表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
芸犯~こちら芸術犯罪解決サークルです~  作者: 今和立
写真論入門 ~夢の青空~
8/31

写真論入門~②~

ガタンゴトン、ガタンゴトン……

 電車に揺られること二時間。規則正しく続くリズムに意識が遠のいていく。

 この電車は埼玉県のとある村へと向かっていた。


「なんでお前がいるんだ?」


 隣に座る円先輩が尋ねてきた。先輩は登山道具一式と山登り用の軽装に身を包んでいる。


「『なんで』って、私も写真の真相を知りたくて。いけませんか?」


 そう言う私は、小さなリュック一つに、ジーパンとポロシャツといった、すぐそこの公園にでも出かけるかのようなスタイルだ。


「ふーん」


 そういうと先輩は、向かいの車窓から見える景色に目を戻した。

 私たちが乗っている電車には、ほとんど乗客は乗っていない。電車の振動音が無ければ、静かなものだろう。


「ところで先輩、あの写真の価値ってどれぐらいのものなんですか?」


 私は暇になったので訊いてみた。

 先輩は写真を取り出すと、しげしげと見ながら、「0円だ」と言った。


「写真表現で重要なのは、被写体との黄金分割、コントラスト、構図の線などが挙げられる。

黄金分割とは、黄金比とも言う。そう、『ミロのヴィーナス』の黄金比だ。上半身を一、下半身を一.六とした構図で、最も美しく見えるとされるプロポーションの比率だ。これは数学においても証明されている。実は国旗の日の丸もこれと同じ比率で、全体の約三分の一を赤い部分が占めている。写真にもこれを当てはめて、対象物を三分の一、背景を三分の二という比率で撮影するとよい作品となる。

次にコントラストだが、これについては絵画の授業でも習っただろう。例えば真昼の太陽が射すときの対象物の色や影などと、日が沈んだ後の対象物の色や影は驚くほど違う。これは、太陽の光が赤外線を含んでいるためで対象物が赤く、明るく見えることが原因だ。しかし、反対に太陽が沈むと赤外線が届かなくなることで色調が薄れ、対象物の雰囲気も一気に変わる。

対象物の線も重要だ。特に植物や静物などではよく理解しなければならない。対象物は縦なのか横なのか、または斜めなのか。それに合わせ、カメラは縦なのか横なのか……。考えものだ。

ただし、これらの要素は対象物があってこそ成り立つものだ。対象物がないこの写真では、評価の使用がない。『空』は背景としては愛されるが、主役としての評価は低い」


私は先輩から写真を受け取り、しげしげと見た。

確かに、これといった対象物は写っていない。空だけである。


「でも、この写真、百万円の値が付いたじゃないですか」


 先輩は眉間に皺を寄せた。


「そう、それが怪しいんだ」


 そういうと、先輩は指を二本立てた。


「疑問一、セシルという人物はなぜこの写真に注目したのか。疑問二、なぜこの写真を百万円という大金で買うと言ったのか。それをいまから調べるんだ」


 静かに電車は止まった。目的の駅に着いたのである。

 この村は拓哉先輩が写真を撮った丘のある村だ。写真をどこで撮ったのかなかなか白状しない先輩を、どうにか大好物のバター餅で釣って聞き出したのである。

 地図を頼りに歩き出す。どうやら市街地からかなり離れたところらしい。

 歩きながら、ふと訊いてみた。


「円先輩、拓哉先輩って、その、お金に困っているんですか?」


「ん? なんでだ?」


先輩はこちらを見ずに応える。


「いえ、今回の百万円を提示した人ってどう考えても怪しいじゃないですか。だいたい写真家の見習いでそんな大金持っている人いるのかなって。ちょっと考えれば気がつくと思うんです。でも拓哉先輩は気付かなかった。ということは、なんかお金に逼迫しているんじゃないかなって」


 道は田園地帯を進む。この時期は稲刈りが始まっていて、あちらこちらの田んぼで農作業に励む人たちが見て取れた。

 先輩は顔を正面に向けている。


「あいつの夢、知っているか?」


 いつになく真剣な声である。


「い、いいえ」


「あいつの家は、母と子ども二人の母子家庭なんだ。お兄さんの徳也さんと拓哉。二人は仲良くて、裕福じゃなかったけど幸せだったらしい」


 カーブミラーの道を右へ曲がった。山へ続く道には車はほとんど通らない。


「しかし、徳也さんは高校に入ると同時に、地元でも有名な不良グループの活動に参加するようになったらしい。そこで徳也さんはいくつもの犯罪に手を染めた。そして決定的だったのが覚せい剤の使用だった。しばらくして徳也さんは逮捕された。覚せい剤を中断してからはその副作用に苦しむようになり、人が変わったかのように暮らしている。医学的には、覚せい剤の多量摂取による脳の委縮が原因らしい。精神的な活動に制限があるため、いまは、どこかの施設に入所してリハビリをしていると聞いている。お母さんは、その入所費を払うため、仕事を掛け持ちしている」


 思いがけない話になり、私は言葉を詰まらせた。あの明るい顔の下には、常に暗い顔が存在していたのだ。


「で、あいつの夢だけど、あいつは臨床美術士を目指しているんだ」


私もその資格については知っていた。臨床美術士とは、美術活動を通して対象者の心理面を改善、サポートする人たちのことである。


「あいつは、自分の持てる力を使ってお兄さんを助けてあげたいと思っているんだ。そのために、いま猛勉強している。それに、知ってるか? うちの大学は学績優秀者に対してその年の学費を免除しているのを。あいつ入学してから三年間、常に学績優秀者になっているんだ。母親に負担をかけないようにな」


 いつもの剽軽さはどこへいったのか。私は涙ぐんでいた。隠れたところで夢を追い続け、家庭にも負担をかけないよう頑張っている。もう〈でくのぼう拓哉〉とは呼べない。


   ***


 私たちは地図に示された丘に登った。ほとんど雑木林の丘は人を立ち入らせないために生えているようなものだ。しかし、巨体の円先輩は、それこそ笹の茎などは根元から踏みつけて道を作っていく。私はその後ろに続くのみだ。

 拓けた、手入れのされているところに出た。時計を見ると一二時を過ぎている。透き通る青空。いい天気だ。


「先輩、休憩にしましょう」


 私は返事を待たずに座った。先輩は、まず荷物を置いてから腰を置く。


「いい天気ですね。そうだ、ご飯食べましょう!」


 久々のピクニック気分に私のテンションはうなぎ登り。先輩の返事など待たない。

 私は弁当を取り出した。朝から力を込めて作ったおにぎり、卵焼き、コロッケ、エビチリ、肉団子……どれも絶品である。先輩はリュックをガサゴソ漁ると、コンビニの袋を取り出した。コロッケパンと焼きそばパンが先輩のランチのようだ。

 爽やかな風が吹く。

 時間がゆっくりと進んでいるように感じる。

 と、先輩が、じーっと、私を見ている。いや、弁当を狙っていた。


「なんですか?」


「そのエビチリうまそうだな。くれ」


「えーっ? 自分のコロッケパン食べてくださいよ」


「だめか……?」


 なんだろう。今回の先輩は憂いを帯びている。この巨体は、その存在が威圧的なはずなのに。


「分かりましたよ。箸はありますか?」


「ない」


「えっ?」


「食べさせてくれ」


「えー!」


 パニクッた。どうゆうこと?

「いいだろ。減るもんじゃないし」

 そういうと先輩は体を寄せてきた。

――仕方ない。

私はエビチリを食べさせた。先輩はよく噛んで飲み込むと、「ちゃんと生から作っているな。しかも下処理に黒こしょうを使ってる」と答えた。

 私はパッと気持ちが明るくなった。


「分かってくれます? たまに友達に分けてあげるんですけど誰も気付いてくれないんですよ! 先輩が初めてです」


「それだけじゃない。いつも作っているケーキ類にはリキュールが使われているし、クッキーの砂糖には黒砂糖が使われている」


 私は嬉しくなった。まさか先輩は神の舌を持つ男? 私の中で先輩の評価が上がった。よし、先輩は〈ユグドラシル円〉へと改名しよう。


 リーン、リーン、リーン。

 遠くから熊避けの鈴の音が聞こえる。その音を頼っていくと、一人の老人がいた。

 老人は突然現れた私たち、特に円先輩に驚いたようだ。腰を曲げながら先輩を見上げている。

 八二歳だという老人はこの丘の所有者で、いつも愛犬と散歩しているのだという。写真を見せると


「ああー、ここじゃねぇけ? ここだよ、ここ」と、丘から見える景色を指さした。


「ここの景色はすごくいいですね。とてもきれいです」


「んだよ。ここは、もうこの丘しかねぇから、あとは田んぼだれ、畑だれ、なんもね。家もねぇからな。いいんだぁここはぁ」


 確かになにもない。


「あの、この辺でなにか変わった事などはありませんでしたか?」


 先輩が訊く。すると、老人が「う~ん」と唸った。


「あれかの……」


「あれとは?」


「たまにな、ここを散歩しているといるんじゃよ。変な輩が」


「変な輩?」


 私と先輩は視線を合わせた。


「ああ、変な輩じゃ。なんせ、畑の真ん中で空ばっかり見上げているでな。それも一人じゃのうて四人も五人もじゃよ」


 円先輩が訊く。


「その人たちの特徴とかって、覚えていますか?」


「あれは、そうじゃの、赤~いジャンバーを着ておった。全員がじゃ。だから最初見たときは、なんかの宗教活動をしているかと思ったんじゃ。ほれ、ユ、ユ……UFOじゃ。そうじゃ、それそれ。それを呼んでいるんじゃないかと思ったんじゃ」


 先輩は老人からその集団がいた畑の位置を教えてもらい、老人と別れた。


 畑に着くと周囲を見回した。

 畑には緑の草が生え、頭上には青い空が広がっている。なにもなかった。

 しかし、円先輩は顎に手を当て、その場所をぐるぐると回っている。それから写真を取り出すと、写真を持った手を顔と共に上へと動かした。

 そのまま彫像になったかのように動かない。

 そして、動いたかと思うと、荷物を担いだ。


「ここでの調査は終わりだ。次に行くぞ」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ