42・【番外編】紗良視点②
告白というのは、する側もされる側も多大なエネルギーを必要とするものだと、小学校の授業でしっかり教えておいてくれないだろうか。
道徳の授業がいいだろう。次点で保健体育だ。一度はそれを学んで、しっかりと脳みそのシワに刻み込んでほしい。そして、それを踏まえた上で告白するのなら、炎天下の体育館裏で延々と食い下がるような告白は絶対してはならないと、併せて教えてあげるべきだ。
というか、教えてあげてほしかった、目の前のこの男子生徒に。
告白ラッシュというものがあるなら、今の私の状態だと思う。
友田先輩からのアドバイスを受け、好きな人がいると触れ回ってからは、告白される回数が劇的に減った。こんな簡単なことで楽になれるのかと感激していたのだけど、ここ最近、またお呼び出しが増えているのはいただけない。
「付き合ってください」
「ごめんなさい」
何度やっても、このやり取りは疲れる。
告白されて羨ましいと言う人もいるが、断るたびにあからさまにガッカリされたり、憎々しげな目を向けられたりする身にもなってほしい。逆に、なぜ上手くいくと思えるのだろう。昨日までは名前も知らなかった、口も聞いたこともない相手なのに、告白したら突然好きになると本気で期待していたのか。
だとしたら、相当おめでたい。
そして、そのおめでたい人の頂点にいるのが、目の前のこの人だった。
「彼氏いないんでしょ? じゃあ、試しに俺と付き合ってもいいじゃん」
これくらいのことは、過去にも何度もあった。それでも、ほとんどの人は重ねてお断りすれば引き下がってくれる。が、この人はそれに輪をかけて酷かった。
「オッケー貰えるつもりで、もう友達に彼女が出来たって言っちゃったんだよー。助けると思って、ね?」
ね? じゃない!!
もはやどこから突っ込めばいいのか。むしろ、突っ込まないでいいポイントがない。意味がわからない。勝手に恥をかいて下さいと立ち去りたいが、それをするとまたあることないこと言われて立場が悪くなるかもしれないので、こうして我慢して対応している。
「付き合って」「ごめんなさい」「付き合って」「好きな人がいるので」「付き合って」「無理です」
かれこれ30分はこのやりとりを繰り返し、あの手この手で「はい」と言わせようとしてくるのだから、語彙力は大したものだ。さすが椿ヶ丘。
しかし、さすがにもうそろそろ私も怒っていいだろう。もはや何度目かわからない「付き合って」に、よし怒るぞ! とおへそのあたりに力を入れたその時、「紗良ちゃーん」と聞き慣れた声の主が背後から飛びついてきた。
「友田先輩!?」
「紗良ちゃんが遅いから、迎えにきちゃったよー」
「えっと、すみません……?」
頭を撫でられながら先輩の言葉の意味を考えて、なるほど、これは助け舟を出してくれているんだなと理解した。ありがたい。
「これ以上先輩を待たせたくないですし、もう行きますね」
「あ、いや、その……」
「しつこい男は嫌われるよ。紗良ちゃんはもらっていくねー」
お迎えが来ても食い下がろうとする男子に、友田先輩がバッサリと引導を渡してくれる。
腕を引かれながら食堂横の自動販売機のところまで来て、迷わず買ったスポーツドリンクをペットボトルの半分まで飲んだところで、ようやく人心地がついた。
残念ながら食堂は閉まっていたので、日陰に移動してから2人並んで座った。
「はー、助かりました。ありがとうございました」
「あはは、明日から夏休みだっていうのに災難だったね」
「はい、疲れました……」
暑かったし、お腹は空くし、おそらく日焼けもした。あそこで友田先輩が来てくれなかったら、もっと体力を消耗していただろう。
「あそこに居合わせたのは偶然なんだけどね。運動部員が影からチラチラ覗いて、紗良ちゃんを哀れんでたよ」
「え~……」
「あれはないよねー。告白は減ったって聞いてたけど、まだあんなのが来るんだ?」
「多分、夏休み前だからだと思います。上手くいけば彼女持ちの夏休み、フラれても長期休暇でリセットされると思ってるんでしょう……って、友達が言ってました」
だから、今日が終業式で安心していたのに。今日を乗り越えれば、しばらくは色恋沙汰から解放されると楽しみにしていたら、最後にこれだ。
「その様子だと、好きな人はまだいなさそうだねぇ」
周りに人はいないが、少しだけ声をひそめて友田先輩が確認する。
「まあ、……はい。恋愛に対して苦手意識があるっていうか、未だに恋愛の良さがわからないんですよね。年齢が2桁になってからは嫌な思い出しかないから。男の子は怖いし、女の子と話すのもまだ少し緊張します」
「そっか。まあ、いろいろあったもんね」
「はい。あっ、女の子も緊張するって言ったけど、友田先輩とは緊張せずに話せてます」
うっかり『あなたと話すのは緊張します』みたいな言い方になったが、ここだけは否定しておかないといけない。
今の私が心を許せる数少ない人だ。というか、現状では詩織さんと友田先輩くらいしかいない。同じ学校の先輩だから、詩織さんみたいにお友達とは言えないけれど、心の中ではこっそり友達だと思ってる。
そもそも、悲しいことに私には何年もまともに友達がいなかったのだ。年相応の友達付き合いがよくわかっていない私は友情だってビギナーなのに、恋愛に割けるキャパが残っていない。
お付き合いどころか、誰かを恋愛的に好きになるなんてハードルが高すぎて、想像もつかなかった。
「もう! 可愛いこと言ってくれちゃって! あーあ、夏休みは嬉しいけど、しばらく紗良ちゃんに会えなくなるの寂しいなぁ。どこか行く予定とかあるの?」
「旅行とかは特には……あ、でも詩織さんと花火大会に行く約束しました! 浴衣、初めて着るんです!」
「へー、いいね、浴衣! 紗良ちゃんの浴衣姿、私も見たい! 写真見せてね!」
「はい、送りますね」
よしよしと頭を撫でられていると、飼い犬にでもなった気分だ。
そういえば、最近友田先輩からハグされてないな。前はあんなにスキンシップが多かったのに。暑いからだろうか。詩織さんも一度して以来ハグはしてこないし、少し寂しい。
「紗良ちゃんはさ、詩織さんと仲良いよね。陽子からもよく名前は聞くんだけど、どんな人なの?」
「詩織さんですか? うーん、どんなって訊かれると難しいですけど、すごくいい人ですよ。美人で優しくてスタイルも良くて、勉強を教えるのが上手で、料理も美味しいです」
人柄を口で説明するのって難しい。どれも本当のことなのに、そのどれもが本質を伝え切れていないようで歯痒い。
私の説明に「すごいね、超人だ」と友田先輩が笑った。その通りなんだけど、詩織さんの素敵なところはそこじゃない。
「私のヒーローなんです。……私が孤立した時、もっと足掻けって泣いてくれてからずっと、大事な人です」
詩織さんが私の『特別』になったのは、多分あの時だ。
悔しそうな顔で鼻を真っ赤にして泣いて、全然かっこよくなかったし、ヒーローっぽくなかったけど、一緒に考えようと手を差し伸べてくれたあの人は、間違いなく私のヒーローだった。
もし私が誰かに恋をすることがあっても、きっと私の中の一番は詩織さんのまま変わらないだろう。
「そういえばこの間、朝の電車で詩織さんも告白されてたんです。うちの生徒に」
「へえ、大胆。返事はしてたの?」
「断ってました。好きな人がいるって」
「ふーん、いるんだ」
「この間はいないって言ってましたけど……」
あれだけ素敵な人だ、モテないわけがない。告白していたあの男の子は、私に告白してくる人達よりよっぽど見る目があると思う。
でも、あの時。詩織さんが告白されてるのを見て、取らないで! と思ってしまった。
詩織さんに彼氏が出来たら、私との時間が減ってしまうかもしれない。前に話していたのはこういうことかと、あの時の雑談が急にリアルに感じられた。
多分嘘なんだろうけど、詩織さんの口から好きな人がいると聞いた時もドキッとした。彼氏どころか好きな人も作らないでほしいなんて、友情にしたって重すぎる。友情ビギナーの私にだって、それくらいはわかる。
そんなことをボソボソと話すと、呆れたみたいに「うーん」と唸って天を仰がれた。やっぱりそうなるか。
「ほんっと、詩織さん好きだよね。妬けちゃうなー」
「そりゃ好きですけど……」
「ほんとに妬けちゃう。敵わない」
苦笑いの友田先輩が、長いため息を吐いた。
そんな大袈裟なと笑っていたが、こちらに顔を向けた先輩の目は全然笑ってなくて、やけに真剣味を帯びていて。ただならない空気につられ、口元から笑みは消えた。
「私もね、紗良ちゃんの顔しか知らずに告白してくる男子のこと笑えないんだ。陽子に言われて初めて話しかけた時、紗良ちゃんの嬉しそうに笑った顔を見て、それだけで好きになっちゃったんだから」
「えっと、ありがとうございます……?」
普段から、可愛いとか大好きとか好意的な言葉を言ってくれる友田先輩からの改まった「好き」に、なんで今更? と首を傾げつつお礼を言うと、苦笑いが深くなった。
こんな笑い方をする人だっただろうか。記憶の中の彼女を探すが、朗らかな笑顔しか見た覚えがない。真面目な話をする時でさえ、笑ったような目をしてる人なのに。
「これまで告白してきた男の子達と同じ意味で、紗良ちゃんが好きだよ。ライクじゃなくてラブ。友情じゃなくて恋愛の意味で好き、って言ったらさすがにわかる?」
「…………え?」
さすがにわかる? いや、わからない。
ライクじゃなくてラブ。
友情じゃなくて恋愛。
言葉の意味ならわかるが、スルスルと上滑りするようにその言葉の示すものが頭に入ってこない。まるで解読するための頭の一部機能が停止してしまったみたい。
だって、私も友田先輩も女の子だ。
同性を好きになる人がいるのは知識として知ってるし、その人達に対して何も思うところはない。だって、関係なかったから。
恋愛は男女でするものだと思ってた。だから男の子との接点を減らせば恋愛を遠ざけれると思ってたし、恋愛を遠ざけていれば女の子と友情を育めると信じていたから……同性からも恋愛対象として見られるなんて、想像もしなかったんだ。
「ごめんなさい……」
聞こえるか心配になるほど小さくて情けない声しか出なくて、自分でも驚いた。
まだパニックから立ち直れない頭でどうにか出せた答えは、私が友田先輩に恋をしていないということだけで、他の未消化な部分はともかく、それならばといつものようにお断りの文句を口にした。
そう、いつものように。名前も顔も知らなかった人達と同じように。
これまで何度も助けてくれて、私のこともよく知った上で告白してくれたこの人を、私はいつもの定型文で振るのだ。
言いたいこと、伝えたいことはいっぱいあるのに、そのどれもが言葉にならなくて、ようやく口から出てきたのが言い慣れた定型文だなんて、ちょっと酷すぎやしないか。
「うん、わかってたよ。言いにくいこと言わせてごめんね。――さて、これで私も夏休み前の言い逃げ告白の仲間入りだなぁ。休み明けにはちゃんと気持ちをリセットしておくから、また先輩後輩として仲良く……は、難しいかな」
私の顔を見た先輩が、慰めるように頭を撫でる。なんで、振った側の私が慰められてるんだろう。
親しい人からの告白なんて初めてで、こういう時にどうしたらいいのかわからない。告白は振る方もエネルギーがいるなんて思っていたけど、知らない人と友田先輩とじゃ桁違いだ。
大好きなのに。すごく大切な人なのに。同じ気持ちを返せないのが、ただただ申し訳ない。
「ごめんね」
自分勝手な告白だったともう一度謝って、先輩は行ってしまった。
残された私の周りには、誰もいない。校内に残っている部活の生徒の声や、遠くで鳴る楽器の音、セミの鳴き声だけが聞こえてきた。
――帰らないと。
いつまでもここにいるわけにはいかない。帰って、着替えて、ご飯を食べて、……一人きりのあの部屋で過ごすのか。
一人暮らしにはもう慣れてきたのに、今はあの部屋で一人になりたくない。あんなに楽しみだった夏休みが、急にひどく心細いものに感じた。
「詩織さん……」
こんな時、そばにいてほしい人は一人しかいない。誰より優しい私のヒーロー。
終業式のこんな日に迷惑かもしれないけど、どうしても今すぐ会いたくて、優しいあの声で大丈夫だと言ってほしくて。
祈るような気持ちで、私はスマホを取り出した。
読んで下さってありがとうございます。