53・とある夏の日の百合オタ
「あー、天国……夏休み最高!」
夏休みに入ってからというもの、正確には紗良が帰った後から、私は怠惰の限りを尽くしていた。
起きて朝食を摂ったら、ネットで百合を漁り、昼食後はまた百合三昧。夕食後、お風呂からあがったら深夜まで百合まみれ。最近、何かと忙しくて滞っていた百合活を取り戻すかのように、朝から晩まで百合尽くしの日々を過ごしている。
広大なネットの海には商業から同人まで様々な百合作品が溢れており、つくづく良い時代に生まれたものだ。日本には八百万の神がいると言われているけれど、ネットに潜ればそれを超える世界中の神たちが百合を提供してくれていて、もはや拝むしかない。
ありがとう、百合作家さん。ありがとう、ビルゲイツ。おかげで今日も尊死しています。
窓の外は景色が揺らぐほどの暑さだが、人間が生きるのに適切な温度が保たれた部屋にいる私には無関係な話。ただし、外気に負けない熱さで百合を摂取している。
「そのうちイベントにも行きたいけど、高校生はお金にも行動範囲にも限度があるのよね……」
夏休みは最高だが、高校生は何かと不自由だ。一人暮らしの社会人だった頃は、誰の目を気にすることなく部屋の本棚やクローゼットを百合本で埋め尽くしていた。イベントがあれば遠征して、行けなければ百合友達に協力してもらったり通販を利用したりと、欲しい本のためならありとあらゆる手段を駆使した。
そのための資金も自由度も、高校生と社会人では全然違う。今の家はそこそこ裕福だが、百合本を買いたいからお小遣いが欲しいとはさすがに言えない。何より、本棚の片隅やクローゼットの奥だけの範囲に留まらなくなれば、確実にお母さんにバレる。
悪いことをしているわけではないのに、何故こんなに後ろめたいのか。前世の高校時代と同じ悩みを、今世でも抱えることになってしまった。
「前世に戻りたいとは思わないけど、百合活だけは前世の私が羨ましいわ」
本そのものも楽しみだったが、それを手に入れるまでの過程もトレジャーハントみたいで楽しかったものだ。
参加サークルが発表された日から、誰のどの本を買うかチェックして、人気サークルの本は仲間と分担して買い回った。会場を歩いていると、ノーチェックだったサークルの本が気になって、試しに買ってみたら神棚に飾りたくなるようなお宝本だった時のあの喜び。あれがあるから、通販があっても会場に足を運んだ。コミケ、コミティア、GLF、各種オンリーイベント。西へ東へ飛び回ったあの日々が懐かしい。
あれは私であって私じゃないけれど。経験を知識として知ってるので、さも自分が経験したように思ってしまう。しかし、知っているからこそ余計に行きたくなるのだ。イベントに行きたい! それがダメなら、せめて通販で可能な限り手に入れたい!
世界で一番欲しいのは間違いなく紗良だが、二番目は百合の薄い本だった。
いや、違う。本だけじゃない。前世の私は少なくとも今の私よりは社交的で、イベントが好きだったのはそこでしか会わない日本各地の仲間がいたからというのもあった。
大きなイベントでは、早く並ばなければ手に入らない本を手に入れるために相談し分担して、イベントの後は打ち上げも兼ねて手に入れた本をお土産とともに渡した。
『今回のイベント、鈴さん出るって!』
『まじか! あと、チオビタさんと金属さんのサークルも早く行かないとね』
『熊さんの新刊も絶対欲しいけど、あそこは沢山刷ってくれるし、通販分もあるから少し遅くても大丈夫なはず!』
『Mさんの熟女百合の新刊読むまでは死ねないわー』
そうやって自分だけの宝の地図を作り、全ての宝を手に入れるための道順を決める作業のなんと楽しいことか。時には手に入れられないこともあったが、それすら肴にして飲む打ち上げのお酒の美味しさよ。
百合そのものが好きだったが、楽しみを分かち合い語り合う仲間がいたことで更にのめり込んでいった。気の合う仲間たちとのあの時間は、なんて幸せだったのだろう。
今の私が以前よりも周りの人と人間らしい付き合い方をしているのも、前世での仲間たちとの楽しい思い出を知っているからなのかもしれない。
「詩織ー! お昼ご飯出来たわよー!」
かつての思い出に浸っていると、階下から呼び声が聞こえた。「はーい」と大きく返事をして、ベッドから起き上がる。部屋の外に出たら、一階から上ってくるカレーの匂い。そういえば、昨日の晩ごはんがカレーだったから、今日の昼はカレーうどんにすると言っていた。
「家中、カレーの匂いがしてるわね」
「そりゃ、カレーうどんだもの。あ、お茶とお箸出しちゃって」
キッチンで最後の仕上げをするお母さんに言われ、素直にコップとお箸を食器棚に取りに行ったところで私の足は止まり、目はカウンターに無造作に置かれているものに釘付けになった。
「な……なんで、なんでこれがここに置いてあるの!?」
そこにあったのは、私が春に買った百合小説『彼女と私のチョコレートデイズ』。
私が前世の記憶を取り戻した直後に購入し、入学式の日に濡れ鼠になる予定の紗良を待つ時間で読んでいた本だった。甘めで恥ずかしくなるようなタイトルだが、侮るなかれ。バレンタインを前に揺れ動く乙女心と少女達の駆け引きを丁寧に描いた名作で、私ももう何度も読み返している――ではなくて! 問題はなぜこの本がここにあるかということだ。
「あ、その本借りたわよー。もう読み終わったから、後で持って上がってちょうだい」
「読んだの!?」
「ええ、面白かったわよー」
おわかりいただけるだろうか。
まるで、男子高校生がベッドの下のエロ本を母親に見つけられた時のようなこの気持ちを。しかも、しっかり読まれてリビングに置かれていた今の私の気持ちを。
おまけに、お母さんからの猛撃はこれだけでは終わってくれなかった。
「でもまあ、詩織も結構単純よね。女の子を好きになったからって、女の子同士の恋愛の本を読もうなんて」
「………………は?」
今、何を言いましたか、この人は。
いやいや、私が百合を好きなのはもう前世からの業と言うか、背負って生まれたカルマと言いますか、女の子を好きになる云々は全く関係のない話なんですけど。
……え? 本当に今、何を言いました?
「え? 紗良ちゃんを好きになったから、その勉強とか対策のために読み始めたんじゃないの? 時期ピッタリだし」
「あ、ああああの、なんで知って……?」
「春にベッドのシーツ替えてあげようと思って剥がしたら、枕の下にあったから」
本当にベッドの下のエロ本みたいな見つかり方してるっ!!!
っていうか、聞きたいのはそこじゃない! そっちじゃないから!!
「紗良ちゃん可愛いものねー。好きになっちゃうわよねぇ」
「あ、あの、お母さん……?」
「あら、違った?」
「…………チガワナイデス」
そうよねー、とカラカラ笑う我が母に、誤魔化しが効くとは思えない。なんだか普通に受け入れてくれてる気がするが、それでいいのだろうか。さすが百合ゲーサブヒロインの母親、器が大きい。
「ま、ライバル多そうだけど頑張りなさいな」
「うん……」
「あと、その本面白かったから、オススメがあったら貸してちょうだい」
「気に入ったの!?」
その後、遠慮することなく通販を利用することになった。
いろんな意味で理解のある母親バンザイ。
読んで下さってありがとうございます。
前半、ただの百合オタの叫びみたいになっていましたが、早くコロナ禍が明けて憂いなく同人イベントを開催出来るようになるといいですね。
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