博物館資料保存論~③~
「あ、いたいた」
美術館内の喫茶店にローラ親子はいた。円先輩が近づく。
「あの、ローラさんとマリアさんですか?」
そう尋ねると、ローラさんが顔を上げた。その傍で、マリアちゃんはストローでズズズと、オレンジジュースを啜っている。
「はい、そうですが……。あなた方は?」
戸惑った様子のローラさんが、私たちの顔を順に見つめる。いきなりの大男登場だ。不安になるのも無理はない。
私は先輩をどかして、頭を下げる。
「急に申し訳ありません。私たちは盛岩総合芸術大学の芸術犯罪解決サークルの者です。少々、お話をお聞きしたくて来ました」
すると、ローラさんは一度、マリアちゃんを見た。マリアちゃんは時折「フンフフン」と鼻歌を歌っているようだった。
「少しであれば……どうぞ」
私たちはこれまでのいきさつを話した。話す中で、ローラさんの表情は少しずつだが曇っていった。
「そうでしたか。マリアの話がそこまで伝わっていたのですね。わざわざ来ていただいて、申し訳ありません」
ローラさんは再び頭を下げた。
「私にもわからないのです。これまでの展示会にも、今回の作品『愛』を出品したことはありましたが、そのときはなにも起きませんでした」
円先輩はなにかを考えるかのように顎に左手を添えた。
「すると、マリアさんが叫び声を上げるようになったのは、この美術館で展示が行われるようになってから、という訳ですね」
「はい。そうです」
「あの、」
私はローラさんに問いかけた。
「なぜ、あの作品は『愛』というタイトルなのですか? 見る限り本が積み重ねられているだけのようなのですが……」
すると、またしてもローラさんは頭を振った。
「わかりません。でも、マリアは昔から本が好きで、小さい頃はおやすみ前の読み聞かせは欠かせませんでした。きっと、その頃を思い出して、本が好きなことを表現したのではないでしょうか?」
納得はしなかったが、私は、わかりました、の代わりに一度頷いた。
「もう一度お訊きしますが、先ほどの話では、『愛』は他の場所でも展示されていたようですが、そこではなにも起きなかったのですか?」
「ええ。マリアを連れて何度も見に行きましたが、なにも起きませんでした」
「ちなみに、その展示会はどこで行われたのですか?」
すると「えーと……」と、ローラさんは視線を宙に泳がせた。それから思い出したかのように、「ああ」と呟く。
「確か、大野景樹近代美術館です」
大野景樹近代美術館とは、ここから電車を乗り継いで一時間ほど離れたところにある私立美術館だ。
「そこの展覧会でも、マリアさんを連れて観に行ったことがあるのですね?」
「ええ。せっかくこの子が作った作品が展示されるんですもの、一度は観に行きたかったのです」
そこまで話したときだった。隣でジュースを啜っていたマリアちゃんが、ローラさんを「おかーさん」と呼んだ。
「ああ、もう、ジュースが無くなったのね」
それから「申し訳ありません、そろそろ帰りたいと思います」と断りを入れ、荷物をまとめ始めた。
「最後にひとつ」
そう言ったのは円先輩だ。
「大野景樹近代美術館で展示していたときとこの赤谷美術館での展示、どこか作品に違和感はありませんか?」
私は円先輩がした質問が、いったい、なにを意味しているのか、しばらくの間掴み損ねた。
――違和感?
ローラさんは顎に手を添えると、しばらく考え込んだ。
「わからないわ。ただ、あなたの言う通り、なにか違和感はあります。でも、それがなんなのかわからない……。ごめんなさいね、こんな返答で」
「いえ、ありがとうございます」
その言葉に合わせて、三人で礼をした。そして、ローラさんとマリアちゃんは帰って行った。
***
次の日。私は四校時の講義が終わると、友人の甘い誘惑を一切断り、急いで芸犯の部室へと向かった。昼休みに偶然会った拓哉先輩から、今日の活動内容を聞かされ、それからは常に時計とにらめっこをしていたのだ。今日の活動内容とは、『愛』が以前展示されていた美術館へと調査に行くことなのだ。そして、それは同時に緊急招集をかけられたのと同じことを意味していた。
それほど重要な事項なら電話やメール、LINEで連絡をとってもいいと思うところなのだが、なぜだか円先輩は私に連絡をとってはくれない。連絡取るのは、もっぱら拓哉先輩経由だ。理由について、円先輩は口を開かないが、拓哉先輩曰く「緊張するんだって」、と意味不明なことを言っていた。
緊張とはなにか、その理由がわからない。
部室の扉を開ける。
「遅い! なにをちんたら走っているんだ」
円先輩は苛立つと、まるで高校の体育教師のように短気になる。そして、その眼光が私に向けられる。
「すみません。必修の日本美術史の講義だったものですから、抜けるに抜けられなくて……」
「あ、それって細川先生の講義でしょ? 難しいんだよね、あれ」
拓哉先輩が援護射撃をしてくれて、雰囲気を中和した。助かる。
私は、ふと、昨日のミルクティーを思い出した。紅茶の円先輩とミルクの拓哉先輩。あのどちらが欠けても完成しない飲み物は、目の前のふたりのように、両者が溶け込み合うことによって、程よいものとなるのだ。
私は一つ学習した。芸犯では学ぶべきことが多いが、決して嫌にならないのも、芸犯の良いところなのだ。
「さて、揃ったところで出発するぞ。約束も取りつけてあるから、遅れてはならない」
約束?
疑問に思っていると、拓哉先輩が囁いてくれた。
「昨日、戻ってきてから種田先生のところに行ったんだ」
種田博次教授。芸術心理学科のトップであり、実質、この大学のトップでもある。彼は様々な方面に太いパイプを持っている。見た目はその辺にいるオッチャンと違いは無いのだが、その力は凄まじいものがある。そして、なぜか芸犯の顧問をしている。
私は昨日、赤谷美術館を後にしたあと、バイトが入っていたために早々と先輩たちと別れていた。どうやら私と別れた後に話が進んでいたようだ。
「種田先生が言うには、大野景樹近代美術館にはこの大学の卒業生がいるらしくて連絡をとってくれたんだ。で、待ち合わせが午後六時」
「午後六時って、あと一時間半しかないじゃないですか! 急がないと」
「だから言っているだろ、急げって!」
私たちは慌てて荷物を持つと、部室を後にした。
電車を乗り継いで到着した大野景樹近代美術館は、駅前のビルの最上階にあった。まるで高級ホテルのような内装に驚いていると、円先輩が受付で「今日、サトウさんにお会いすることになっている者ですが」と伝えていた。
「はい、お話は承っています。少々お待ちください」
受付の女性は電話を耳に当てると、二、三語話して受話器を置いた。
しばらくして、受付隣の壁と同系色の[staff only]と書かれた扉からひとりの男性が現れた。
「お待たせしました。盛岩総合芸術大学の皆さんですね」
「はい。芸術犯罪解決サークルのメンバーです」
「話は伺っております」
そう言うと、サトウさんは律儀に胸ポケットから名刺を取り出した。名刺には、[主任学芸員 佐東司]と書かれていた。
「私は盛岩総合芸術大学のOBでして、学生だったときには種田先生にだいぶお世話になりました。昨日、電話をいただいたときには驚きました。十数年ぶりに種田先生とお話ししましたが、先生もお元気で、なにより私のことを覚えていてくださったことに感激しました。あ、すみません、私的なことをお話してしまいまして。確か、お話では前回の展覧会について訊きたいことがある、とのことでしたよね?」
円先輩が「はい」と応えた。そして、懐から一枚の写真を取り出す。
「半年前、こちらで行われていたアール・ブリュット展に『愛』という作品が出品されていたはずです。これは現在の『愛』ですが」
佐東さんが現在の『愛』を見る。
それから、円先輩はこれまでの経緯を伝えた。
佐東さんは「うーん……」と円先輩の話を聞きながら、改めて現在の『愛』の写真を見つめた。
「どうですか? なにか気づかれた点や気になった点などはありますか」
「そうですねぇ……どうだったかな。でも、積まれている本は同じだと思いますよ。芸術とは奥深いなぁ、と思いましたから。ただ本が積んであるのではない。その真意を考えると、「これが芸術か……」と芸術の新しい形を考えさせられましたね」
佐東さんは感慨深げに、遠くを見るような表情をした。
「そうですか。ところで、こちらで『愛』を展示しているときにマリアさんはいらしていたんですよね」
佐東さんは「うーん……」と目を瞑ると、ハッと思い出したかのように頷いた。
「ええ、それも毎日お越しくださいました。『愛』を観て、売店を覗き、この同じフロアにある喫茶店でお茶を飲んでからお帰りになっているようでした。それがマリアさんのルーティーンとなっていたのでしょう」
自閉症は〈変化〉への対応が苦手である。一定の時間、場所、行動で過ごすことが、メンタルを一定に保つ重要なことである、と私は今日の心理学の講義で学んできた。
結局、佐東さんからはそれ以上のことは聞きだせなかった。せっかくなので、マリアちゃんが過ごしていた展示室、売店、喫茶店の順に見ていくことにする。
いまの展示会は【甦る美しき刃:日本刀展】だった。館内は照明が多く明るく照らしだされ、日本刀の刃に光が反射する様は、まるで妖刀を観ているかのようだった。
……観たことはないのだが。
売店には展示品のミニチュア版レプリカや、ノート、メモ帳、クリアファイル、図録、美術書、キーホルダー、はたまた高級アクセサリーまで様々なものが売られていた。私は美術書とクリアファイルを購入した。先輩たちも、それぞれ気に入ったものを購入したようだった。
喫茶店では、円先輩はコーヒー、拓哉先輩がココア、私がオレンジジュースを頼んだ。クラシックなのかジャズなのかシャンソンなのかはわからなかったが、西洋風のアンティークが置かれたこの店にマッチしたBGМが流れていた。
着席する、と拓哉先輩が気がついた。
「そういえば、今日はおやつ食べてないよね。三人分のケーキを注文してくるから待ってて」
そう言うと、パタパタと店員のいるレジカウンターへと駆け足で行った。
私は円先輩に向き直った。
「円先輩、なにか掴んだんですか?」
そう尋ねると、円先輩は例の写真を胸ポケットから取り出した。その写真をテーブルに置く。
「これが答えだ」
この写真はいつの間に撮ったのかはわからないが、現在、赤谷美術館で展示されている『愛』だとわかった。
しかし、どういうことなのか。戸惑った。この写真が、答え?
どういうことなのか訊き返そうとしたとき、拓哉先輩と店員さんたちが飲み物とケーキを運んできた。ケーキはショートケーキ、アップルパイ、ガトーショコラの三種類だった。
ケーキ決めの恒例のジャンケンをした。一番、拓哉先輩。二番、円先輩。ビリッケツは私だった。そして私に回ってきた不幸なケーキはアップルパイであった。まあ、ジャンケンの強さは、群を抜いて拓哉先輩が強い。だから、実質的に円先輩と私とでいつも不幸な残り決めをしているのだ。
その不幸なアップルパイを少しずつ食べていると、拓哉先輩が円先輩に問うた。
「なあ、円。もう謎は解けたんだろ」
すると先ほどと同じように、もう解決した、と言うのかと思っていた円先輩から出た言葉に、私は驚いた。
「いや、謎は解けた。だが、まだ情報が足りない」
円先輩にしては、やけに弱気である。
「明日、赤谷美術館に行くぞ」




