このゲ-ム、バグってます!なんとかしてください!
新連載、始めました。
気がつけば、暗闇に一人、立っていた。
上下左右、どこまでも深い闇に覆われている。
何も見えない。手を伸ばしても壁はなく、自分の息遣いすら聞こえない、虚無の空間。
恐怖に竦みあがる身体を落ち着けるように、深く息を吸った。
(大丈夫。ここはたぶん、『守護獣召喚の間』。この先私をずっとサポ-トしてくれる、守護獣の召喚場所……)
ゆっくりと息を吐いたとき、それに呼応するように、青い光が現れて、大きな円を描いた。金色の複雑な紋様が円の中心に描かれたかと思うと、ぱあっと虹色の光が視界いっぱいに広がった。その眩しさに、思わず瞼を閉じる。
その途端、足場が消えた。
「!?」
びゅうん、と風を切る音がする。
「いやあああ怖い怖い落ちてる-!」
落下している。それもものすごい勢いで。
うっかり床に落として潰れたトマトを思い出す。私もあんなふうになるんだろうか。ああお父さんお母さんごめんなさい、あなたたちの一人娘はゲ-ムのチュ-トリアル中に足場を踏み外して死にます。不甲斐ない娘をお許しください-。
「おい!」
焦ったような男の人の声とともに、白いものがぶつかってきた。衝撃で、目の前に火花が散る。
(……あ、これ、死んだわ)
そう思ったのを最後に、私-小日向奈緒は、二十三年の短い人生を終えたのだった。
「……って、いやいや。そんなわけあるか」
むっくりと起き上がる。
「ここはゲ-ム。すなわちここで死んでもリアルでは生きてる。アーユーオ-ケ―?」
「なにがアーユーオーケーだ。当たり前のことだろう」
頭上から声が降ってきて、顔を上げる。目の前に、狼がいた。
ぴくぴく動く尖った耳。灰色の目に、灰色の毛並み。ばさり、と大きな尻尾が揺れる。
「……え。狼さん?なんで?」
ぽかんと口を開けた奈緒に、狼はくっと喉の奥で音を立てた。一拍遅れて、笑っている、と気づく。白い牙がむき出しになって、正直かなり怖い。
「どうやら俺は、お前の守護獣らしい。……こんな間抜け顔の主人では、仕え甲斐があるかどうかも疑問だが」
主人に対してずいぶんな言い方だったけど、私にはそんなことを気にする余裕はなかった。想像していたちんまりした愛らしいフォルムと、目の前の狼を比べて、絶叫する。
「……え、えええええ!?嘘でしょ、確か守護獣ってもっと可愛いキャラだったよね!?狼なんていなかったよ!?」
「……っ、叫ぶな!頭に響くだろう!」
うるさそうに首を振って後ずさる狼をよそに、必死に頭の中の知識を漁る。
今私がプレイしているゲ-ム「シェリストルの赤薔薇」は、日本初のフルダイブVR乙女ゲ-ムだ。日本から異世界の王国レインディ-ルに来てしまった主人公が、聖女として城に迎え入れられ、やがてそこで出会う見目麗しい攻略対象達と恋をするという設定なのだけれど、そこでの生活をサポ-トしてくれるのが守護獣だ。ゲームの進め方、魔法の使い方、果ては好感度の上げ方まで、基本的なことはこの守護獣に聞けばだいたいわかる。
さらに、スト-リ-を進めれば戦闘が発生し、そこでも守護獣は役に立つ。主人公を守り、戦闘をサポ-トする。絆を深めればさらに能力がアップし、強敵にも立ち向かえるようになるのだ。
そんな守護獣の見た目は、事前の説明ではウサギとネコ、リスの三種類に分かれていて、それぞれ使えるスキルが異なるとあった。ウサギだと戦闘時のスピ-ドアップだし、ネコだと攻撃力アップ、リスは防御力アップという具合だ。
(でも、狼なんて聞いたことない。それに、さっきの召喚の間で突然足場が崩れたから、契約の儀式すらしてないよ。本当は守護獣に名前をつけて、主人公の名前を設定しないといけないのに……大丈夫かな、このゲ-ム)
チュ-トリアル中はログアウトできないのが恨めしい。不安に駆られて服の裾を握りしめた私は、狼の呟きを聞いていなかった。
「だいたい俺だって、こんなの聞いてないんだ。異常が起こってないか、見回る役目を引き受けただけだっていうのに……一プレイヤ-の守護獣とか、話が違いすぎる」
ため息とともに吐き出されたその言葉は、冷たい石造りの部屋に反響して、消えていった。
「とりあえず、守護獣の契約を済ませておくぞ」
唐突にそんなことを言われて、私はぱっと顔を上げた。
「えっ。できるの?ここで?」
「場所の指定はされてないはずだ。名前を言え。それで契約は完了だ」
ずいぶん簡単だなあと思いながらも、私は言われた通りに名乗る。
「私は小日向奈緒。小さいに日向で小日向、奈良県の奈に、いとへんに者って書く緒で奈緒……って、あ-!」
「だから、叫ぶなと何度言ったら……」
ピコン、という効果音とともにステ-タスウィンドウが表示され、名前の欄に「小日向奈緒」という文字が浮かび上がってから、思わず叫ぶ。狼の小言は、それどころじゃないから無視した。
「やっちゃったよ……もっと別の名前にしようと思ってたのにぃ」
がっくりと項垂れる。謎のバグは起きるし、守護獣も思ってたのと違うし、なんかもう、散々だ。これはチュ-トリアルが終わったら、やり直さないといけない。
(でも……この狼と別れるのは、ちょっと惜しいかも。可愛くはないけど、もふもふだし、抱き枕にちょうど良さそうだし……)
「おい、何をぼけっとしてる」
「え?……ああ。この名前、変えられないの?本名はさすがに、やだなあ」
抱き枕にしようとしていた、とはさすがに言えなくて、なんとか誤魔化す。
「残念ながら、無理だな。諦めろ」
「ええ~!そこをなんとか。ほら、守護獣パワ-とかで!」
縋る私を呆れたようにこちらを見下ろして、狼はやけに尊大な態度でふん、と鼻から息を吐いた。
「馬鹿なことを言っている暇はない。あれを見ろ」
狼が鼻先で示したほうを見ると、人が座っていた。真っ白いワンピ-スに、長い金色の髪からして、女の人だろう。
彼女はゆらりと立ち上がると、ふらふらした足取りでこちらに向かってきた。途中で、ぐらりと身体が傾く。
「危ない!」
咄嗟に駆け寄って支えると、ありがとうございます、と掠れた声が耳もとで聞こえた。
「聖女様……わたくしの呼びかけに応えてくださったのですね」
良かった、とほとんど吐息のように呟いて、彼女はかすかに微笑んだ。
「どうか、この国を……レインディ-ルをお救いください」
それだけを言い残して、彼女は地面に崩れ落ちた。
「えっ!?ちょっと、大丈夫!?」
「落ち着け。魔力切れだ」
あわあわする奈緒をよそに、狼はのそりと立ち上がる。
「異世界から人間を召喚するのには、膨大な魔力を必要とする。本来なら数人がかりでやるようなやつを一人でやったんだ、魔力切れにもなるだろうな」
「えっ……他に誰もいないの?それに、ルシュカは……」
わくわくして何回もあらすじとイメ-ジ画像を読み込んだから、さすがに覚えている。もっとたくさんの人が主人公を囲んでいて、その中心で筆頭魔法使いで攻略対象のルシュカ・ベルナーが「初めまして」って優雅に挨拶するはず……。
きょろきょろと周りを見渡すけれど、誰もいない。他の人がやって来る様子もない。
「そんな……何が起こってるの」
途方に暮れて、腕の中でぐったりしている少女を見下ろす。青ざめたその顔に、ふと既視感を覚えて、まじまじと見つめた。
記憶を探って思い出す。「シェリストルの赤薔薇」の主要キャラクターの一人。イラストだと気が強そうな表情だったから分からなかったけれど、この子はもしかして。
「……悪役令嬢の、オーレリア・フォーレン?」
(……どういうことなの?)
悪役令嬢オ-レリア・フォーレン。攻略対象である王子の婚約者候補で、聖女となった主人公にいろいろと意地悪を仕掛けてくる……らしい。正確に何をされるのかまではさすがに分からなかったけれど、たった一人で主人公を召喚するのは嫌がらせには含まれてないはずだ。倒れてまでやることじゃない。
ここまで来れば、さすがにおかしいと気づく。守護獣が事前説明とは違うことは百歩譲って見逃すとしても、「守護獣召喚の間」での守護獣との契約の失敗に、聖女召喚のやり方が事前の説明とは明らかに違うこと。
すうっと息を吸い込んで、肺に限界まで息を溜めて——それを、一気に吐き出した。こういうフルダイブ型のゲ-ムにはいるらしい、NPCにまぎれてこのゲ-ムの中でシステムをチェックしている、誰かに届くように。
「このゲ-ム、バグってます!なんとかしてくださ—ぃうえっげほっ」
「……」
最後で息が喉に詰まって、むせた。咳き込む私に向けられる、狼の視線が痛い。
「馬鹿かこいつ……いや馬鹿なんだな、そうか」みたいな、納得と冷ややかさと憐憫の混じった視線はつらい。いくら能天気な私でも、心が折れる。
でも、と腕の中のオ-レリアを見下ろして思う。やっぱり、これは絶対、おかしい。
だから、さっきの轍を踏まないように、心の中でだけ、もう一度叫んだ。
このゲ-ム、バグってます!なんとかしてください!