56・選択肢の目的は
まるでゲームのモニター越しのような視界の向こう側、見慣れた自分の顔があった。
ああ、この感じには覚えがある。春に紗良の夢を見た時と同じ。――あれは私であって私じゃない、ゲームの『詩織』だ。
薄い膜の向こうでは、本来こうなっていたかもしれない私が、つまらなさそうな顔で過ごしていた。
『杉村詩織』は、人に無関心とまではいかないけれど、興味の薄い少女だった。
人付き合いはめんどくさい、家でのんびり好きなことをして過ごしていたい。だからといって何かに打ち込むわけでもなく、一匹狼を気取るつもりもない。何事にも深入りはせず、適当な距離を保ちながら広く浅い付き合いはするという、何とも中途半端で小賢しい処世術を身に付けていた。
しかも、本気にならなくても優秀なのがまたタチが悪い。勉強なんて授業と宿題以外は試験前にちょっと見直す程度のくせに、目立った上位ではなくともそこそこの成績をキープ出来ていたし、容姿にも恵まれていた。
努力しなくても大抵のことは上手くこなせるものだから、気づけば人生ナメきった15歳の出来上がりである。
(自分のことながら、見ていて恥ずかしいわね……)
あれは紛れもなく春休みまでの自分だ。記憶を取り戻す前、人生楽勝だと天狗になっていた頃のどうしようもない自分。
出来ることならモニターの向こうの自分に平手打ちを食らわせて「目を覚ませ!」と言ってやりたいくらいだ。
しかし、そんな『詩織』にも転機が訪れる。
それが美術部に入部してきた後輩、『島本葵』だった。
好奇心旺盛で、いつも楽しそうに笑っている一年生。決して誰かを否定するようなことは口にせず、誰かを特別扱いすることもない。出会ったばかりの美術部員にも幼馴染のこはるにも、彼女は平等だった。
分け隔てなく笑顔を振りまく『葵』はあっという間に人気者になり、当たり前のように人の輪の中心にいたが、『詩織』の目にはどうしても不自然に映った。
人気者は何人も見てきたけれど、『島本葵』は何かが違う。強いて言うなら、自分に近い。
誰からも愛されるキャラクターだが、耳障りのいい言葉を口にしているだけで、本音では誰も本気で相手にしていないのではないか。しかも、本人は自分のそんな歪みに気づいてさえいないんじゃないか。
そんな気がして、珍しく他人に興味が湧き、頻繁にちょっかいをかけるようになった。
「ねえ、このジュース飲んだことある? 美味しいわよ。――ふふっ、間接キスね」
「あら、私のスタイルがいいって? ありがとう、良かったらヌードモデルになりましょうか?」
「もう、そんなこと言って……誘われたいの?」
ゲームでは気にならなかったが、こうして現実の人間として第三者目線で見てみると、完全に痴女である。私と同じ顔と声で、そんな陽子が言いそうなセクハラ発言しないで! と、目を覆いたくなったが、そうもいかない。
前世の記憶を取り戻せて良かった。本当に良かった!
上級生からのそんなセクハラに対して、最初こそ照れたり逃げたりと『これが欲しいんでしょう?』と言いたげな可愛らしい反応をしていた『葵』だが、慣れてきたのか次第に『詩織』を適当にあしらったり、時にはやり返したりするようになっていった。
そうなってようやく、『詩織』は素の『葵』が見えたようで安心した。
しかし、相手は『葵』だ。素のように見えるこの態度も、もしかしたら自分が望んでいるからそう振る舞っているだけかもしれない。
自分の言葉に、照れたり怒ったり、時にはしょんぼりしたり。そんな彼女に惹かれているのだと気づいた時には、焦ったりもした。
なにせ、他人への興味なんてほとんどなかったのだ。それが一足飛びで恋、――しかも同性への恋心を自覚してしまったものだから、どうしていいかわからない。
いつからか距離も縮まり、二人で出掛けるようにもなって、学校では決して見せないような子供っぽいところも知られて。『葵』の笑顔の裏に後輩以上の気持ちが透けて見えることもあったが、相手はあの『葵』だ。どうしても自信が持てず、年上のプライドも邪魔して素直になることが出来なかった。
本当は文化祭だって一緒に回りたかったくせに、周りの目が気になって誘うことも出来なくて、幼馴染で同じクラスの『こはる』を羨んでいた。
後夜祭では、美術室の窓から校庭を見下ろして『葵』の姿を探す『詩織』。そこへ息を切らして走ってきた『葵』が告白して、二人はめでたく結ばれたのだった。
…………うん。紗良の時とは違って、今回はわりとちゃんと恋愛していたわね。『詩織』がわりとクズっぽかったし、『葵』が思っていたより腹黒かったけど。っていうか、葵ってそうなの?
確かに、みんなに平等に笑顔を振りまいているし、それこそ相手が望むような反応を返していると言われればそうかもしれない。でも、自分のそんな性格を自覚していないかもしれないって、そんなことあるだろうか。
膜の向こうの恋愛劇は、歪んだ似た者同士が惹かれ合う物語だった。紗良の時ほどの衝撃はないが、情報としては捨て置けない。
だが、劇はそこで幕を閉じなかった。まるで巻き戻るようにあっち側の時間がまた春へと戻される。そして、その中心にいたのは『詩織』でも『葵』でもなく、もう一人のヒロインだった。
「えっ、こはる!?」
終わった映画の後、突然別の映画が始まったような感覚で、また彼女たちの物語を見つめる。
みんなに囲まれる『葵』、ちょっかいを出す『詩織』。そして、徐々に距離が縮まる二人を焦る気持ちで邪魔する『こはる』。
『詩織』からのアプローチに、先に心が揺れたのは『葵』の方だった。最初はよくからかってくる先輩として、よく知っていけばただの可愛い女の子として。
そんな恋心を、よりにもよって『葵』は真っ先に『こはる』に相談し、応援してほしいとお願いした。それだけでなく、『詩織』との時間を作るためこはるからの誘いを断ることが増え、一緒に過ごす時間も少なくなっていった。
「このあたりは、今の状況に通じるものがあるのね……」
当然、『こはる』は自分から『葵』を奪っていく『詩織』を恨んだ。葵にはわからないよう、妨害もした。しかし、そんな『こはる』の気持ちを知らず、『葵』は『こはる』と一緒の時間にも嬉しそうに恋敵の名前を口にするのだ。
「詩織先輩ってば、すぐにからかってくるんだから」
「今度、詩織先輩と一緒に画材屋さんに行くんだー」
「時々、詩織先輩も私のこと好きなんじゃないかって思う時があるんだけど、こはるはどう思う?」
最初こそ、『詩織』を恨みもしたし、積極的に邪魔もしていた。だが、『葵』が『詩織』への恋心を口にするたび、そんな気持ちもバキバキと音を立てて折られていく。段々と邪魔をする気力も失われ、見込みのない告白なんて出来るはずもなく、ほぼ強制的に諦めの境地へと追い込まれていった。
そして、そんな彼女がトドメを刺されたのは文化祭の日だ。後夜祭で並んでキャンプファイヤーを眺めていた『葵』が『詩織』に告白すると宣言し、相手を探すのを手伝ってほしいと頼んできたのだ。
嫌だとも言えず、言われるがまま校内を歩き回って見たのは、先に『詩織』を見つけて告白した想い人と、好きだと言い合って口づけを交わす新しい恋人たちの姿。
完全に『こはる』の心が折れたのは、この時だった。もう自分が何をしても、『葵』は手に入らないと、まざまざと見せつけられてしまったのだ。
その後、『こはる』は『葵』と距離を置くようになり、ゲーム内でもほとんど登場シーンはなくなった。
そこまで見たところで、私と向こう側とを隔てていた膜が突然パチンと弾け、目を開けると薄暗い自室の天井に変わっていた。
またか、と思う。前に『紗良』の夢を見た時も、「見せるものは見せたんだから、さっさと出ていきなさい」と劇場から追い出されるような感覚で夢から覚めたものだ。
あの夢は一体何なんだろう。絶対、ただの夢ではない。ただの夢なら、夢の中で見たものも考えたことも、こんなにも鮮明に覚えているはずがない。
そして、最後まで見たことでわかったことが色々とあった。
「そっか、『詩織』ルートも『紗良』ルートも、結局は『こはる』ルートのバッドエンドなのよね……」
最初から『葵』を想っているこはるにとって、他のヒロインとのルートは失恋ルートになる。ゲームではその時の『こはる』の気持ちは描かれていなかったから、勝手に見えないところでは幼馴染として仲良くしてると思い込んでいたけれど、そんなわけがない。『こはる』の気持ちがそんな軽いわけがなかった。
「それに『葵』の『こはる』への接し方が酷いと思ってたけど、違う……これ、ゲーム通りなんだ」
ゲームで『詩織』や『紗良』を攻略するためには、『こはる』の好感度を下げなければいけない。これは、ゲーム攻略のためには必須だった。
私は攻略対象を優先する選択肢を選んでいるだけのつもりだったが、おそらく目的はそれだけじゃない。あれは『こはる』の好感度を下げるためではなく、心を折って諦めさせるための作業だったのだ。
「心を折って、邪魔させないように。そうすることで、スムーズに攻略出来るように……」
可愛いイラストの裏側で、『こはる』に対してなんと惨いことが行われていたのか。プレイヤーが楽しくエンターキーを押すたびに、一人の少女の恋心を破壊していたなんて。
今のこはるの状態が、まさにこれだ。何度も心を折られ、恋敵のはずの私に諦めるとまで言ってきた。正直、刃物への恐怖心よりも同情する気持ちの方が強い。
だからと言って、わざわざこはるを奮い立たせ、葵との関係を進めるのに協力するようなお人好しではないが。私には、そこまで面倒を見る義理も余裕もない。
「でも、さっきのを見る限り、やっぱり『詩織』にもこはるに恨まれてた時期があったのね。刺されなくて良かったけど……」
見ていないのではっきりとはわからないが、心を折られたのはおそらく『紗良』ルートでも同じはずだ。
それなのに、なぜ『詩織』ルートでは距離を置き、『紗良』ルートでは暴走したのか。心が折りきれていなかった? 告白現場を見たか見ていないかの違い?
何にせよ、理由がわからない以上は油断するわけにいかない。今現在、こはるの凶刃に一番近いのは、間違いなく私なのだから。
読んで下さってありがとうございます。
気に入っていただけたら、感想、ブックマーク、評価などをいただけると嬉しいです。