16・好きな人
中間試験も終わり、あの順位発表の数日後からは梅雨入りしたせいで、今日も朝からシトシトと雨が降り続いていた。今週に入ってからは青空をまったく見ておらず、癖っ毛の私は湿気ですぐに膨らむ髪のせいで、今まさに目の前に広がる灰色の空のような気分だ。
こんな気分でいるのは、何も雨のせいだけではない。試験後から色々と予定通りに事が運んでくれていないせいでもある。そのせいで、最近の私の周りは平穏とは言えなくなっていた。
まず、私の試験結果が一年生の頃よりも爆上がりしたせいで、――具体的にいうと学年首位だったせいで、生徒指導室にお呼び出しを受けた。
そりゃあ、一年生の時は常に中の上か上の下程度の成績だった生徒が突然トップに躍り出たら、教師は何事だと思うでしょうよ。さすがに証拠もなくカンニングを問い詰められたりはしなかったけど、少しは疑われているかもしれない。
何も悪いことはしてないのだから堂々としていれば良いのだけど、どうにも憂鬱な気持ちにはなるものだ。
そして、お呼び出しを受けたことはなぜか周りに知られ、今の私の周りは『カンニングしたんだって』という噂と『一位すごい!』という称賛に分かれていて、少々騒がしい。紗良の二位といい、自分の一位といい、調子に乗ってやり過ぎた。おかげさまで、出る杭として打たれまくっている。
幸い、紗良の方にはそういった噂が出なかったようなので、それだけが救いだ。
「美術部員は詩織が早めに部活休んで試験勉強してたの知ってるし、疑ったりはしなかったねぇ」
「そうね。部活でまでこんな視線を浴びなくて済んで良かったわ……」
「その分、『先輩すごいです! 今度、勉強教えてください!』って言われてたけどね」
「やめてよ、生徒は紗良ひとりでいいんだから」
ムカつくほど似ている陽子の物真似は、先日の部活での葵のものだ。相変わらず大きな瞳をキラキラさせて、極太の油性ペンで大きく『尊敬!』って書いたみたいな顔をして、さっきのセリフを言っていた。そしてその背後では、やはりこはるが黒い笑みを浮かべていた。
「島本ちゃんって詩織に懐いてるよね。いいなぁ、後輩から慕われちゃってさー」
「……そんなことないでしょ、陽子の方が仲良いじゃない」
そんな不吉なことを言うのはやめてほしい。こちらとしては出来る限り好感度を下げ、接点をなくしたいと思っているのに。
「うーん、普通に仲は良いけどね。でも、好きなのは詩織だと思うな。事あるごとに話しかけようとするとこ、健気で可愛いよね」
「……そんなことないでしょ」
あってたまるか! と言いたいのだが、否定しきれないのが悲しい。
確かに、葵はやけに私に好意的だと思う。角が立たない程度に素っ気なく接しているはずなのだが、それに気づいているのか気づいていないのか、いつも無邪気な笑顔を浮かべて話しかけてくる。もしかしてサブヒロイン効果だろうか。
何も知らない頃なら素直に嬉しかっただろうし、きっと可愛がっただろう。葵本人は何も悪くないのに、わざと冷たくしている私の罪悪感が半端ないので、無事にこはると結ばれた暁にはもっと優しくしてあげたいものだ。
「ほっといても人気者の島本さんより、私はまだ紗良のことで頭がいっぱいなんだけどね」
「確かに。春からの詩織はずっとそんな感じだ」
そう、これが私の心を灰色にしている最大の理由だ。
陽子のお友達情報によると、成績上位者になったことで紗良のポジションは『可愛い新入生』から『才色兼備の高嶺の花』にシフトしたらしい。一目置かれるようになったことで、クラスメイトの女の子とも話す機会は増えたようだが、仲良くなったとまでは言えない。イメージ的には、すでにグループが出来上がったところに放り込まれた転校生みたいな感じだろうか。
もうひと押し、何か溶け込むきっかけがあればと考えてはいるが、どうにもいい知恵が出てこない。そもそも、私自身が愛想を振りまくタイプじゃないのに、そう簡単にいい案が浮かぶわけないじゃないか! さっさと紗良の魅力にひれ伏せろ! と逆ギレのような気持ちでいる。
「紗良ちゃんといえばさー、告白を断る時、『今は誰ともお付き合いするつもりありません』って言ってたらしいね。友田に聞いたんだけど」
「友田……ああ、椿ヶ丘のお友達? そんな名前だったのね」
「言ってなかったっけ? ま、いいや。その友田が、『その断り方だと振られた方も諦めにくいから、好きな人がいることにしておきなよ』って、紗良ちゃんに言ったみたいでさ」
「ああ、なるほどね。いいんじゃない?」
そういえば、告白の断り方までは具体的に聞いたことがなかった。丁寧にお断りしてるとは言っていたので問題だと思ったことはないけれど、断る文句としては確かに弱いのかもしれない。まだチャンスがあると思う人はいそうだ。
「で、ここからが本題なんだけどね」
ニヤリと笑った悪友の勿体ぶった口調に、嫌な予感がした。絶対にろくなことを言わない確信があったが、紗良絡みの話なので「何よ?」と続きを促す。
「そのアドバイスを受けて『好きな人がいるから』ってお断りしたら、相手は誰だって話になるでしょ? それに対して紗良ちゃんは『他校の先輩』って言ってるらしいんだよね。どこの誰のことかな~? なんてね」
「……断るための方便でしょ」
「具体的に言うと、『頭が良くてすごく優しくて、料理も上手な人。初めて出会った時、ずぶ濡れになってた私に傘を貸してくれた』らしいんだけど、そんな人に心当たりは?」
「…………さあ」
これは確実に私をモデルにしてるな、と分かったが、わざわざ教えて陽子を楽しませる必要もないだろう。
それに、方便とはいえ好きな相手のモデルにするくらいには好かれているのだと、嬉しい気持ちもある。今度会った時、この話をしたらきっと、赤くなって『違うんです!』と慌てる可愛い紗良が見れることだろう。楽しみだ。
「あーあ、私も可愛い女の子に好かれたーい」
「はいはい」
「教室のドアから、こう『先輩、ちょっとお話が……』ってモジモジする後輩の女の子にお呼び出し受けてみたりしてみたくない?」
「あー、後輩じゃないしモジモジもしてないけど、お呼び出しはされてるみたいよ?」
「え?」
どこまで本気か分からない陽子の言葉に相槌を打ちつつ、無言で教室の後ろの扉を指させば、そこには大変いい笑顔で手招きしている生徒会長が。
「あ、忘れてた」と、陽子の顔が一瞬で青ざめた。
「おーい、そこのサボり書記。ちょーっとお話ししようか」
席を立ち、しどろもどろになって何か言い訳しながら扉に向かう陽子の後ろ姿を眺め、さっきの話を思い返す。紗良と恋愛の話をしたことはなかったけど、私をモデルに使うくらいなら今は好きな人はいないのだろう。
私が読んだ百合作品では、友達に好きな人や彼女について話す時に男性に置き換えて話すと言うのは王道だった。
こんなことを考えるなんて、自分でもどうかと思うけど。もし……もしも、なんだけど。
「これ、モデルが自分じゃなければ百合妄想して楽しめたのになぁ」
ああ、残念だ。もしこれが他の女の子だったなら、このどんよりした雲がかかったような気分も妄想の翼で吹き飛ばせただろうに。それだけでご飯三杯は軽かった。最近、忙しくて摂取できなかった百合成分の補給になったのに。
とはいえ、好いてくれているのもそれと同じくらいに嬉しくて、少しだけ晴れやかな気持ちになったのも事実だった。人の心は複雑である。
そして、後日。
紗良に片思いの相手がいるという噂が話題になったことがきっかけで、クラスの女の子に溶け込むことが出来たらしい。
いつの時代も、あんな進学校に通う女の子達でも、恋愛の話は大好物なようだ。どんな人なのか、どんなところが好きなのか、事細かに聞かれては答えられる範囲で答えているうちに仲良くなり、椿ヶ丘では紗良の片思いの相手はめちゃくちゃにハイスペックな他校の男子だと思われているとのことだ。
ごめん、実際は勉強しか取り柄のない普通の女子高生です。
「最終的なお手柄は友田さんだったわね」
「ううん、詩織さんも好きな人役で大活躍だったよ!」
あれだけ頭を捻って考えた作戦より、全然別の目的だったアドバイスが決め手になったことはほんの少しだけ悔しいけれど、紗良の幸せの前では些細なことだ。
紗良が周囲に『好きな人』がどれだけ素敵な人か話しているのを聞かされるのも、……出来ればやめてほしいけど些細なことですとも。
読んでくださってありがとうございます。