石彫工芸実習~②~
彫刻実習場は、大学C棟の屋外にあり、広々とした開けた土地だった。実習場には、いくつもの石の塊、加工中の石、完成作品が並べられていた。
「園田先輩」
円先輩が例の園田先輩の名前を呼ぶ。すると、実習場の奥で石に鑿を打っていたタンクトップ姿の男性が振りむいた。
園田先輩は背丈はそれほど大きくなく、色黒の人物だった。一見してどこにでもいる人である。
「お! 円じゃん。どうしたんだよ、こんなところに」
屈託のない笑顔だった。
「いま、この彫刻実習場に幽霊が出るという噂があるというので調査に来たんです。先輩はなにか知りませんか?」
円先輩は、私から聞いた噂話について訊いた。
園田先輩は「う~ん」と考えた。
「いや、聞いたことないなぁ。ただ、この彫刻が動いているのは確かだよ」
園田先輩は、隣にある先ほどまで削っていた黒い石柱を軽く叩いた。
石柱は二㍍程であろうか、円先輩とあまり変わらない。
「この石柱がね、朝になると微妙に動いているんだ。回転して向きが変わっている。なんでだろうな?」
園田先輩は腕組みをした。
円先輩と拓哉先輩は円柱を見回している。
円柱の一部には、いくつもの動物が彫られていることに気付いた。
「あの、園田先輩。この作品のタイトルってなんですか?」
私は興味で訊いてみた。
「これかい? これはまだ、ちゃんとは決めてないんだけど、もししっかりとしたタイトルを付けるとしたら『ユートピア』にしようと考えてる」
園田先輩はそういいながら、未完成の石像に触れた。
「動物と人が等しく、自然の調和をもって共存し合う。これはそんな夢の物語を記しているんだ」
彫刻の中心には少女がおり、少女を囲むように様々な動物たちが彫られていた。石の黒さなど忘れ、そこには少女の透き通る肌の色、動物たちの毛の色や毛並、木々の葉の色……一つ一つ色が塗られているようだった。
見ている者を引きつける作品である。
(これで未完成なんだ)
私は、一瞬で引き込まれた。自分の描いている油絵が、いかに未熟なのか見せられたようである。
「いい彫刻だろ」
気付けば円先輩が傍にいた。拓哉先輩は園田先輩と何か話している。
「園田先輩は、元々は絵画学科で油絵を描いていたんだ。だけど、あるとき国立西洋美術館にあるオーギュスト・ロダンの『地獄の門』を観て感動した。先輩は絵画学科から彫刻科に移籍したが、絵画学科にいたことで、特に生物の骨格を解剖学的に捉えることに長けていた。彫刻科でもその能力を発揮して、いろいろな作品を制作した。この石像もその一つだろう」
円先輩は『ユートピア』を撫でた。
「ロダンって、『考える人』のロダンですよね?」
私は尋ねた。
「そう。もともと『考える人』は『地獄の門』を構成する群像の一つだ。『地獄の門』は、そもそもダンテ・アリギューリーの『神曲』に登場する地獄に向かうために通らねばならない門だ。『神曲』では、作者であるダンテが詩人ウェルギリウスに導かれ、様々な地獄を巡る。『地獄の門』はそういった様々な地獄に苦しむ人たちを表現しているんだ」
先輩の説明を聞きながら、『ユートピア』を見た。穏やかで安らぎのある少女の姿が表現されていた。この表現の源点が、『地獄の門』だとは誰も気づかないだろう。
円先輩は石像の上や下までも調べている。
「おい、そっちは分かったか?」
見ると、実習場の外れにある小屋の前に拓哉先輩がいた。無造作に置かれている廃材を調べているようだ。
「OK! ちゃんと見つけたぜ!」
そういうと拓哉先輩は二本の角材を持ってきた。
角材を見ると、どちらも端から三〇㌢ほどのところが凹んでいた。
「ふむ」と言うと、円先輩は顎に親指を当て、なにかを考える姿で、周囲を歩き始めた。
石像の周囲を三周ぐらい回ると、後片付けをしていた園田先輩に話しかけた。
「先輩、石像はずっとあそこにあったんですか?」
「いや、あっちだよ」
そう言いながら園田先輩が指さしたのは、先ほどまで拓哉先輩がいた小屋の付近だった。
「あの小屋の前で作業してたんだけど、小屋の廃材が邪魔でね。一週間くらい前にここに移動させたんだ。もう、一苦労だったよ」
「そうだったんですね」
それから石像を二周ほどすると、今度は私に話しかけてきた。
「なぁ、お前の友達は他になにか言ってなかったか?」
私は、
(ポセイドン円め!)
と心で呟くと「特に聞いてませんでしたが」と、あたり障りなく応えた。
円先輩は「そうか」と呟くと、歩くのを止めた。
***
それからしばらくして、私たちは部室に戻った。そして、自然と応接セットに腰を据えると、拓哉先輩がすぐにお茶を淹れる準備をはじめた。
円先輩は、実習場からずっとなにかを考えている。ときどき声が漏れ出るが、なにを言っているのかは分からなかった。
お茶を啜っていると、拓哉先輩の「あ!」という声が響いた。
「ごめん、お茶菓子が、無い」
項垂れる拓哉先輩。見ると円先輩もショックを隠し切れない表情をしている。
どうやらこの二人はお茶菓子で生きているらしい。
と、私はトートバックの中にチョコレートスナックがあるのを思い出した。鞄から取り出す。
「あの、どうぞ」
「え、いいの?」
拓哉先輩がチョコレートスナックを両手で受け取りながら訊いてきた。
「どうぞ、どうぞ。こんなもので良ければいつでも」
先輩は感謝しながらスナックを皿に盛り付け、テーブルに置いた。
スナックを摘まみながら話す。
「先輩、分かりましたか?」
「ああ、今のところ八割だな」
「え? それじゃ幽霊じゃないんですね!」
「そうだ。だが、いまは分からない点がある。それをどうつなげるかだ」
「なにが分からないんですか?」
「犯人さ。一体誰が行っているのかが分からない」
「ふーん」と部室に静けさが伝わった。
と、ドサッとなにかが落ちた。見ると私のトートバックがソファから落ちてひっくり返っていた。
「あちゃ~」慌ててバックを拾う。しかし、拾い方が悪かったのか、中身のほとんどが出てしまった。
リングファイル、クリアファイル、テキスト、筆記用具、色鉛筆、目薬、カンナから借りたアルバム……。ブラックホール状態のバックをそろそろ整理した方がいいのかもしれないとは思った。
円先輩が、カンナの猫のアルバムを手に取った。
「これは?」
「ああ、友だちの猫の写真です。見ますか?」
私はアルバムを開き、円先輩と拓哉先輩に見せた。
アルバムを最後まで見ると、円先輩は手を顔の前で合わせた。
どういうわけか分からないでいると、円先輩はニヤッと笑った。
「さあ、この事件を解決しよう」
***
二二時。石彫実習場に通じる西門。そこに数名の男女が集まった。
集まったのは、私、円先輩、拓哉先輩、そしてお化けに怯えるカンナ。円先輩はなぜかカンナが必要だというので、嫌だというカンナを私がなんとか説得したのだ。
校舎には人がいないのだろう。どこにも明かりは点いていない。
辺りは静けさに包まれており、夏の虫の鳴き声が響いている。
円先輩が時計を見た。
「そろそろだ。行くぞ」
「行くってどこへ?」
カンナが怯えるように言う。
「石彫実習場に決まっているだろう」
「うそ、うそ、うそ! だっているかもしれないし、幽霊」
「大丈夫だ。いたとしても、この幽霊は俺たちに危害は加えない」
なにか含みを持たせたセリフである。
カンナはまだなにか言いたげだったが、しばらくすると諦め、私の服の裾を掴んで付いてきた。
四人は静かに歩いていく。
すると、しばらくして「ズッズッ」という音が聞こえ始めた。
例の幽霊の音だ。
「ヒッ」と、カンナが叫びそうになったので、口を押えてどうにか止める。
ゆっくりと、忍び足で移動する。
実習場に近づいた。音が大きく聞こえる。と、「ズッ、ズッ」という音に紛れて「メキ」や「パキ」という音が聞こえた。なにかが壊れる音だ。
私は不安にかられた。この幽霊騒動に「犯人」がいると円先輩は言っているが、果たして本当にそうなのか。
私は周囲を見回した。すると、石像の近くに人影がいるのに気が付いた。幽霊ではない。
四人は一斉に手に持っていたライトを点けた。
一瞬で周囲を光が包む。
光は『ユートピア』と人影を写しだした。
「え!」私とカンナは驚きのあまり大声を出した。
「由里! なにしてんの、あんた!」
そこにいたのは、角材を持って立ち尽くす由里だった。