28・接近
私は少し調子に乗っていたのかもしれない。春休みに前世の記憶を取り戻して、紗良に出会って、いろんなことがあったけど、それらもうまく乗り越えられていたから。
紗良と葵の出会いを阻止した。紗良と仲良くなった。彼女の学校での孤立も解決出来た。勉強を教えるのも順調だ。そう、いろんなことが上手くいっていたから油断して、一番気をつけておかないといけないことを先送りにしてしまっていた。これは私の失態だ。
この世界がどこまでゲームの世界とリンクしているかは未だにわからないけれど、今まで見てきた感じだと、少なくとも各種設定や基本的な発生イベントは同じだと思っていいはずだ。これまでは葵と紗良に接点がなかったからイベントが発生しなかったけれど、出会ってしまったからには今後は安心出来ない。楽観視して、このまま放置するわけにはいかないだろう。
バッドエンドを迎えるような事態を避けるためには、やはり葵とこはるに付き合ってもらうのが一番平和で、誰もが幸せになれる解決方法だ。
「葵とこはるが付き合うのは文化祭の後夜祭。それまで二人のイベントを邪魔せず見守って、場合によっては協力して、無事に迎えさせないと」
とはいえ、私が積極的に応援できるようなイベントはない。
文化祭までにある残りのイベントは、夏休みのプールデート、近所の公園での二人きりの花火大会、夏休みの宿題合宿があるはずだ。水着姿にドッキリ、花火を見つめるこはるにドッキリ、宿題合宿の押し倒しハプニングでドッキリで、いい雰囲気になって意識しまくった後の文化祭での告白イベント。
是非とも成功させてほしい。サブヒロインの私と紗良は大人しく引っ込んどくから。
イベント関連で私の出番はなさそうだし、やれることといえば一度こはると話すくらいか。
なぜか部活見学の日からずっと敵視されているようだけど、私は決してこはるのライバルにはならないとわかってもらえれば、少しは彼女にも心の余裕が出来るかもしれない。そして、私みたいな安全牌を警戒するより、少しでも葵の心を手に入れる努力をしてほしい。
こはると関わるのは、正直怖い。ゲーム内でこはるは『詩織』に対して何もしてこなかったけれど、私とゲームの『詩織』ではもう状況が違う。そもそもこはるが美術部に入って、直接私と接点を持っていることそのものがイレギュラーなのだから、ゲームの知識は全然役に立たないし、どんな関わり方が最良なのかなんてわかるわけもない。
でも、バッドエンド回避のためには――紗良を守るためにはやるしかない。
※※ ※ ※
基本的に、こはるはいつも葵と一緒に行動している。登下校も一緒、同じクラスだから授業も休み時間も一緒、部活も一緒。部活も楽しそうに絵を描いていて、今も葵や他の一年生と一緒に文化祭に何を出すかについて話していた。
こうして見ていると、紗良ほどではないけどこはるは可愛い普通の女の子だ。私以外には愛想も良く、葵と関わっていても威嚇したりしていないのに、どうして私だけなんだろうと未だに謎だ。だからこそ話をしようと思っているわけだけど。
葵はどこを切り取ってもゲーム通りで、コミュ力高めのポジティブな性格ですっかり美術部の人気者だ。誰とでも物怖じせず話し、困っている人がいれば手助けする。これだけ陽の気を振りまかれると、人によっては苦手だと感じるのだろうが、そこはさすが主人公というべきか。持ち前のカリスマ性でそういう人も丸ごと虜にしているようだった。
ゲームでのヒロイン達も、彼女のそういうところに惹かれたのだろうか。今の私には、恐ろしく感じるだけだが。
さて、そんな感じで常に葵と一緒に行動しているこはるだが、一人になったところを狙って話をするとなると、その機会は限られてくる。トイレか、ジュースを買いに行く時だ。
女の子は連れ立ってトイレに行くというイメージがあるが、少なくとも部活中は手を離せるタイミングがそれぞれ違うこともあって、各々のタイミングで席を立つ。もちろん私もそうなのだが、今日の私はいつでも手が離しやすいデッサンをしているので、こはるを追いかける準備は出来ていた。じりじりとした気持ちで静かにその時を待っていると、あと30分程で部活も終わるというタイミングでこはるが席を立ち、美術室から出ていった。
すぐには追わず、少しだけ待ってから私もさりげなく教室を出て、少しだけ早足で一番近いトイレに向かったところ、こはるはちょうど洗面台で手を洗っているところだった。どうやらギリギリのタイミングだったらしい。
「若島さん、ちょっといい?」
「……何ですか?」
葵やみんなと一緒の時とは全然違う、強張った表情。本当に、なんでこんなに警戒されているんだろう。私、何もしてないはずなんだけど。
「そう、その顔。前から、若島さんには嫌われてるんじゃないかって感じてたんだけど、その理由に全然心当たりがないのよ。何か誤解があるなら、解きたいと思って」
「……嫌いになるのに、理由なんて必要ありますか?」
「生理的なものなら仕方ないわね。でも、あなたのは違うでしょう?」
「いいえ、生理的に無理なんです。一目会った時から、この人と仲良くするのは無理だと思いました。――失礼します」
優しげな顔をしながら、気持ちのいいくらいハッキリ言ってくれる。普段は猫をかぶっていてこっちが本性なのか、それとも今が無理をしているのか。まだどちらとも取れないが、のらりくらりと「嫌ってなんていませんよ」と誤魔化そうとしてくるよりは話が早くて助かる。
一方的に言い切って、横をすり抜けようとするこはるを、腕を掴んで引き止める。振りほどこうと大きく回されたそれを、しっかり掴んだまま離さずにいると「やめて下さい!」と叫ぶようにこはるが言った。
「何なんですか、もう! 私は貴女が嫌いで、仲良くなんかするつもりないんです! それでいいじゃないですか!」
「いいわけないでしょ、気にするなっていう方が無理なのよ!」
「言っても貴女にはわからないです! わかってほしくもないし、何も解決しません! お互いに嫌な気持ちになるだけなんだから、何も気づかないふりしてて下さいよ! 貴女が嫌いです! 大嫌いです! 初めて会った時から、死ぬほど嫌いでした! 貴女がいなければって、今だって思っています!」
ぶわっと体中に鳥肌が立った。『貴女がいなければ』って、それ、紗良のバッドエンドの時の『こはる』のセリフじゃないか。
ただ嫌われているだけだと思っていたが、知らないうちにこんなにも彼女からの憎しみを受けていたことに背筋が凍る。それこそ、今彼女が刃物を持っていたなら刺されるんじゃないかと思うくらいに。
危ないのは紗良だと思っていたけど、彼女との接点がない今、唯一憎しみを浴びている私だって決して安全とは言えないのだと、ようやく思い当たった。
そんなことはありえないのだけど、もし今の状態で私が葵と付き合ったら、多分刺される。
「それは、島本さんのことが原因?」
途端にピタリと、まるで電源が落ちたように、こはるの抵抗が止まった。それでも髪は乱れ、睨みつけてくる眼は血走って、夜叉のように歪ませたその表情は、震えるほどに恐ろしい。
「……心当たり、あったんじゃないですか」
「ごめんなさい」
「謝らないで下さい、みじめになるだけです」
「それくらいさせてよ。貴女の心をそこまで追い詰めたのは私なんでしょう?」
肯定も否定もせず、こはるは私を睨み続ける。しかし、その表情は先ほどよりは少しだけ和らいでいた。今なら、少しくらい話がさせてもらえるだろうか。
ここが踏ん張りどころだ。紗良だけじゃなく、私にとっても未来を勝ち取るために。
「ねえ、若島さん。私と恋バナをしましょう」
全部聞かせてほしい。葵視点じゃない、貴女の本音を。とんでもなく物騒な恋心を。
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