17・【番外編】紗良視点①
中間試験が終わり、あっという間に六月も半ば。前よりはかなり良くなったとはいえ、教室の私の周りの空気はやっぱり余所余所しさが残っていた。ちょっとした会話は出来るようになったけれど、相変わらずお弁当も移動教室も一人だし、親しいと言える友人もいない。
自分でもあと一歩踏み出せたら何かが変わりそうな気がしているし、積極的に話しかけるきっかけを狙ってはいるのだけど、そのきっかけがなかなか掴めないでいる。詩織さんのおかげでここまで改善されたのだから、最後くらいは自力で頑張ってどうにかしたいんだけどなぁ。
「おっ、紗良ちゃーん!」
移動教室からの帰り、一人で廊下を歩いていると友田先輩に会った。
この先輩も元々は詩織さんの友達の友達で、私のことをよろしくと頼まれたのだと聞いた。そう言って話しかけてくれた人は何人かいるけど、この人が一番頻繁に声をかけて気にかけてくれている。
会うたびにハグしてくると詩織さんに言ったら、なんだか微妙な顔をしていたっけ。
「友田先輩、こんにちは」
「こんにちは、今日も可愛いねー」
この人の口にする何の含みもない『可愛い』は嫌いじゃない。男の人が口にする『可愛い』には下心が、女の子の『可愛い』には敵意が混ざっていることが多いけど、友田先輩からはそれが感じられなかった。
「紗良ちゃん、今時間ある?」
「はい、まだ大丈夫です」
「そっか、じゃあ少しだけお姉さんとお話ししよう」
笑顔でこっちこっちと手招きされ、人気が少ない廊下の端っこに連れてこられた。いつもは立ち話する時も廊下の脇に避けるだけだったから、あまり人に聞かれたくない話をするつもりなのだと、少し緊張する。
呼んだ本人がいつもののんびりとした笑顔のままだから、悪い話ではないと思いたい。
「いやー、さっき小耳に挟んだばかりだから、忘れないうちに言っておこうと思ってさ。大した話ではないんだけど、紗良ちゃん、告白された時に『今は誰ともお付き合いするつもりはないので』ってお断りしてるのは本当?」
「本当ですけど……ダメでしたか?」
「いや、ダメじゃないよ。全然ダメじゃない。でも、ちょっと正直すぎるかなーって」
「正直すぎる……?」
そういえば、前にお父さんにも「紗良はバカ正直だな」って苦笑いされたことがある。自分では、嘘をつく必要がないから正直に言っただけだと思っていたから、なんでそうなふうに言われたのかはわからないままだったけど。
「正直なのは良いことだけど、この断り方だと『俺にもまだチャンスがあるかも!』って思われやすいんだよ。実際、諦めてない男子がいるっぽいしね」
「そう、なんですか」
「そうなんです。だからね、少しだけズルしちゃおう」
「ズル……?」
「うん、本当は彼氏がいたら一番手っ取り早いんだけど、せめて好きな人がいることにしておこう!」
「好きな人、ですか?」
そんな人はいないけど、良いのだろうか。今まで恋愛どころじゃなかったし、男の子と仲良くしたら更に悪化するから避けてきたのもあって、好きな人なんていたこともないのに。
告白されたことは何度もあるけど、私にとって恋心は未知のものだ。少女漫画みたいに自分が誰かに夢中になって、情緒不安定になってる姿なんて全然想像できない。
「今はその人が好きで他の人は考えられませんって言っておけば、少しはマシになるんじゃないかな?」
「わかりました。次の機会があればそう言ってみます」
「うん、頑張ってね。ちなみに、実際はどう? 好きな人いないの?」
聞かれて一瞬だけ詩織さんの顔が浮かんだけど、すぐに掻き消す。詩織さんのことは好きだけど、そういう好きじゃない。
「いないですよ」
「そっかー、いつか好きになれる人に出会えるといいね」
話はそれだけ! と、もう一度ギューっとハグをしてから友田先輩は手を振って去っていき、私も少し急ぎ足で教室へと戻った。恋バナにも満たない話だったけど、『好きな人』という単語に、少しだけソワソワと落ち着かない気持ちを抱えながら。
※ ※ ※ ※
それから数日後。ホームルームも終わって帰る準備をしていると、前の席の女の子が恐る恐るといった様子で「ねえ、ちょっといい?」と話しかけてきた。
この子とは最近少しだけ話すようになっていたけど、こんなふうに話しかけてきたことはなかったから、少し警戒しながら「いいよ、何?」と返事をすると、
「藤岡さん、好きな人がいるって本当?」
と、意を決したように聞いてきた。
そんなこと!? と驚いたが、やけにギラギラした目がちょっと怖い。それにしても、昨日お断りした人から情報が広まったのだろうか。ちょっと早すぎるんじゃないかな?
「ほ……本当、だけど」
言った途端、周囲がざわっとどよめいた。
え? と思う間もなく、他の女の子数名も駆け寄ってきて机の周りが包囲されたが、みんな揃って目が本気すぎる! 逃げたい……!
「その話、詳しく聞きたいんだけど!」
「好きな人って、誰? うちの学校の人?」
「あ、男子いるし、今ここで話すのはやめようか。このあと時間ある?」
「カラオケか、どこかでお茶しながら聞かせてよ。いい?」
あれよあれよと話が進められ、コクコクと頷くしか出来ないまま四人の女の子と連れ立って下校し、気づけば学校近くのカフェのソファに腰かけ、目の前には紅茶とダックワーズが置かれていた。
こんな時だけど、同じ学校の子と寄り道なんて初めてだ。想像とは随分違ったシチュエーションだけど。
「着いて早速だけど、藤岡さんの好きな人って誰?」
そうだ、この話をするためにここに移動したけど、さてどうしよう。今更、あれは嘘でしたなんて言えない。
好きな人がいるとは言ったけど、具体的に誰が好きかなんて聞かれると思っていなかったし、全然考えてなかった。今までそんな話をする人もいなかったんだから。
ああ、困った。えっと、好きな人好きな人……私の好きな人ね。
頭に浮かんだのは、やっぱり詩織さんの優しい笑顔。
そうだ。たとえこの気持ちが恋じゃなくても、私にとって詩織さんが『一番好きな人』には違いない。詩織さんをイメージして話したら、上手くいくんじゃないかって思った。
「あの……他の学校の先輩なんだけど」
そう言った途端、他の女の子達から小さく黄色い悲鳴が上がった。
「ねえ、どんな人? かっこいい?」
「顔はどっちかっていうと可愛い、と思う。すごく優しくて、頭もいいの」
「へー、藤岡さんは可愛い系が好きなんだ。告白はしないの?」
「告白は……」
頭の中で詩織さんに告白してみたら、「ごめんね」と困ったように微笑まれてしまった。うん、全然オッケーがもらえる想像が出来ない。想像しただけなのに、なんかちょっと凹んだ。
「私、妹くらいにしか思われてなくて……。今の関係を壊したくないし、困らせたくないんだ。告白はもっと女を磨いて、隣に立つのにふさわしくなってからにしたいなって」
「何それ、健気ー!」
「藤岡さん、めっちゃピュア! 私、応援するから!」
「私も! 頑張ってね!!」
どういうわけか、私がものすごく健気な恋をしていると思ってもらえたらしく、クラスの女の子達が口々に応援の言葉をかけてくれた。
他校の先輩を好きならライバルにならなくて安心したっていうのもあるかもしれないけど、こうして同学年の女の子から前向きな言葉をかけてもらうのも久しぶりで、応援してもらえるならいいやって思えた。
詩織さんも、女の友情は打算と利害関係が絡みやすいけど、仲良くできるなら細かいことは気にせず楽しんだ方がいいって言ってたし!
あの人、時々サラっと毒吐くんだよね。そういうとこも面白くて好きだけど。
「今までごめんね。藤岡さんのこと、誤解してた」
「うんうん。話してみたら、めちゃくちゃいい子だし!」
「藤岡さんさえ良かったら、これからはもっと仲良くしようよ」
「そうだ、明日からお弁当も一緒に食べない? あと、化粧水どこの使ってるか教えて!」
思いもよらなかったお誘いに、考える前に「うん!」と即答した。
これだ。これが欲しかった『きっかけ』だ。これをモノにしないと、絶対に後悔する。
そのあともいくつか好きな人について聞かれて答えていると、聞いていた一人が「本当にその人のこと好きなんだね。もう、話してる時の顔が全然違うもん」と笑った。
他の子達も「わかる~」と同意するけど、自分ではどんな顔をしているのかわからない。普通に話しているつもりだったんだけど。
でも、詩織さんのことは思い出すだけで心がほわっと温かくなるから、そういう気持ちが顔に出ていたのかもしれない。家でも時々、詩織さんのことを思い出したら勝手に顔が笑ってることがあるし。
「うん、好き」
初めて口に出して「好き」って言ってみたら、なぜか突然カァっと顔が熱くなった。さっきまで散々好きな人の話をしていたのに、「好き」っていう言葉は特別だったみたいで、なかなか熱が冷めてくれない。恥ずかしくてちょっと涙目になってしまった。
それを見ていた子達がまた「可愛い!」「乙女!」と盛り上がり始めて、最終的にはまるで猫みたいに頭を撫でられ、全員にハグされて解散となった。
友田先輩といい、女の子ってスキンシップが激しい。詩織さんがあまりそういうのをしてこないから、ギャップに驚かされてばかりだ。
「でも、一歩前進だ!」
もう少し溶け込めたら、今日のことは詩織さんに報告しよう。
好きな人のモデルにしたって言うのは少し恥ずかしいな。詩織さんのことだし、ちょっとからかってくるかもしれないから、言う時は覚悟しておかないと。
でも、絶対にものすごく喜んで「良かったわね」って言ってくれるんだ。それだけはわかる。
明日からの学校と詩織さんに報告する日が楽しみな私は、いつも疲れた顔で揺られている帰りの電車に、高校に入学して初めて明るい気持ちで乗ることが出来た。
報告する前に聞きつけた詩織さんに「紗良の好きな人って~」と、とってもいい笑顔で話題にされたのは、この数日後のこと。
読んで下さってありがとうございます。




