35・忠告は投げ捨てた
家に帰ってから、制服を脱ぎ捨てた私はぼんやりとベッドに寝転んでいた。いつもならキチンとハンガーにかけるが、今はそんなことをする気にもなれない。
今日は、あまりにもいろんなことがあり過ぎた。こはるのこと、陽子のこと、――紗良のこと。どの問題も未解決のままで、全然スッキリしない。
いや、そうじゃない。誤魔化してはいけない。こはると陽子だけなら、ここまでモヤモヤとした気持ちにならなかった。私がこんなにも動揺しているのは、紗良のことだ。
『もし紗良ちゃんに彼氏が出来たら、詩織は心から祝ってあげられる?』
――即答出来なかった。
紗良が誰か素敵な人と恋をすることを願っていたはずなのに。男でも女でもいい、紗良が幸せになれるのなら、と。
紗良が誰かと付き合う?
目を閉じて、幸せそうに誰かに寄り添う紗良を思い浮かべてみると、ものすごい焦燥感に駆られた。すぐにでも二人を引き離したい、その場所は自分のものだと、奪い返したい気持ちが湧き上がってきて、想像の中の自分が紗良を引っぺがして誰かさんを足蹴にしたところで目を開けた。
「やばい、祝えない」
恋か? 恋してるのか?自分が恋をしているかもしれないという事実に、ぶわわわっと顔が熱くなるのを感じた。
いや、まだ待ってほしい。祝えない=恋というわけではないはずだ。これはそう、友達として、姉貴分として、なんなら父親が『娘はやらん!』とごねるような気持ちではないのか。きっとそうだ。
だって、私は紗良に欲情したりしない!
会長に対する陽子のような、抱きたいというような気持ちを感じたことはない。お泊まりの時だって、あんな間近に紗良の顔があって、布団の中で抱きしめられても、何かしたいという気持ちはなかった! そう! なかった!!
つまり、恋愛感情ではない!
「恋かぁ。……したくないなぁ」
きっといつかはするのだろう、と思いながら、26歳まで趣味>恋愛だった前世の私。記憶が戻った当初はそんな自分を笑ったものだけど、今はもうあまり笑ってられない。
恋なんてせず、いつまでも今のままでいたい。
そもそも、今の私をどう定義したらいいのだろう。
私は『杉村詩織』だ。それは間違いない。生まれた時から16年分の杉村詩織としての記憶を持ち、ベースは確実にそちらの私だ。でも、前世の別の成人女性の記憶も持っている。
ただし、彼女の記憶や人格には多大な影響を受けているので、今の私が混じり気なしの『杉村詩織』だと言うには無理があるだろう。
もし、私が紗良に恋をしているとして、それは本来の私の気持ちなのか。それとも、紗良を推していた前世の私の気持ちから来ているのか。
今世と前世の私の境界があまりにも曖昧で、それすらもよくわからない。というか、考えすぎてもう頭がこんがらがってきた!
大体、前世も今世も私は同性愛者ではないはずなのに!
「あ、いや、……あれ? 今世の私は、ゲームの『詩織』と同一人物ってことは、つまり…………あっ!?」
今世の私は、記憶が戻らなければゲームの先輩キャラ『杉村詩織』として、葵に恋をしたはずだ。つまり、少なくとも今世の私には、女の子を好きになる可能性がある、ということでは?
「気づきたくなかった……!!」
こんなの気づいてしまって、明日どんな顔して紗良に会えばいい!?
今は恋してないはずだ。多分、恋してない。
でも、周りからこれだけ「好きなんでしょ?」みたいなこと言われたら、意識せずにはいられないじゃないか! 小学生が、好きでもない相手と「お前らデキてるんだろ~」って冷やかされて、意識してしまうのと同じ理屈だ!
「ち、違う! 好きじゃない! いや、好きだけど恋じゃない! 断じて違う!」
自分の気持ちに向き合えという陽子からの忠告はポーンと放り投げて、枕を鷲掴みにしたまま「違う! 違う!」と自分に言い聞かせる。
心のどこかで、「そんなこと言ってる時点で手遅れじゃない?」というツッコミが入ったが、聞かなかったことにした。
※ ※ ※ ※
翌日、出会ってから初めて、会いたくないという気持ちで紗良の家へと向かった。毎週、あんなに軽かった足取りもめちゃくちゃ重い。
それでも約束通りに部屋を訪ね、いつも通りの顔を作って勉強を始めれば、フワフワと落ち着かなかった気持ちも多少マシになるというものだ。勉強って素晴らしい。
ただ、今日の紗良は先週買ったばかりのお揃いのシュシュで髪をまとめ、ノースリーブのボタニカル柄のワンピースを着ている。
先週はまったく気にならなかったのだけど、肌の露出が……目に痛いです。鎖骨とか、二の腕とか、うなじとか。夏って、なんでこんなに薄着なんだろう。暑いからですよね、知ってます。
触りたいとか全然思ってないけど、気になる。それもこれも、全部陽子のせいだ。
「詩織さん、どうかした?」
紗良の声に、ぼんやりしていた意識が引き戻された。
「ううん、何でもないわよ」
「そう? なんか元気ないみたいだけど、大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。ごめんね、ちょっと考え事してただけ」
「それって、この間来た時に言ってたこと?」
ん? この間来た時の?……あー、はいはい、こはるの件ね。あれはあれで悩ましい問題ではあるけど、今は全然頭になかった。
心配そうに見つめてくる紗良には申し訳ないが、こはるがすぐに爆発しそうな感じではなかったので、今は優先順位が下がっている。
「それは関係ないわよ。……ああ、もうそんな顔しないの」
「だってぇ」
眉をハの字に下げて心配してくる紗良に、心の中で白旗を振る。だめだ、私、この子に勝てる気がしない。
「……笑わない?」
「笑わない!」
ぱっと顔を明るくした紗良の頭を撫で、私は少しだけ誤魔化した話を打ち明けた。
「もし紗良に恋人が出来たら、寂しいなって思ったの」
「えっ、なんで急にそんな話になるの?」
「昨日、そんな話になったのよ。仲のいい友達に恋人が出来たら、とられちゃったみたいで寂しいって」
「うーん、ちょっとわかるかも。詩織さんに恋人出来たら、私も寂しいなぁ」
あ、寂しいって思ってくれるんだ。ちょっと嬉しい。
紗良に恋人が出来たら、こんなふうに過ごす時間も減るのだろう。通学も私ではなく恋人とするようになるかもしれない。
同じ時間帯の電車だから、私は挨拶だけして遠くから仲睦まじい2人を眺めることになるのだろうか。なにそれ辛い!
「私、しばらく恋愛とは無縁だと思うよ。そういえば、詩織さんとこんな話したことなかったけど、好きな人っていないの?」
「い、いないわよ」
「そうなの? あ、じゃあ私達が付き合ったら、2人とも寂しい想いしなくて済むねー」
「――っ!」
思いもよらない方向から飛んできた変化球に、もはや顔が作れなかった。
一気に顔が赤く染まる私に、紗良が「詩織さん、照れた? 照れちゃった?」と楽しそうに聞いてくるのを、「照れてないから!」と否定するので精一杯。
その後も「照れてる詩織さん、可愛い」とまたからかわれて、見事撃沈した。少し前まで、からかう側は私だったのに、完全に形勢逆転してしまった。
ああ、もう! 今後、紗良とは絶対に恋愛の話なんかしません!
読んで下さってありがとうございます。
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