石彫工芸実習~①~
「ねえ、そういえばミホってさ」
そう、隣を歩く友人の由里に声を掛けられた。何事かと私は彼女の話に耳を傾ける。
「最近、ふらりといなくなるときがあるけれど、どこに行っているの?」
――ふらりと、どこかへ。
私は軽く咳払いをした。友人に気付かれているとは思ってもいなかったからだ。そして、友人に気付かれる程度に、私の行動は奇異に見られているのだろう。
私は一カ月前に起きたあの事件を思い起こした。
あの事件は私にとって、心苦しいものだった。『絵画I』の授業の課題を制作したときである。何者かが私の絵を複製し、私より先に「本物」として提出したのである。
そのことを知った私は失意のどん底だった。単位が得られないだけでなく、「模造犯」という濡れ衣を着せられそうになったのである。
「ああ、もう私の人生、終わった」
そう思いながら大学内をふらついているとき、一枚のチラシが私の目に留まった。そこには【芸犯! こちら芸術犯罪解決サークル】と書いてあった。
すがる思いで芸犯の門を叩いた私は、そこで運命的な出会いをした。それが東京タワーとスカイツリーに似たコンビだった。
二人は出会って間もない私に降りかかった不幸に対し、力の限りに捜査し、真犯人を挙げたのだった。
そんな縁のあるサークルだ。私は定期的に、二人しか部員のいないこの弱小サークルに感謝の意を込め、二人が大好きなスイーツを作ってはせっせと貢いでいるのだった。
「う~ん、まあ、部活、かな?」
「え? 部活入るの?」
「いいじゃない。まあ、まずは仮入部だけどね」
「ふ~ん。まあ、頑張りなさい」
そう言う友人を傍目に、私は今日も芸犯の部室へと足を向けるのだった。
石彫工芸実習 ~ユートピア~
「かわい~」
「かわい~」
学生食堂で年甲斐もなく甘い声を出してしまった。それもしかたない、私がいま見ているのは、もふもふの、真っ白の子猫の写真なのだ。
写真を持ってきて、私と一緒に「かわい~」と言っているのはカンナだ。彼女は私の高校時代の同級生で、現在、彫刻科で学んでいる。大の猫好きで、家では五匹もの猫と暮らしている。
一度カンナの家に遊びに行ったときがあるが、猫にとって来客は珍しいもののようで、足にまとわりつくもの、高台に逃げるもの様々で、猫にもいろいろいるのだと学ばされたことを覚えている。
彼女の家には自作の猫の置物が無数にあり、猫のオンパレードである。そのためか、大学での彼女の作品の多くも猫に関するものだった。
私の隣に座り、静かに猫の写真を見ているのは由里である。私の無二の親友で、彼女のストイックな生き方には、どこか憧れるところがある。
由里、というか由里の家族は犬が好きなようで、家ではゴールデンレトリバーを二匹も飼っている。あまりにも犬が大きいため、小柄な由里では二匹の犬を散歩させることができず、主にお父さんやお兄さんが担当しているのだという。
私はというと、小さい頃にハムスターを一匹飼ったことがあるぐらいで、いまはペットを何も飼っていない。そのため、彼女たちのペット自慢に付き合っては、ペットと暮らす妄想に浸るのである。
犬もいいし、猫もいいし、インコもいいし、金魚もいいし――。
由里がカンナに猫のアルバムを返した。そのアルバムをトートバックにしまう。
「で? カンナ、話ってなに? もしかして気になる人でもいるの?」
由里が、いかにも興味津々といったふうにカンナに質問した。
大抵、カンナからの呼び出しは自身の恋の悩みや、恋愛の噂話の真偽の調査のときぐらいだ。それ以外はなんとなく集まり、なんとなくご飯を食べ、なんとなく解散する、というのがこの集りの通例だった。
私も気になっていた。カンナからの呼び出しは珍しい。それも二人も呼び寄せるなんて。
カンナは目線を私たちに戻した。
「実はね、信じてもらえないかもしれないんだけど――」
***
「幽霊?」
お茶を啜っていた二人は、危うく吹き出しそうになった。
ここは教授室棟の隅にある〈芸犯〉サークルの部室である。芸犯とは〈芸術犯罪解決サークル〉の略で、主に校内で起こる芸術に関する問題を解決する部活で、現在二名の部員が活動している。
その二名が、いま私の前でお茶菓子の羊羹について「そっちが大きい」と論争を繰り広げている人物たちだ。
「ええ。あくまで友達から聞いた話なんですが」
羊羹の争奪戦に決着が付いたようで、二人はソファに落ち着いて座り直す。
二人は身長一八五㌢の石井拓哉先輩と、一九二㌢の環円先輩で、パッと見では東京タワーとスカイツリーのような関係のコンビである。身長しか取り柄が無いようにしか見えないが、しかし、この二人、特に円先輩はなかなかの切れ者で、これまでに起こった犯罪まがいの問題を次々に暴いてきた。
しかし、その身長が関係しているのか、どこか人を見下しているような話し方をすることがある。私は関わってそれほど月日が経っているわけではないが、彼に〈ポセイドン円〉というあだ名を秘かに付けている。
「彫刻科の友達によれば、一週間ほど前から、彫刻科の彫刻実習場に幽霊が出るとの噂が流れているそうなんです。実際に見た人はいないそうですが」
「見た人がいないなら、なんで幽霊がいたって分かるんだ?」
円先輩が体を前のめりにして訊いてきた。どうやら興味が湧いてきたらしい。
「えーと、まず音ですね。一昨日の午後九時頃に実習場脇の道を通ろうとしたときに、ズッズッという音が聞こえたそうなんです。でも、懐中電灯で照らしても誰もいなかったそうです」
「でも、彫刻実習場って、彫刻だらけだよね。隠れられそうだけど」
拓哉先輩が答える。
「そんなこと分かりません」
「それで、他にはなにか情報はないのか?」
円先輩は気にせず続ける。
「いえ、特には。あ、そういえば、動く彫刻があるそうです」
「動く彫刻?」
「ええ。まぁ、動くと言っても大きく動くわけではなく、その場で回転していたり、「動いているんじゃない?」と思われる程度ですね」
「ふーん」と二人は考えているようだ。
私は相談しながら思った。そもそもこの幽霊騒動は芸術犯罪なのだろうか。特に芸術作品に被害が出ているわけでもなければ、心霊という超常現象に太刀打ちしようという無謀な考えなのではないだろうか。
諦めて声を掛けようとする。
「あの」
円先輩が鋭い目で私を見た。反射的に固まる。
「その動く彫刻とは、誰の彫刻だ?」
私はリュックからメモ帳を取り出し、ページを開く。
「えーと、修士課程一年の園田諒さんの彫刻だそうです。重さ数百㌔ある石柱です」
円先輩は頷いた。
「園田先輩はいい感性を持った人だ。大学にいたときから意欲的に作品作りに取り組んでいた。調査しても、それほど気にかける人ではないだろう」
外は夕暮れになりかけている。円先輩は薄いジャンパーを羽織った。その姿は、まるで『踊る大捜査線』の青島刑事みたいで、どことなく目を引きつけた。
「この事件でなにか困っているのか?」
突然訊かれ、私はキョトンとした。
「友達が幽霊話とかあると怖くて学校に来れないって言うんです。まぁ、私的にも彫刻実習場脇の道は帰りによく通っているので、こういう噂があるとちょっと怖くて通れないような」
円先輩はそれだけ聞くと「分かった」と言い、「捜査を始めよう」と、続けて力強く言った。