45・母と紗良
夏休みは部活で学校に行く以外、遊びの予定しかなかった。生徒会の仕事も夏休み中は免除だ。
最近なぜだかずっと忙しく、思うように百合活が出来なかったので、夏休みは思いっきり百合を摂取して楽しもう! と思っていた時期が、私にもありました。
夏休み前夜。いや、もう終業式は終わったのだから、夏休みになったと言ってもいいだろう。私はお風呂掃除をしながら、どうしてこうなった? と自問自答していた。
家に帰ってすぐ、お母さんから「お客さんが来るんだから、大掃除しないとね」と、自分の部屋だけでなく、家中の窓拭きや廊下の拭き掃除、ワックスがけを任され、今はお風呂をピカピカに磨いている。
紗良も入るのだから、中途半端な掃除で済ますわけにはいかない。壁から排水溝まで、それはそれは念入りに掃除しているのだが、これはどう考えても、紗良の来訪にかこつけて大掃除を手伝わされている娘の図じゃないだろうか。
いや、掃除を手伝うのはやぶさかではないのだが。紗良をだしに使われているのが、少し気に入らないだけで。
「お母さん、張り切り過ぎじゃない?」
お風呂掃除の後、上機嫌でトイレ掃除をしている背中に苦情を言うと、「そうかもしれないわねー」と笑顔で返された。自覚があったのか。
「だって、詩織がこれだけ誰かと仲良くするなんて初めてじゃない? 昔から積極的に誰かと仲良くしようってタイプじゃなかったし、パーソナルスペース広めだったし」
「それなりに友達付き合いはしてたつもりだけど」
「それよねー。立ち回りが器用だから、なお悪いのよ。友達は作るけど、親友は作らないっていうか」
「……よくご存じで」
我が母ながら、侮れない観察力。
きっかけはどうあれ、今まで『特別』を作ってこなかった私にとって、紗良は初めて出来た『特別』な存在だ。つい先日までは友人として、今では恋愛対象として。
「詩織が毎週通って勉強教えるとか、お泊まりに行くとか聞いて、そりゃもうびっくりしたのよ。お見舞いにまで駆けつけるし」
「お見舞いは、あの子が一人暮らしをしてるのを知ってるのが私だけだから……」
「仕方なく?」
「……でもない」
とことん見透かされているようで、そうよねと勝ち誇ったように笑う母が憎らしい。一体、どこまでお見通しなのか。
今の私と前世の私の歳を合わせてもこの人には届かないのだから、人生経験が違う。読み合い化かし合いになれば、勝てる気がしない。
「ま、娘にそんな相手が出来たなら、会ってみたいっていうのが親心よ。電話で話した感じ、良い子そうじゃない」
「良い子よ、すごく」
「でしょうね、楽しみだわー」
話しているうちに磨き上げられたトイレを満足げに眺めて一つ頷き、お母さんが嬉しそうに笑う。
成績も生活態度も問題なく、自分では手のかからない娘のつもりでいたが、思いがけないところで心配されていたようだ。
それに気づくきっかけをくれた紗良には、感謝した方がいいのかもしれない。
※ ※ ※ ※
かくして家中がピカピカに掃除され尽くし、私の部屋も塵ひとつ落ちていない上に隠すべきものはしっかりと封印された状態になった翌日。
紗良が我が家へとやってきた。
「はじめまして、藤岡紗良です。詩織さんにはいつも仲良くしていただいています。今日からお世話になります」
そう挨拶して頭を下げる紗良は、なかなかしっかりしたお嬢さんといった感じだった。とてもじゃないが、数分前まで玄関先で緊張のあまり震えていた女の子とは思えない。
ちなみに、今日の紗良の服装は白いレースのシャツにピンクのシフォンスカートという、絵に描いたような清楚系だ。
迎えに行った時、「詩織さんのお母さんには、やっぱりいい印象を持ってほしいから!」と力強く言われた私の心境を察してほしい。
もうね、この罪作りなお嬢さんは私の彼女ってことでいいんじゃないだろうか。第三者としてこの状況にタグ付け出来るなら、私は迷わず『お前らもう付き合っちまえよ』と入れる。
そして、そんな清楚でお上品な美少女にしっかりとした挨拶をされたお母さんのテンションは、当然ながら高かった。
このテンション、娘の友達を前にした母親ではなく、推しを前にしたオタクのテンションそのもので、血の業の深さに白目を剥きそうだ。間違いなく、私の母である。
「紗良ちゃんは一人暮らししてるって聞いてるけど、もう慣れたかしら?」
お茶を淹れてお土産のシュークリームを食べながら、お母さんが訊いた。
「はい、最初は料理も家事も分からないことが多かったんですけど、少しずつ出来ることが増えました」
「あらぁ、ちゃんと自炊してるなんて偉いわねー! 詩織は全然手伝ってくれないから、見習ってほしいわ」
「え……?」
少し驚いたように、紗良がチラリと私の顔を見る。
しまった。料理を教えているのを口止めするのを忘れていた。ここで「私は詩織さんに料理を教わったんですよ」なんて暴露されては、ちょっと困ったことになる。
「必要があれば、私だって料理するわよ」
「もう、そんなことばかり言って。ねえ、紗良ちゃん?」
「え? あ、あはは……」
何とも言えない顔で笑うしかない紗良に、心の中でそっと謝っておいた。
澄まし顔でお茶を飲む私の足が、テーブルの下で隣からトントンと蹴られる。密やかなその抗議に、不謹慎だが少しだけ心がときめいた。
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