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芸犯~こちら芸術犯罪解決サークルです~  作者: 今和立
博物館資料保存論~マリアとローラ~
24/31

博物館資料保存論~⑥~

 次の日。赤谷美術館の閉館時間ぎりぎりに入館した私たちは、受付けで学芸員の宮地さんを呼び出した。

 宮地さんは、始めは驚きを隠せない様子ではあったが、重要な話があることと、『愛』を見せてほしいことを伝えられると、「今回は特別ですよ」と、企画展示室へと案内した。

 客のいなくなった企画展示室は、どこか寂しさを漂わせ、靴と床だけがキュッキュッと、リズムを刻んでいた。

 私たちは終始無言で『愛』の下へと歩を進める。

 薄暗い通路の角を四つ曲がる。

 そこに『愛』はあった。

 よく観察する。

四冊の本で『愛』は構成されていた。


「……『愛』。なんで、この作品は『愛』と名づけられたんでしょう?」


 私は素朴に胸に抱いていたいくつもの疑問の中から一つを選んで、自然と呟いていた。

――『愛』は、なぜ『愛』でなければならなかったのか。

すると、私の呟きが聞こえたのか、円先輩が応える。


「それについては、いまから解き明かす。その前に、だ」


 円先輩は宮地さんに振り向いた。そして一瞥するかのように、宮地さんを見つめた。


「宮地さん。この美術館、あまり評判がよくないらしいですね。特に周辺の同業者からはいい話を聞きません」


 宮地さんは不意打ちを食らったかのように目を見開いた。


「な、なにを言うんですか、円さん。なにを根拠に――」


「確か、前回の展覧会は北区飛鳥山博物館とタッグを組んだとか……」


 宮地さんが頷く。だが、その目はどこかしら怯えている印象を感じさせた。そう思った根拠はすぐにわかった。瞬きが異様に多いのだ。まるで彼女の心の乱れを現しているかのようだ。


「改めて訊きます。本当にタッグを組んだんですか?」


 私は話の方向が掴めずにいた。


「それは……どういう意味ですか?」


「昨日、北区飛鳥山博物館に勤めている知り合いに話を伺いました」


 種田先生のパイプを使った例の話だとわかった。種田先生は、自身の築き上げたパイプを芸犯の活動には惜しみなく提供している。そして、そのパイプのおかげで、芸犯はこれまでいくつもの事件や謎を解決してきたのである。


「北区飛鳥山博物館の彼は嘆いていましたよ。私たちは美術の専門家であって考古学の専門家でないからと展示品の管理は丸投げ。しかも温湿度の調整が適当で、戻ってきた土器にカビが生えていた、と……。俺も気になっていたんです。この展示室の異様な暗さ。まるでお化け屋敷じゃないですか。そこで思ったんです」


 それから、円先輩はポケットに入れていた小型懐中電灯を取り出し、スイッチを入れた。そして、その一直線に伸びる光を展示ケースや壁、天井へと走らせた。

 懐中電灯の先、光が当たったところが浮かび上がる。

 私は息を呑んだ。そこには、まるでバケツをひっくり返したかのような壁染みが広がっていたからだ。それだけではない。天井には転々と黒い斑点がびっしりと異様な模様を描いていた。

 まるでトトロに出てくるマックロクロスケのようだ。


「初めてここへ来たとき、俺は少しカビ臭さを感じました。そして、先ほどの話。博物館、しかも美術館でカビが発生したとなれば死活問題。おそらく、この美術館はスタッフ総出で隠そうとした。そして、その対応策が、この最低限の明かりのみで展示を行うということだった。なかなか考えています。暗がりでは誰も天井など見ませんからね」


あのとき先輩が見ていたのは防犯カメラではなかった。見ていたのはその取り付けられていた壁や天井だったのだ。先輩は一段と眼光を鋭くした。


「美術館なのに館内を薄暗くしていたのは展示品を引き立たせるためじゃない。壁や天井の汚れやカビを隠すためだったんだ」


 宮地さんは、その端正な顔を十分にも引きつらせた。知的な美人のプライドが剥がれていく。


「おかしいと思ったんです。わざわざ暗がりにしなければならない理由が見当たらない。プロジェクターを使っている訳でもないのに、光源を最低限にする理由が……」


 もはや、円先輩は虎だった。そして生贄は宮地さんだ。しかし、彼女を護る者は、この場にはいない。


「さて、ではマリアさんの件について話をしましょう」


 円先輩は懐中電灯をスイッチを切り、『愛』を見下ろした。その構成する四冊の本。

『永遠のソナタ』

『大狭間の歴史』

『ヴァイオリン楽譜集』

『ロンドンの風景・写真』

 それから「気づきませんか?」と円先輩は宮地さんに訊いた。だが、宮地さんはなにに怯えているのか、身を震わせたあと、二、三度首を大きく振った。


「そうですか。残念です」


 そう言うと、円先輩は拓哉先輩に目で合図を送り、「せーの」と『愛』が収められているガラスの展示ケースを持ち上げた。


「ちょ……」


 止めに入ろうとした宮地さんを私は牽制した。


「ローラさんとマリアちゃんには了解を得ています。真実がわかるのであれば、どのように扱ってもよいと!」


 その言葉が効いたのか、宮地さんは口を噤んだ。

直接照明が外れたことで、四冊の本は光を失った。と、円先輩が先ほどの懐中電灯を再び灯した。


「さて、この『愛』ですが、改めて訊きます。なにか気づくことはありませんか?」


 宮地さんが、「い、いえ。なんのことでしょう」、とどうにかその薄い唇で応える。


「ローラさんに確認を取りました。マリアさんは重度の自閉症をもってはいますが、知的障害は併せもってはいないことが検査でわかっているそうです。つまりは、この作品は彼女、マリアさんの意思が純粋に反映された立派な作品であるということです。しかし、彼女はこの作品を観て発狂するがごとく泣き叫びます。その原因がこれです」


 円先輩は拓哉先輩の持っていたトートバックから、一冊の本、いや、図録を取り出し。図録の表紙には『輝かしきアール・ブリュット展』と書かれている。それから、付箋の貼られたページを開いてみせた。そこに掲載されていたのは四冊の積み重ねられた本。『愛』だった。


「これは、この美術館の前に『愛』を展示した大野景樹近代美術館での写真です。アール・ブリュット展をしていたときの図録に掲載されていました」


 確かにそれは『愛』だった。だが、しかし、いま目の前にある『愛』とは、どこか異なるようにも感じる。


「円先輩、これって……」


「これが、本当の『愛』だ。いま、目の前にあるこれは、造られた『愛』なんだ。マリアさんが泣き叫んでパニックを起こしていたのは、自分の作った作品が、勝手に造り変えられていたからだ」


 私は息を呑んだ。まさか勝手に作品を造り変えられているとしたら、なんと言うことだ! 芸術家でないにしろ、それは心理的・社会的に人格を否定されることであり、屈辱を与えることになる。

 マリアちゃんはそのことに耐えられなかった。その苦しみが、あの絶叫だったのだ。


「で、本当の『愛』だが、拓哉、わかるか?」


「アイアイサー、円」


 すると、拓哉先輩は円先輩の持つ図録の『愛』をジッと見つめた。しばらく見つめる。そして、『愛』を手に取る。

 一冊一冊を確認しながら積む。

『ロンドンの風景・写真』

『大狭間の歴史』

『ヴァイオリン楽譜集』

『永遠のソナタ』

 よし、と言う拓哉先輩に私は首を傾げた。


「拓哉先輩、この順番は?」


 すると、拓哉先輩はニカッと笑い、


「気がつかない? 頭文字だよ。頭文字のアルファベット!」


「あ!」


 私は一気に謎の答えが見え、思わず大きな声を出してしまった。ここが閉館後であってよかった。

『ロンドンの風景・写真』のL。

『大狭間の歴史』のO。

『ヴァイオリン楽譜集』のV。

『永遠のソナタ』のE。

 続けると「L・O・V・E」、つまりは『愛』だった。


「おそらく、お母さんのローラさんに向けてのメッセージだろう。本という存在は彼女にとってお母さんとのかけがえのないつながりを象徴する。日頃の感謝、捧げてくれる愛情、それらを表現したのだろう。しかし、この貴重な資料は保存されることなく展示され続けた。マリアさんの心はどれだけ傷つけられたか、あなたにはわからいでしょう――」


 円先輩の語気が、改めて鋭くなった。そして、その言葉が宮地さんに突き刺さる。宮地さんはブルッと身体を震わせると、力なくその場に座り込んだ。


***


「円先輩! 拓哉先輩!」


 バンッと部室に駆け込んだ私は「今日も元気だね、ミホちゃん」と言う拓哉先輩の言葉を無視して、テーブルの上に叩きつけた。


「ん?」


 窓側の、IT社長が座るかのような豪華な椅子は円先輩が持ち込んだものらしいが、いったいどこから持って来たのだろう? いつも不思議に思う。

 いや、そんなことよりも伝えねばならないことがあった。


「見てください。円先輩、拓哉先輩。赤谷美術館のことが載っています」


 私は、さきほどテーブルに叩きつけた新聞を開いた。その三ページ目の片隅。ひっそりと記事が載っていた。

 円先輩と拓哉先輩が、私の両脇から新聞紙を覗いた。

 記事によると、赤谷美術館は赤字続きの経営と、度重なる不祥事がたたり、閉館することが決定したとのことだった。【度重なる不祥事】が、いったいなんなのかは書かれてはいないが、おそらく『愛』の一件も含まれているのだろう。

 たった数行の記事だったが、部室の空気は重かった。いつもは部室を明るい雰囲気にしてくれる拓哉先輩も、いまは辛辣な表情を浮かべていた。まるで、自分たちのあの捜査が赤谷美術館を潰してしまったかのような、そんな雰囲気だった。

 すると、円先輩が拓哉先輩と私を小突いた。


「いて」


「いた」


 ふたりで円先輩を睨む。


「なにそんな湿っぽい表情になってんだよ。赤谷美術館の壁紙みたいに変色しちまうぞ!」


 笑えない。

 笑いの視点が違う。

私は黙った。

すると円先輩は慌てたように先ほどの新聞を手にし、記事を読んだ。


「赤谷美術館は無くなるが、所蔵品はすべて市立美術館に移るらしい」


「『愛』は、どこへ行くんですかね?」


 私は心配していたことを訊いた。『愛』はいったいどこへ行くのか。

 すると、円先輩は小さく溜息をついた。


「『愛』はマリアさんとローラさんの手元にある。ただ、それだけだ」


「そうだよ、ミホちゃん。『愛』はマリアちゃんが持っているんだよ。大丈夫、大丈夫」


 私は笑顔を作った。作り笑顔だったが、それだけで場が和む気がした。


「ところでなんだが――」


「はい?」


 なぜか円先輩がソワソワしながら話しかけてくる。


「約束、覚えてるよな」


 約束……?

 私は頭の中を駆け巡った。そういえば、なにか言った気がする。


「お、おまえが言い出したんだぞ」


「ああー。ハイハイ」


 思い出した。あのちっぽけな約束。まだ覚えていたのか。

とは思いつつも言いだしっぺは私だ。しかたがない。


「約束ですからね。なんなりと食べたいものを言ってください」


 私はまるで王に使えるメイドのように振る舞った。時折、傲慢な王のような態度を取る円先輩にはピッタリかなと思ったのだが。


「そうだな、前はシューチーズだったから、今度は、そうだなぁ、チーズケーキにでもしておくか」


「わかりました。チーズケーキですね。レアですか? スフレですか?」


 円先輩は少し考えたようだったが、最後には「任せる」と話を丸投げしてきた。ケーキは食べるくせに、あまり詳しくは無いのだろうか? もう、レアでもスフレでもない、チェダーチーズやゴルゴンゾーラチーズでも使ったケーキにしてやろうかと、少し腹を立たせた。それでも、シューチーズよりもチーズケーキの方が作りやすいのを、この王は知らないらしい。万々歳である。


「拓哉先輩も同じでいいですよね?」


 拓哉先輩は、今日の明らかに手抜きであるおやつの葛餅を食べていた。その手を止める。


「うん、いいよ。よろしくね」


 私はさっそく今日、買い出しに行こうかと考えていた。と、部室の扉が開いた。新しい依頼かと思ったが、そこにいたのは由里だった。


「ハアハア、ミホ!」


 息遣いが荒い。


「由里、どうしてここへ?」


 私は率直に訊いた。


「どうしたもこうしたもないわよ! 博物館資料保存論のレポート、明日で締切よ! 一文字も書いてないわ! どーすんのよー!」


 その由里の叫びが、私の時間を止めた。

 数秒後。


「ええええええええええええええええええ!」


私は叫ぶことしかできなかった。

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