44・明日から夏休みです
創作物の百合を嗜むだけだった頃、叶わぬ恋というのはひたすら切ないだけのものなのだと思っていた。好きな相手からの友愛は重く、信頼は煩わしく、笑顔を向けられれば泣きたくなるのだと。
しかし、自分がこうしてその立場になってみると、切ないは切ないのだが、意外とそんなにも悲壮感はない。もちろん時と場合によりけりだが、友愛だろうが何だろうが、好かれて信用されているというのは単純に嬉しい。笑顔を向けられればもっと見ていたくなる。
その笑顔を守りたいと思える自分が、私は結構好きだ。
そして、人の気も知らずに高純度の信頼と友愛を差し出してくる想い人は、未だ私の膝の上でくつろいでいる。これじゃまるで飼い猫みたいで、不埒な想いを抱く気にもなれない。
「明日から夏休みねぇ」
髪を撫でながら、なんとなしに呟いたその言葉に、膝の上の猫が「そうなんだよぉ~」と悲しげな声をあげた。
「あれ? 夏休み、楽しみにしてなかった?」
「してたけど。夏休みは詩織さんと毎日会えなくなるし、学校の友達とも約束がない日は会えないし。予定がある日以外は誰にも会えないって気づいて、寂しくなっちゃった……」
「あー、一人暮らしはそうよねぇ」
紗良の場合、転勤で家族が海外にいるので、普通の一人暮らしとは違って里帰りもない。この感じだと、向こうに会いに行く感じでもなさそうだ。
「詩織さん、また泊まりに来てよ~!」
「えー、抱き枕はもういやよ。暑いし、びっくりするし」
さすがの私も、好きだと自覚した後に同衾するのは勘弁してほしい。ひざ枕とは接触のレベルが違う。
そんなぁ、と膝上で項垂れているが、いくら紗良のお願いでもダメなものはダメだ。お互いのために。せめて、布団が別なら話は違ったけれど。
「ああ、じゃあ、紗良がうちに来ればいいじゃない」
「え? 詩織さんのおうち?」
「ええ、うちには来客用の布団もあるし、お母さんも紗良に遊びに来てもらうように言ってたし」
これなら、紗良に一人寂しい思いをさせずに済む。我ながらいい考えだ。
元々、遊びに来てもらう予定だったのが泊まりになるくらい、どうってことはない。
「ええぇ、それ、詩織さんのご家族に迷惑じゃ……」
「うーん、大丈夫だと思うけど、一応連絡してみましょうか」
今日、お母さんは家にいると言っていたから、すぐに連絡がつくはずだとスマホを手にすると、慌てたように紗良が起き上がる。
お母さんのスマホに連絡すると、ワンコールで「もしもしー」と機嫌の良さそうな声が聞こえた。
「お母さん、あのね、紗良に遊びに来てもらうって話だけど、あれ泊まりでもいい?」
『あら、いいわよー。いつからがいいかしら?』
「お母さんのシフトに合わせるけど……」
いいよね? と紗良に目で尋ねると、緊張した様子で首が縦に振られる。それを確認して「いつからでもいいわよ」と返事をすると、『何泊する?』と追加で質問が飛んできた。
そうか、なんとなく一泊のつもりでいたが、夏休みなんだから連泊でも良かったのか。
「紗良、何泊していく?」
「えっ!? 何泊って……そんな何日もお世話になるわけには」
『あっ、紗良ちゃん一緒なの? それなら直接相談するから代わってちょうだいよ』
と、お母さんからのチェンジ要請が出たので、隣で聞いていた紗良にスマホを渡す。「ええっ!?」とあたふたしながら受け取り、やや背中を丸めながら初めましての挨拶をしているのが、なんだかおかしい。
うちの親はおおらかだから、そんなに畏まらなくても大丈夫だと思うけど。
ほほえましい気持ちで二人の電話を見守っていると、どうやら話がついたらしく、私に代わることもなくお母さんが通話を切って、スマホが戻ってきた。
「結局どうなったの?」
「えっと、明日から二泊三日で遊びにおいでって……」
「明日から? 随分と急ね」
これは帰ったら大掃除だ。まだ本棚の百合本も隠してないし、普段は掃除しないようなところまで掃除機をかけておかないと。
「わ、私、友達の家に泊まりにいくなんて幼稚園の時以来なんだけど! 遊びに行くのも小学生以来だし! ど、どうすれば……!?」
「あー、落ち着いて。大丈夫だから」
「手土産とか……! 服装は、やっぱり清楚な感じの方がいいのかな!?」
「紗良、本当に落ち着いて。それ、友達じゃなくて彼氏のお宅訪問の時の知識だから」
出来ることなら、そのポジションになりたかった! とは言わないが。天然の攻撃を不意打ちでくらって、少しダメージ入りました。
落ち着かせないと、不束者ですがナントカとか言い出しそうで怖い。天然怖い。
あと、清楚な服装の紗良はちょっと見てみたい。絶対可愛いはずだ。
「服装はいつもので問題ないわ。手土産もなくていいけど、気になるなら行き道で一緒に買いましょう」
「う、うん、ありがとう。なんだか急にお邪魔することになってごめんね」
「それを言うなら、お母さんが結構強引でごめん。私が友達を呼ぶのが珍しいから、妙に張り切ってるみたいなのよ」
紗良のお見舞いに来た日。家に帰ってから、夏休みに遊びに来ると伝えてからというもの、やけにウキウキしていた。
紗良はどんな料理が好きかとか、遊びに来た家でお母さんがあまり話しかけたらウザがられるかとか、いろいろ聞かれた。普通にしててほしいと伝えたが、もしかしたら想像以上に楽しみにしていたのかもしれない。
よく考えれば、私が家に友達を呼ぶのも小学生ぶりだ。
「そっかぁ、そういうことなら良かった。詩織さんのお母さん、楽しそうな人だから会うの楽しみだよ」
「まあ、悪い人ではないわよ」
好きな女の子と自分の母親が会うのは、なんだか胸がムズムズするけれど、せっかく泊まりに来るのなら楽しんでもらいたい。
とりあえず、今夜は掃除を頑張ろう。決して見つからないよう、百合本はクローゼットの奥深くに隠しておこうと心に誓った。
読んで下さってありがとうございます。