公平だ。少しくらい反撃しないと、割りに合わない。
平静を装い、精一杯の艶っぽい笑顔を浮かべ、私より少し高い位置にある紗良の首に腕を回す。
綺麗な目が驚きでわずかに見開かれ、動揺に揺れた。よし、これで目的は達成した。冗談で迫られて振り回される私の気持ちを、少しは味わうといい。
さっきより距離の近くなった頬が淡く染まったものだから、気を良くして笑みが深まる。顎クイしていた指は行き場をなくし、私の顔の横あたりでフラフラしていた。
「照れた紗良も可愛いわよ」
「……照れてないもん」
「そう? じゃあ、もう少し大丈夫かしら?」
「え、詩織さん待っ……あっ」
反撃に成功したのが嬉しくて、照れた紗良が可愛くて。つい調子に乗ってしまった。
ただでさえ近かった距離をもう少し縮めようと、少し伸び上がり、首に回した腕で紗良を引き寄せたら、狼狽した彼女がバランスを崩したのだ。
伸び上がった不安定な足元。
しっかりと回した腕。
スローモーションで迫る紗良の驚いた顔。
避けるのは無理だった。
次の瞬間、唇をかすめるように触れた柔らかさに、頭の中は真っ白になった。
読んで下さってありがとうございます。
コメントへの返信が滞っており、申し訳ありません。近いうちにお返しいたします。
現在、作者は劇場版スタァライトできらめきを浴び過ぎて、頭がスタァライトされています。
すごい映画でした。興味がある方は是非ご覧ください。




