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芸犯~こちら芸術犯罪解決サークルです~  作者: 今和立
鍵盤楽器演奏特論 ~歓喜のプリンス~
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鍵盤楽器演奏特論~②~

「あの、すみません」


 ケーキを食べ終え、紅茶を片手に談笑していると、扉をノックする音が聞こえた。見ると、戸口に一人の青年が立っていた。


「はい、どうしましたか?」


 すると、青年は少しためらいがちに、小声でなにかを呟いた。聞き取れない。しばらくして唯一「事件です」と聞こえた。

 部屋の中のすべての人、もちろん私もだが、緊張が走った。


「どうぞ、中でお聞きします」


 円先輩が部室内に青年を招き入れる。青年は一呼吸置いて、「はい」と言い中へと入った。

 青年は、大学院音楽学部鍵盤楽器専攻二年の池田博人と名乗った。

 池田先輩は、どこか落ち着きのない様子で、ソファに腰かけた。

 私が「依頼とは?」と訊こうとした、そのときだ。


「今日はいい天気ですね!」


 池田先輩だった。その声は、先ほどまでの委縮した声ではなく、どこか溌剌としている。


「赤とんぼが飛んでいて、秋らしくなりましたね」


 よく分からない発言をする池田先輩に、私は戸惑った。拓哉先輩も飛鳥先輩もなにを語っているのか、掴めずにいるようだった。だが、円先輩と種田先生は少し顔を強張らせたように見えた。


「特に三匹揃って飛んでいるのは見応えありますね――」


 そう話しながら池田先輩は一枚の紙を私たちに見せた。

〈僕のコートに盗聴器が仕掛けられています。なにも話さないでください〉

 そう、書かれていた。

 ――盗聴器?

 私は混乱した。


「あの――」


「そうですよね。とんぼは一匹や二匹じゃなく、三匹飛んでいると珍しくて見入っちゃいますよね」


 私を押しのけ、すかさず入ってきたのは、円先輩だ。先輩は周囲に見せるように口の前で人差し指を立てた。


「そういえば、池田先輩は大学院に通われているのですね。どこのゼミの所属なのですか?」


「僕は笹野教授のゼミで、主にパイプオルガン演奏の研究をしています。ホールにいっぱいに響き渡る荘厳な音色に惚れ込んだんです」


「そうでしたか。パイプオルガンとはまた巨大なものを選ばれましたね。もしかすると、パイプオルガンで『赤とんぼ』を弾かれてみると面白いかもしれませんね」


 池田先輩は「ハハハ」と苦笑いしながら頷いた。


「そうだ。いまからになるんですが、音楽ホールに行って、演奏を聞かせてくれませんか?」


「え? いまからですか?」


 池田先輩は驚きの表情を浮かべる。

 私は壁掛け時計を見上げた。時刻は十七時を少し過ぎたところだ。校舎内では、まだ講義が行われている時間だ。


「いいじゃないですか。パイプオルガンの音色なんて、そうそう聴けるもんじゃない。な、お前らも来るだろ?」


 特に予定のない私は、コクリと頷いた。横を見ると、「あったりまえ!」と拓哉先輩が肯定した。部員ではないが、飛鳥先輩も頷いている。


「円君。その【お前ら】には、僕も入っているのかなぁ?」


 背中をゾッとさせる、おっとりとした言葉が聞こえてきた。種田教授だ。


「ヒッ――」


 円先輩はその場に固まり、どうにか首だけでも動かそうとしていた。


「そ、そんな訳ないですよ。【お前ら】は拓哉たちのことですよ、なあ!」


「そうかい? みんな?」


 私たちは、再びコクンと頷いた。ここで頷いておかなければ、おそらく円先輩の未来はないだろう。

 まあ、傲慢な円先輩の未来がどうなろうが関係ないのだが。


「さ、さあ、音楽ホールに行こう。種田先生はいかがなさいます?」


「そうだねぇ。僕はぁ会議があるからなぁ。聴きたいのは山々だけど、ここでおさらばするよ」


 部室を出ていこうとする種田先生は一言だけ言った。


「気を付けてね~」


  ***


 ギイ……バタン。

 音楽ホールの扉を閉めた。中は真っ暗だったが、来る途中で以前お世話になった中川さんに偶然会ったので、明かりは点けてもらえることになっていた。


「さて、ここまで来れば大丈夫だろう」


「大丈夫? って、どういうことですか?」


 暗がりの中、私は円先輩に訊いた。


「そうだよ、なにが大丈夫なんだー?」


 しゃしゃり出る拓哉先輩を無視した。


「この音楽ホールは最新設備を兼ね備えた遮音壁が自慢なんだ。扉は二重で、しかも一枚の厚さは三十センチを超えている。だから、ここでは携帯電話の電波すら届かない。見てみろ、スマホ」


 スマホをバッグから取り出す。確かに電波を示すゲージは一本も立ってはいなかった

「だから、いまは盗聴器の心配をする必要はありません。声を出してもいいですよ。池田先輩」


 その言葉を聞き、池田先輩は、まるでいままで水の奥底に沈められ、ようやく地上へとたどり着いたかのように、大きく深呼吸した。

 そのとき、会場内の明かりが点いた。ずらりと並んだ客席の反面、ステージの奥面には、壁一面を覆うようにパイプオルガンが据えられていた。まるで、いまかいまかと演奏をする主を待っているかのようだ。

 しかし、池田先輩は未だに盗聴を恐れているのか、口をつぐんでいる。


「三匹のとんぼ」


 円先輩だ。


「童謡『赤とんぼ』の三番を指し示しましたね。盗聴に気を配っての最大限の情報だったでしょう。よく考えました」


 私だけではなく拓哉先輩や飛鳥先輩も考えているようだった。

 飛鳥先輩が傍らで小さく歌う。


「十五で姐やは 嫁に行き お里の便りも 絶え果てた――」


「ん? これのどこが盗聴と関係があるんだ? ただの童謡だろ?」


 拓哉先輩が強く詰め寄る。しかし、円先輩は拓哉先輩の額に、パチンとデコピンを食らわした。

 拓哉先輩が「痛!」と呟き額を押さえる。

 すると、池田先輩が口を開いた。


「気付いてくれて、ありがとう。気付いてくれなかったら、どうしようかと考えていたよ……」


「それでは、やはり」


「ああ、僕の姉さんが誘拐されたんだ。「もし警察に連絡したら、殺す」と脅されている。そして、この盗聴器付のこのコートを毎日羽織ることも、生かす条件として伝えられている」


 この場にいる全員の背筋が凍った。

 誘拐――。その二文字が頭の中で響いた。


「そ、それは、いつ起きたんですか?」


 私は自然と池田先輩に問いかけた。彼はさらに声のトーンを下げた。


「三日前の日曜日。犯人たちは昼食時に宅配業者を装って押しかけてきたんだ。そして、ナイフを突きつけ「騒ぐな」と端的に言ってきた」


 そのときのことを思い出したのだろう。池田先輩の柔和な表情が、徐々に険しくなっていく。


「……犯人たちの要求は、分からない。ただ、姉さんの首にナイフを突きつけて、姉さんを連れて去ったんだ。二十分もかからなかったと思う」


 ホールの中に、シンと静けさが伝わった。この場の誰も、事の重大さに押しつぶされそうになっていた。


「あの――」


 飛鳥先輩だ。彼女も事の成り行きに緊張しているのだろう。どこか不安げな表情をしていた。


「どうして誘拐犯たちは、池田先輩を殺害せず、お姉さんだけを連れ去ったのでしょう?」


「それは、分からない。姉さんを連れ去ってからこの方、まったく犯人からの要求などがない。ただただ、この盗聴器で見張られているだけなんだ」


私は円先輩を見た。円先輩も事件のあらましを模索しているようだった。

と、この静まり返った集団に一石を投じたのは、誰であろう拓哉先輩だ。


「あんまり緊張しっぱなしじゃ身も心も疲れるよ。ここはいっちょ、池田先輩の腕試しでもしようか!」


「「「腕試し?」」」


 皆の声がシンクロした。それほど、拓哉先輩の言葉が意外で、彼の意図が掴めなかったのだ。

 その拓哉先輩はステージを指さした。


「たまには息抜きは必要ですよ。池田先輩、なにか弾いてください~」


 そう言いながら、拓哉先輩は近くの椅子にさっさと腰掛けた。

 池田先輩は少し迷ったようだが「ああ、いいよ」と了解した。それから踵を返し、ステージへと向かう。

 ステージには、まるでお寺に鎮座する大仏よりも巨大なパイプオルガンが据えられている。そのパイプオルガンの席に座る池田先輩は、さもそこが自分の特等席であるかのように、違和感を感じさせなかった。

 その池田先輩の両手が、三段ある鍵盤を捉える。

 パイプオルガンから軽やかで、なめらかで、荘厳で、重苦しい音が一気に吹き出てきた。私はその音圧に、反射的に耳を抑えた。見ると、飛鳥先輩も拓哉先輩も耳を塞いでいる。唯一、円先輩だけが腕を組んで池田先輩の演奏を聴いていた。

 しばらくして演奏が終わった。池田先輩が、座りながら上半身を回し、問いかけている。


「どうでしたか? リストの『バッハの名による前奏曲とフーガ』という曲でしたが」


 私はありのままを答える。


「初めてパイプオルガンの曲を聴きましたが、軽やかさと重さ、相反するイメージを想起させる意外性がありました。よかったです。……ただ、音圧が凄すぎてびっくりしました」


 池田先輩は頷いた。


「そうか。パイプオルガンの利点は、その音圧で会場全体を包み込むことなんだけど、僕はまだ、うまくコントロールできていなくて、音割れなんかも起きてしまうんだ」


「でも、これでここに来た理由は正当化できたね! パイプオルガンの練習、練習」


 そのときだ。バンッと客席後方の扉が音を立てて開いた。入ってきたのは、この音楽ホールの管理人の中川さんだった。


「こら! 誰がパイプオルガンを弾いていいと言ったんだ! 用が済んだのなら、早く出ていけ」


 中川さんは怒り心頭だ。


「ひ~! すいません!」


 なんと、拓哉先輩は私たちを残し、ただ一人だけ、さっさと走り去ってしまった。久々の【でくのぼう拓哉】を目の当たりにし、私や円先輩は深い溜め息を吐いた。

 残された私たち四人は、中川さんの説教を受け、音楽ホールを後にした。


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