13・成績は大事です。
「陽子にお願いがあるんだけど」
昼休み、生徒会室に向かおうとする陽子を呼び止めそう言うと、用件も聞かずに「詩織の巨乳を揉ませてくれるならいいよ」といい笑顔で言われた。
まったくコイツは……! いや、でもまあ女同士だし……、揉ませたら頼みを聞いてくれるなら少しくらい……と、無言で考え込んだ私に、いつもヘラヘラしている陽子が珍しく慌てた。
「え! なに!? いつもみたいにバッサリ切り捨てないの!? 待って待って、わりと本気のお願いってことだよね?」
「まあ、そうなんだけど」
胸を揉ませるか一考しただけで本気度を窺われてしまうのもどうかと思うんだけど。というか、日常的にそんな要求をしてくるんじゃないわよ、まったく。
「よし、今日の昼は生徒会サボる! お昼食べながらでも聞かせてよ」
「ええ、ありがとう」
「うーん、詩織が素直だと調子狂うね」
……本当に失礼な。もしかして、罵られたいのかしら。実はドMなの?
天気も良かったので中庭のベンチに移動して、紗良についての話をした。陽子の友達の話は正しかったこととその補足。どうにかして彼女が平和な高校生活を送れるようにしたいということ。陽子の人脈を使って、気にかけてあげて欲しいということ。
フレンドリーな陽子は顔が広い。校内外、年上年下関係なく友達が多いので、彼女に協力してもらえるならそれだけで心強いのだ。
「オッケー、そういうことなら任せて。信用できる女の子何人かに声かけておくよ」
「ありがとう、助かるわ」
「いえいえ、可愛い子が悲しい思いをするのは忍びないし、詩織の生乳が揉めるならこれくらい」
「誰が生で揉ませるなんて言ったのよ! そもそも、まだ揉ませるとも言ってないでしょ!」
恐ろしい。ちょっと油断したら、レートが跳ね上がっていた。紗良のためなら胸の一つや二つと考えもしたが、さすがに直はない。そんなの考えもしなかったわ。
反射的に胸を両腕でガードして後ずさる私を、陽子は楽しそうに眺めていた。
それは残念、とケタケタ笑い声を上げる悪友にからかわれたのだと気付いて、いつもなら足を踏むなり脇腹に一撃入れたりするところなのだが、頼み事をした手前、今回は手は出さずにため息ひとつで堪えた。
「それにしても、珍しいよね。詩織が誰かにこれだけ入れ込むのって」
「それは……まあ、そうかも」
記憶が戻る前も戻ってからも、『杉村詩織』は誰かに特別入れ込むような性格ではない。自分で言うのも何だが、人当たりが良くソツがないので誰とでも適度に仲はいい。けれど、親友や恋人といった特別枠はいない。そういうタイプだ。
陽子とは仲が良い方だと思うが、親友と呼べるほど特別な関係ではない。多分、お互いに。
「詩織が大事にしてるってだけで興味わくなぁ、紗良ちゃんに」
「良い子よ。もう少し強気な性格なら、あの顔でもここまで苦労しなかったでしょうにね」
「女の嫉妬は怖いねぇ」
「まったくだわ」
もっとも男の嫉妬もそれなりに怖いのだが、ここでそれを言うと大興奮で根掘り葉掘り聞かれそうなので、そっと胸の内にとどめておく。
さて、これで椿ヶ丘での協力者は一応確保できた。少数でも気にかけてくれる女生徒がいれば、それだけで紗良の居心地は多少良くなるだろう。何より『話しかけたらヤバい存在』でなくなるのが大きい。話しかける人がゼロなのと少数でもいるのとでは大違いだ。
あれだけの美少女、密かにお近づきになりたいと思っている生徒は絶対にいる。きっかけさえあれば、一気に人気が出る可能性だってあるだろう。
「機会があれば、紗良ちゃん紹介してよ」
どこまで本気なのか、自分も美少女とお近づきになりたいと陽子が言う。本当にどこまでもブレない。結局、胸を揉む話も有耶無耶にしてくれているし、もしかしたら彼女なりの気遣いなのか……いや、考えすぎだ。
「あの子にセクハラしないならね」
そう念押しした私を、「あはは、やっぱり過保護!」と陽子がお腹を抱えて大いに笑う。
愉快そうな彼女の脇腹に、私は今度こそいつもの一撃を加えてやった。
※ ※ ※ ※
陽子に相談をした日の放課後、私は紗良の家を訪れていた。もちろん、今後の作戦会議のためである。学校内に協力者を作ったとはいえ、それだけではまだ弱い。打てる手はどんどん打っておくべきだ。
「というわけで、勉強するわよ」
高らかにこう宣言した私に、紗良はコテンと可愛く小首を傾げた。何、その子猫みたいなしぐさ。可愛い。
「詩織さん、勉強は毎週一緒にしてると思うんだけど……」
「ああ、違うの。そういう普段の勉強じゃなくて、試験勉強のことよ。中間試験、今月末でしょう?」
「ああ、うん。そうだけど、なんでまた急に?」
対策会議ではなかったのかと、ますます訳が分からないという表情を浮かべる紗良。
そうか、高校に入ったばかりの彼女はまだわからないのか。進学校には、成績によるヒエラルキーが存在するということを。
「椿ヶ丘みたいな進学校はね、成績がいい人ほど偉い! みたいな傾向があるのよ。もちろんそれが全てじゃないけど、成績が良ければ一目置かれるっていうのはあるわ」
「目立って余計に悪くなるってことは……」
「ゼロではないけど、椿ヶ丘レベルになると大丈夫だと思うのよ。見てきた経験上、偏差値と反比例するわね」
成績至上主義のバリバリの進学校なら、本能かってくらい成績優秀者への嫌がらせは減るし、それでも理不尽に仕掛けていく人がいれば、むしろ白い目で見られるらしい。
これは子供の頃から「成績が良い人が偉い」という教育を受けてきた結果だと思う。
絶対に良くなるとは言えないが、やる価値はあるだろう。
「というか、成績が悪ければ『顔しか取り柄のないバカ女』って陰口叩かれる心配した方がいいわね」
「わかりました、勉強します!」
改善する未来は見えなくても、悪化するイメージはしっかり出来たらしい。即座にいいお返事をしてくれた。
気持ちはわかるが、もう少しポジティブな気持ちを持ってもらいたい。本人がオドオドしていると、周囲が平和になっても結局元どおりになってしまう。弱い人間を見つけるのがうまい人間は、残念ながらどこにでもいるのだ。
だが、もう何年も人間関係で挫折を味わってきたのだから、この程度で済んでるだけで大したものなのかもしれない。
「最初の印象って大事よ。あと、一年生の一学期中間試験なら科目が少ないし勉強範囲が狭いから、短期間の勉強でいい点数が取りやすいの」
「なるほど!」
「数学は散々教えたから、あとはいつもの予習復習に少し手を加えるだけでどうにかなると思うわ。他に心配な科目はある?」
「文系は自力で大丈夫。世界史と生物は、死ぬ気で暗記する。化学は……詩織さん、得意?」
「まかせて」
自慢だが、前世の大学時代に家庭教師のバイトで理系科目も文系科目も教えてきた私に、死角はほぼない。もちろん多少の抜けはあるが、少し勉強すればすぐに思い出せる程度だ。
古典や漢文はそれなりだったが、こっちは今世の私が得意としていたから二年生までの範囲なら問題ない。前世と今世で苦手なところをフォローしあえているなんて、素晴らしいじゃないか。
「詩織さんのスペックが高すぎる。……他にも何か特技とか隠し持ってそうだよね」
「別に隠してないけど、英語と韓国語ならネイティブでいけるわね」
海外の百合作品にも手を出すために勉強しましたからね! フランス語を勉強中に死んでしまったのは残念だ。未だに死因は思い出せないけど。
「なにそれ、やっぱりハイスペック……実は武道の達人とか言わない?」
「達人ではないけど、護身術はかじってるわよ。あと、着付けも出来るから、夏は浴衣着てお祭り行きましょうか」
「詩織さんって、ホント何者? 美人でスタイル良くて勉強できて、おまけに強いって……超人なの?」
ただの百合オタですが何か? まあ、護身術も着付けも、ハマった作品の影響で習っただけなんだけど。護身術は楽しかったから続けてたけど、今後もし紗良がこはるに襲われることがあっても、そばにいれば守れるかもしれない。やっててよかった護身術!
「趣味が高じただけよ。でも、ほら。そのおかげで紗良の力になれて良かったわ。一緒に頑張りましょうね」
「詩織さん……。うん、私、頑張るね!」
やる気に満ちた目を見て、これなら大丈夫そうだと確信する。こうなれば、とことん付き合おうじゃないか。推しを応援することこそ、オタクの本業だ。
「じゃあ、早速やりましょうか!」
「はい!」
この後、めちゃくちゃ勉強した。
読んでくださってありがとうございます。