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絵画Ⅰ~③~

「はじめは、ほんの出来心だったんです」


 泣き止んだ彼女を全員が取り囲む。


「私、四年生になっても【絵画Ⅰ】の単位が取れなくて、このままじゃ卒業できないと思うと怖かったんです。でも、今の実力だと今年もダメだと思ってしまって。そんな鬱々としたある日、素敵な絵を見たんです。レモンとリンゴとアボカドで。ただ果物が三つ置かれているだけなのに、何だか静けさと、甘さと、フレッシュさを感じて。久々に絵に感動したんです。それで、ちょっとだけ借りようと思ってしまって。

 最初は真似てデッサン力を上げようと思ったんです。私、デッサンとか苦手だから。でも、この絵を真似ている時、すごく楽しかったんです。ただの果物なのに。

 課題提出の日が近づいて、悩んだんです。その時の私には、もう他の物を描くことができなくなっていて。で、このまま本物として出してしまおうって思い立ってしまって。急ぎました。油絵の具では到底間に合わないので、気付かれてしまうと思いつつアクリル絵の具に灯油を少し混ぜました。吉野先生の部屋は絵画の保管のために薄暗いし、狭いから簡単にはばれないとも思ったんです」


 彼女の話を聴き、周囲は溜息をついたが、私は不思議な思いでいた。

 吉野先生が語りかける。


「和田さん。人の作品を真似るのはいけません。今回、あなたが提出した作品は評価の対象とはしません。よろしいですね」


 和田先輩の顔が青くなり、項垂れた。おそらく人は、人生を諦めた時もこのような顔をするのであろう。


「待ってください」


 私は声を張った。和田先輩が顔を上げる。


「和田先輩。あなたのしたことは、とてもいけないことです。でも、私は嬉しいです。私の絵を『素敵』と言ってくれたり、描き写してくれて。有名な画家になった気分です。そんなあなたは、決して悪い人ではないと思います。だから……」


 私は吉野先生に向き直った。


「先生、私、この人と課題作品を描きます。いいですよね?」


 先生は目を大きく見開いた。


「二人で描くのですか?」


「課題制作条件に『一人で描くこと』とはありませんでしたよね」


 先生はフフッと笑った。


「課題提出期限まで、あと七日です。できそうですか?」


「はい」


 私は躊躇なく返答した。


「オリジナリティな作品を待っています」


 先生は、まるで別人になったかのように、穏やかな表情を見せた。

 それから、和田先輩を見た。赤く腫れた瞼が痛々しい。


「先輩、まだ制作時間はあります。頑張りましょう」


 和田先輩はもじもじとしている。


「い、いいんですか?」


「もちろんです」


 私は手を差し出した。


「よ、よろしくお願いします!」


 先輩は、私の手を両手で包み込むように握りしめた。

   *

 数日後、私は部室のドアをノックし、中に入った。

 部室には二人の先輩がいた。円先輩は、あの時と同じく本を読んでいる。


「おー、ミホちゃん! どうしたの? 俺に会いにきたの?」


 拓哉先輩は相変わらずである。


「う~ん、半分当たりです。これを渡しに来ました」


 私は紙箱を拓哉先輩に渡した。


「えええ、え? なに? 開けていいの?」


「どうぞ」


「わ―!」


 子どものようにはしゃぐ拓哉先輩は面白い。

 私と拓哉先輩はソファに座り、つられて円先輩が腰を起こした。

 箱を開けると、中からチーズケーキとパウンドケーキが出てきた。

 二人は目を見開いた。


「あの……、一応手作りです」


「え? おまえ作れるのか」


 どうやら作れないと思われていたらしい。


「でも、どうして?」


「今回すごくお世話になったので。それに自己紹介の時にチーズケーキとパウンドケーキが好きって言ってましたよね」


 二人はチーズケーキとパウンドケーキをそれぞれ口に運んだ。

 次の瞬間、二人の顔が驚きに変わった。


「お、おいしい!」


「ありがとうございます。料理の腕には自信があるんです」


 拓哉先輩は黙っている円先輩にも促す。


「な、おいしいんだろ。正直に言いなぁ」


 円先輩は渋々という感じで、しかし正直に、


「うまい」


 と言ってくれた。

 私がほっとしていると、拓哉先輩が思い出したように言った。


「そういえば、ミホちゃん。例の課題制作はどうなったの?」


「ええ、昨日絵の具が乾いて、今日提出しました。和田先輩すごく喜んで、また泣いてました」


 私は笑いながら報告した。

 しかし、取り組んだ時は笑える状況ではなかった。まず提出期限日から毎日の工程を決めた。油絵の具を使うので、その乾燥時間も計算した。あくまで時間にはストイックに。しかし、それでもテーマの決定は和田先輩に任せた。でないと人の目を引きつけるいい作品にはならないからだ。


「頑張ったねぇ、ミホちゃん」


 感心したように、拓哉先輩が労った。


「そんなことありませんよ」


 私は首を振りながらも、その賛辞をいただいた。


「そういえばさぁ、円。推理の時、何で和田さんは美術実習室に来たのさぁ?」


 拓哉先輩が円先輩に質問する。


「偽物を見た時、稚拙で雑だが、一年生の画風ではないと分かった。だから種田先生の協力で【絵画Ⅰ】を履修している学生のリストを手に入れて、そこから二年生以上の学生をチェックした。特にこの手の犯罪を犯す人物は、この科目の単位をもう落とすことができない人物。そうなると、必然的に四年生となる。そして、リストの中にいた四年生はたった一人だったというだけだ。後は『大事な話がある』と種田先生の名前で連絡を取り、おびき寄せたということさ」


 そう話しながらも、円先輩はケーキを全てたいらげてしまった。残っているチーズケーキに手を伸ばそうとして、拓哉先輩と取り合いになる。

 私は時計を見た。


「私、予定があるので、これで失礼します」


「え! もう、行っちゃうの……」


 拓哉先輩は残念そうである。


「新しい友達との約束があるので」


 円先輩はそれだけを聴き、微かに笑った。


「早く行ってやれ。遅れるな」


「はい!」


 私は礼をして、ドアを閉めた。

   *

「そういえば、円。おまえなんで本物の絵と偽物の絵を一発で見抜いたん?」


 俺は拓哉の質問を保留し、ゆっくり立ち上がると、窓辺に立った。立つと天井が近く、窓も低く感じられる。


「雰囲気だ」


「は?」


 外を見下ろすと、多くの学生が行き交っている。その中に見覚えのある女性が、上下黒の服の女性と歩いて行く。


「どんな有名画家の作品も、細かい技法はどうあれ、最終的には人を引きつける、絵全体から発せられる雰囲気で決まる。彼女の絵からは、生き生きとした雰囲気が溢れるぐらいに出ていた。俺は、その点で決めた」


「そんなもんか?」


「そんなもんだ」


「ふーん、そうか。あーでも、またミホちゃん来てくれないかなぁ。可愛かったし、お菓子おいしかったし……」


 拓哉はテーブルに突っ伏している。

 そんな彼をよそに、俺は遠ざかるあいつの後ろ姿を、ずっと見送った。

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