24・朝の一幕
起きた時、自分がどこにいるのかわからなかった。
定番の知らない天井がどうとかを言うつもりはない。そもそも横向きの体勢の私の視界に、天井は映っていない。
目の前にあるのは、美少女の顔のどアップだった。
うむ、少し待ってほしい。状況を整理しよう。
まず私は昨日、紗良の家に泊まりに来た。そして、彼女のベッドで一緒に眠った。オーケー、ちゃんと覚えてる。――が、今のこの状態とイコールにはならないのが問題だ。
現在、私は紗良にしっかりと抱きしめられていた。
抱き枕よろしく、腕はしっかり背中に回され、足はしっかりと私の足をホールドしている。抱きしめると言うより、しがみつくと言った方が近いかもしれない。
そして、このタイミングで思い出したのが、昨日感じた違和感の正体。あれは、この部屋に抱き枕がなかったからだ。
スチルで、やけに可愛いぬいぐるみの抱き枕がベッドの横に落ちてるなと思ったのを、ぼんやりと覚えている。飾り気のない部屋だったから、ぬいぐるみだけが浮いていたのだ。
もっとも、そんな記憶は濃厚なベッドシーンで上書きされてしまっていたから、今の今まで忘れていたのだが。
あのビローンと長い猫の抱き枕。紗良はきっと、あれを毎晩抱きしめて眠っていたのだろう。なんてうらやまけしからん抱き枕だ! と、いつもなら思うところだけれど、今こうして自分が抱き枕の代理をしている状態だと、そうも言ってられなかった。
抱き枕……あなたも苦労してるのね、と肩を優しく叩いてあげたい気分だ。そんな大役、私は勤め上げる自信がない。
なんだか現実逃避しているような感じになってしまっているが、逃げられるものなら逃してほしい。ベッドの中で推しにハグされてる、このシチュエーション。ダイレクトに体温が伝わるこの距離! むしろゼロ距離!
ただでさえパーソナルスペースは広々と確保しておきたい私が、心の平穏を保てるわけない。この天国と地獄のコラボレーションに、起きてすぐに叫ばなかっただけでも褒めてほしい。
何より、顔。こちらは当然ゼロ距離ではないが、10cmもない場所に推しの麗しい寝顔があるのだ。いつもより高解像度! 今日も作画が神がかっている!!
そしてこちらの推し、顔がいいだけじゃない。薄く開いた唇から漏れ出る吐息が、さっきから私の顔をくすぐっているのだけど、なんということでしょう。
口臭がまったくない!
人間の構造的に、起床時は口が臭い。これはもう生理的に仕方のないものだ。全人類、みんな朝は口が臭い。だというのに、目の前の推しときたら全然臭わない。いや、むしろほんのり甘い香りさえしている。
え、すごいわね。もしかして、これもサブヒロイン効果? だとしたら、私も恩恵に与りたいんだけど、どうなんだろう。
この距離で口を開いて、うっかり口臭で紗良が目を覚ましたりしたら、ショックで立ち直れない。そして、それに気づいてしまったからには、とてもじゃないが口呼吸なんて出来ない。
さて、どうにかしてこの状況から抜け出さなければ。
しかし、手足はガッチリホールドされていて、少しでも動いたら紗良を起こしてしまいそうだ。おまけに、私がいるのはベッドの奥の壁側なので、背後に逃げることは不可能。
つまり、抜け出す手段は一つ、紗良を起こさないようにホールドを解くしかなかった。
当然だが、普通に起こして離れてもらうという選択肢はない。この健やかな寝顔、守ってみせる。
まずは足から解いていこう。ここが固定されていては、上半身も抜け出すことは出来ない。
二人ともショートパンツだったため、布越しの上半身と違って足は素肌が直に当たっており、それも落ち着かなかった。さっさと離れないといろいろ危ない。
そーっと、そーっと。絡みつく紗良の右足を動かさないように、刺激を与えないように。紗良の表情を窺いながら、慎重に解いていく。
どれだけ時間をかけたのか、ようやく足が自由になった頃にはうっすらと汗をかいていた。
あとは、腕を解くだけ! 足よりは難易度が低いはず! 幸い、紗良はまだスヤスヤと気持ちよさそうに眠っていて、起きる気配はない。抜け出すなら今のうちだ。
上半身の脱出ルートは、下に逃げるか、そっと腕を解くかの二つ。
本当なら下に逃げたいところなのだが、下に逃げれば紗良の胸元が眼前に来てしまうタイミングがある。なんとなく、それは避けたほうがいい気がした。
今の紗良の熟睡ぶりなら、少しくらい腕を動かしてもきっと起きないだろう。難易度Sの足ミッションをクリアした私なら出来る! 抜け出せる!
そう信じた私は、ゆーっくりと体を捻って紗良の腕を滑らせるように移動させ、少しずつ体を腕の中から解放していく。
ゴールは目前。あと少しで――!
「んー……」
不機嫌そうな唸り声とともに、紗良の綺麗な眉根が寄せられる。しまった、と思った次の瞬間、せっかく解いた腕は再び背中に回され、しっかりと抱きしめられた。
それだけならまだいい、ふりだしに戻っただけだ。問題は、私の位置が変わったため、紗良の頭の位置が私の胸元あたりに移動していたことで、――つまり今、彼女の顔は私の胸の谷間に埋められている。おまけに、彼女の滑らかな足が私の足を割り入って密着しようとしてくるものだから、
「紗良ーーーーっ! ごめん、起きて、ギブギブギブギブ! 接触過多! キャパオーバー! お願い起きて起きて起きてーーー!!!」
もはや推しの寝顔を守るなんて言ってられなくなり、私は降参の叫びを上げた。これ以上はダメだ。身体中に勢いよく広がった熱が、さっさと白旗を振れと警報を鳴らしている。
何事かと飛び跳ねるようにして起きた紗良が、今の私達の体勢に気づいて悲鳴をあげたのも、起きてしばらくは気まずい空気が流れていたのも、謝罪合戦が続いたのも、全部仕方のないこと。
「い、いつもはこの抱き枕を抱いて寝てたから……!」
例の抱き枕はクローゼットに収納されていた。
引っ張り出されてきたその抱き枕のなで肩を、私がポンポンと叩いたのは当然のことだと思う。
読んで下さってありがとうございます。
今日更新分で書き溜めていたものが尽きたので、今後は毎日更新は難しいかもしれません。
出来るだけ早くお届け出来るよう頑張りますので、引き続き読んでいただけると嬉しいです。