ねことあーと 2
ねこさんの奇襲に何とか耐えきった俺はようやく海に入る準備が整った。
幸い周りに人は少なく、まばらだ。ねこさんも耳としっぽをそこまで気にしなくても良さそうだ。
最初は恥ずかしがって渋っていたねこさんもしばらく述懐に励むとなんとかパーカーを脱いで水着姿になってくれた。うむ、何度見てもやはり良いものだ。
俺とねこさんはひたすらに遊ぶことにした。
まずは軽く泳いでみたり、砂浜で寝転んでみたり、バレーボールや浮き輪、ビニールボートを借りてみたり、思いつく限りの遊びを楽しんだ。
「ふぅ、ねこさん、喉乾きませんか?あそこの海の家で何か買いましょう」
ドリンクを2人分買ってねこさんと近くの岩場に腰を下ろす。
「……っはぁ、美味しいですね。やっぱりこういう所で飲むとジュースも格別に美味しいですね」
「はい、駅弁と同じです」
ねこさんはそう言いながらストローをちうちうと吸って喉を潤していた。
二人で肩を並べて遠くを見つめる。
なんとなく、こう、いい雰囲気だ。
「……ありがとうございます」
黙ったまま二人で太陽を眺めていると、ねこさんは突然感謝の意を述べた。
「……どうしました?」
「今回はねこのわがままを聞いてもらいました。いきなりここへ来たいだなんて行ったのに叶えてくれて、ねこはとても幸せです」
「こ、これくらい、ねこさんのためならなんて事ないですよ」
「本当、ですか?」
「はい、もちろんです」
「……好きです」
ヘァッ!?
ね、ねこさんが突然ス、ス、スキッテ!?
「えっ、あっ、おれ、あ、ぼくもです!」
「……ふふ。……あの」
「うっ、恥ずかしい……って、はい?」
ねこさんは微笑んだと思えば、今度はゆっくりと身体を近づけてきた。
そして両手で俺の体に優しく触れ、顔を寄せてきた。
「好き、です」
「僕も、です」
流石の俺もねこさんの望むことに気づき、身構える。
「そうやって、ねこの前では言葉や態度を優しくしてくれるところも、普段の明るくてかっこいい所も、全部好きです」
ねこさんが、ねこさんの顔がどんどん近くなっていく。
その声は普段よりも数倍甘く、耳から脳を溶かしてしまいそうなそんなとろける声だった。
二人の距離は近くなっていき、そして……
pppppppppp!!!
「うぉっ!?」「うにゃっ!?」
な、なんだいきなり!?
……って、時計が鳴ってる……?ってことは……
「お、おぉ、これで通じたようだな、よしよし」
……部長……あなた……タイミング……
「むぅ……」
ほら見ろねこさんもちょっと機嫌損ねてるやん。
「……どうされました?部長……」
「ああ、いや、財団が前に依頼して『博士』に作って頂いたこの腕時計型通信機、時計としてはもちろんこういった通信にも使えるからと何かあった時のために君たちに持たせて置いたが何せ渡したぶんはしばらく使っていなかったからね。実践テストって訳では無いが連絡をしてみたのさ」
……今……?
「むっっぅ〜」
ほら見ろねこさんも機嫌損ねたあげくよく分からん唸り声出してるやん。
「……それと、一つだけ伝えたいことがあってね」
部長が先程とは変わって少し真剣な、何かを警戒するような声を出す。
「……いや、本当はこんなことは君たちに伝えるべきではない。それは分かっている……だがきっと、君たちならどうにか出来ると信じているからこそ、伝えておく」
そんなにヤバい話なのか……?ねこさんも隣で不安げな表情をうかべる。気がする。あんまり大きな変化はないからわかりにくいが。
「どうやら、財団の中にSCPオブジェクトに異常な興味を持つ者がいるらしい。詳しくは分からないが、単なる好奇心や研究意欲のレベルを超え、もはや執着と言える程の興味を示している、とかなんとか……噂で聞いた話だからどこまで真実なのかは定かではないが……研究のために人型実体を捕らえようとまでしている、とか……」
……嘘やん
非常にきな臭い話になってきた。
「それでもし、君たちの身に何か起きたら、と思ってな。すまない、せっかくの旅行に水を差すような事を……」
「い、いえ……心配してくださってるのは分かりますから」
「君たちには、そのネックレスが、酩酊街からの贈り物がある限り大丈夫だとは思うが、何かあったらすぐに頼ってくれて構わない。君たちがどこにいても我々は必ず救いに行く。わかったかね」
「はい、ありがとうございます」
大丈夫、部長も言ったように、不思議なネックレスが俺たちを照らしてくれている。
だから絶対に大丈夫さ。
ねこさんも隣でネックレスを眺めてニコニコと微笑んでいる。
俺たちの思い出を塗りつぶすなんて誰にもできない。そう確信していた。
すっかり日が落ちてきたので俺とねこさんは宿へ戻ることにした。
「ねこさん、楽しかったですか?」
「ええ、もちろん。あなたがいてくれたからとても楽しかったです」
ねこさんが超素直だ。幸せ。
「にゃーん」
「あ、野良猫……」
ねこさんはそう呟くと、恋人繋ぎをそっと解いてトコトコと野良猫の方へ歩いていった。
「ねこです。よろしくおねがいします」
「にゃーん」
お、おお……?会話、しているのか?
「どこから来たのですか?」
「にゃーん」
「ふむ、家族猫はいないのですか?」
「にゃーん」
「なるほど、それにしてもいい毛並みですね」
「せやろ」
うーん、恐らく会話できている?ようだ。
なんて感心していた俺だったが……
「っ!?!?!?!?!?」
とんでもない事に気づいてしまった。
ねこさんは野良猫に話しかけるためにしゃがんでいる。
さらに、猫要素がねこさんの中にあるのか、膝を着いて対面している猫とほぼ同じような四つん這いの姿勢で話しかけていた。
それはつまり、腰から下を後ろに突き出し気味になるわけで……
昼間ももちろんらねこさんの水着姿を見ていたが、遊んでいたし普通に全体像を見ていたのであまり深くは考えなかったが、姿勢のおかげでパーカーがめくれて露わになった腰下が俺が立っている後ろ側に突き出される姿勢というのは、その……なんとも……その……
「では、さようなら……おや、どうかしましたか?」
「パッチェ!なんでもないです!本当に!」
「は、はぁ……」
危ない。ねこさんに見破られて嫌われてしまっては一巻の終わりだ。死んでしまう。それだけは避けねばならない。
なんとか何を乗り越えて、再び手を取り合って歩き出す。
「夕食、楽しみです。どうやら和食のようですね。ねこはレストランでは洋食ばかり作っていたので、今回いただく料理を新メニューの参考にしたいです」
「なるほど、いいかもしれませんね。和食好きな職員もいますから」
ねこさんが味噌汁や卵焼きを作った日には今すぐプロポーズしたくなる。そんな勇気は微塵もないが。誰がヘタレだやかましい。
ゆっくりと歩いているうちにあの旅館へ帰りついた。
「あら、お帰りなさい。こんな所でついでのように聞いて悪いんやけど、お夕飯何時にされます?今から1時間後以降やったら何時でも用意させてもらいます」
旅館に着いてすぐ、ぱたぱたと忙しそうな女将さんに会ってそんなことを聞かれたので、「1時間後で」とお願いしておいた。
「それにしても、お二人偉い仲がよろしいんやね」
「え、ええ……」
「さっき財団の方から電話あってね、なんてことない定期連絡みたいな物やってんけど、ええ機会やからお二人の事ちょっと聞かせて貰ったんよ。……んふふ、女の子のために本部の凄いお偉いさんに怒鳴ったり、大企業が何社も必死になってお兄さんを助けに行ったり……面白い話を聞かせて貰ったわあ。お兄さんほんま一途でカッコイイ人なんやねえ……ねね、お兄さん、その様子やと……ねこはんとはまだやろ……?良かったらウチが相手させて貰いますけど……?」
「だっ!だめです!!か、彼はねこの!こ、こっこっ、こっ、恋人なんですから!」
そう言ってねこさんが腕に絡みついてきた。
やめて頂きたい。柔らかい。いい匂いがする。うがががが
「んふふ、冗談やて……冗談……」
そう言う女将さんの目は怪しく、妖しく光っていた。
部屋に戻り、お腹がすいていた俺達は楽しみの温泉を後に回し簡単に身体を拭いて食事の時間までのんびりしていた。
外が見える窓の近くに小さなテーブルと椅子があり、俺とねこさんは向かい合う形でそこに腰をかけていた。
「……さっき、あの人の身体に見蕩れていませんでしたか」
「え、えっ?ねこさん?」
「もしかして、女将さんとそういうことしたかったんですか?」
「い、いやいや!何を言ってるんですか!」
「……ねこのこと、好きですか?」
「当たり前じゃないですか!」
「……じゃあ」
そう言ってねこさんは身を乗り出してきた。
あ、昼間のリベンジだ……よ、よし、今度こそ……
ねこさんが目を瞑る。俺がねこさんの意図に気づいたことを察したようだ。
俺は近づいてきたねこさんの肩に手を置く。
今度こそ、今度こそ……
トントントン
「「!?」」
「失礼します、今よろしいでしょうか?お夕飯の支度が出来ました、お持ちしてよろしいですか?」
え、も、もうそんな時間か……!しまった……!
ねこさんも顔を赤くしてプルプル震えてしまっている。
「あ、え、えっとお願いします!」
仕方ないので夕飯にしよう……はあ……
女将さんと仲居さんが持ってきてくれた料理はそれはそれは豪華だった。
鮪、鰤、鯛をはじめとした海鮮に和牛、野菜も全て朝採れの抜群に新鮮なものだと言う。
「す、すごい……!」
「んふふ、喜んで頂けましたやろか。こちら、食材は『石榴倶楽部』様からご提供頂きました各方面で最高級のものばかり。調理はなんと『弟の食料品』と『闇寿司』の方々にご協力いただきました。まさに最高、絶品の夕飯でございます。さあお召し上がりください」
な……なん……だと……
今上がった名前はどれもグルメ界隈では知らない者はいない超一流団体ばかり……なんて旅館だここは……
女将さんが下がってからというもの、俺とねこさんは夢中で食事を楽しんだ。
盛り付けによって見た目から楽しませに来ている料理達は、味はもう格別も格別だった。
素晴らしい……素晴らしい……
夕飯を終えた俺達の部屋に時間を見て片付けに来てくれた女将さん達。ふと俺は思い立ち、女将さんに問いかけてみた。
「女将さん、この辺りに何か面白いところはありませんか?
目当てにしていた海は今日入ったし、温泉は後々入るので、他に何か面白いところがあれば教えていただきたいんですが……」
「んー、そうやねえ……ほんなら、向こうの通りに最近できた美術館はどないですやろ。なんでもアメリカから来日したらしくて、和洋折衷をテーマにこの街にピッタリのアートを手がけてるって噂でしてねえ、最初は住人たちもどないしたもんか言うて不安がってたんやけど、いざ見に行ったら最高にいい所らしくて、オススメします」
「本当ですか、ぜひ行きたいです」
お、ねこさんが食い気味に乗り気の返事をした。よし、明日はそこにしよう。
「ありがとうございます女将さん。明日はそこに行ってみようと思います」
「ほんま、なら詳しい住所書いてお渡ししますね」
ほう、そこまで遠くないようだな。よし、起きたら出発しよう。
もちろんこの後温泉に入る時、そしてなにより内風呂を使う時、就寝する時に色々とあったが、それはまた別の機会に話そう。
……本当に色々あった。うん。
翌日。
「ついた、ここが……」
「大きい建物、ですね……」
俺とねこさんは美術館へと来ていた。
想像していたよりも大きな建物だ。
早速中に入ってみよう。
「うわ、すっご……」
展示されている美術品はどれもとんでもない怪作ばかりだった。
パッと見はかのゴッホやルターなど有名な海外の絵画を彷彿とさせる出来上がりなのに、近づいてみると全てが細かい花柄で描かれていたり世界各国の国旗を繋ぎ合わせて見返り美人図のような人相絵を描いていたり、とにかく和を素材に洋を、また洋を素材に和を生み出している。
「すごいです……これがアートでしょうか……ねこには難しいですけど、思わず見蕩れてしまいます……」
「はい、凄いですねこれは……来てよかったです……」
あとよく見たら美術品がたまに動いている。絵の中の人物は楽しげに会話をしていたりなんならこちらへ話しかけてくる。
そういえば……ここの美術館の主は誰なんだろう。勧められるがままに来てしまったけれど、作者をちゃんと見てなかった。まだまだアートには疎いな。
えーっと、館長は……
「『Are We Cool Yet?』……?もしかしてグループ名か何か、なのか……?」
「なんというか……」
「……?ねこさん?」
「こういうの、なんて言うんでしょう、こう、ただ凄いというより……」
「COOL、だろ?」
突然背後から声をかけられた。振り返ると、長い赤髪を豪快にポニーテールに束ね、そこらのグラビアアイドルよりも抜群の胸をなんてことないTシャツに無理やり押し込め、スラっと長い脚をホットパンツでより魅力的にした女性が立っていた。
「やあ、来てくれてありがとう。私は今回の来日イベントのリーダーの……名前は……あー、ミシェル?カーリー?いや、ありきたりだなあ……うーん、キティ、そうだ、キティだ。どうだ?COOLな名前だろ?」
「え、え?COOLな名前って……?」
「……?」
俺もねこさんも思いっきり困惑している。
「まあ名前なんていいじゃないか?な?それより、館内を私に案内させてくれよ!せっかく君達が来てくれたんだ、この為に日本語を勉強したんだから!」
……どういうことだ……?
まさか財団の関係者なのか?それに、Are We Cool Yet?……どこかで聞いたような……
「……ねこさん、どうしますか?」
「わ、悪い人ではなさそうです。せっかくなので色々と教えてもらいましょう」
はあ……ほんとにねこさんは優しすぎる。そんな所が大好きなんだけど。