博物館資料保存論~②~
「――ということが、この間あったんですよ」
ここは芸犯の部室。〈芸犯〉とは、〈芸術犯罪解決サークル〉の略で、現在、私を含めて三人が所属している。
「へー、そんなことがあったんだ。大変だったねぇ」
相槌を打ってくれたのは、芸術心理学科四年の拓哉先輩だ。拓哉先輩はテーブルに三人分のティーカップを用意すると、そこへ赤い紅茶を注いだ。
「ありがとうございます」
「いいって。円も来いよ」
そう呼ばれて窓際の椅子から立ち上がったのは、拓哉先輩と同じ芸術心理学科四年の円先輩だ。円先輩は読みかけの本をパタンと閉じ、私の向かいの席へと腰を据えた。
「今日はミルクティーだよ」
そう言って、拓哉先輩は紅茶の上に購買から買ってきた牛乳を少しずつ注ぎ始めた。赤い紅茶と白い牛乳。色で言えば赤と白だ。だが、この飲み物は不思議とピンクではなく茶色となる。私はかねてより、この不思議な現象に誰も異を唱えないことを、逆に不思議に思っていた。
「それで、今日のデザートは?」
訊いてきたのは円先輩だ。この男はその体躯に見合って、甘いものが好きだ。彼が欲しているのはデザートとほどよい謎である。
「はいはい、そんなに急かさないでくださいよ。今日はシューチーズにしてみました」
そう言いながら、私は冷蔵庫に入れていた紙箱を取り出し、テーブルの中央で開いた。冷気と共に、その姿が現れる。
「早くしろ。俺は腹がは減っているんだ」
「慌てなくてもシューチーズは逃げないんじゃないか? はいよ、ミルクティー」
拓哉先輩が円先輩の前にティーカップを置くのと同時に、私はシューチーズを乗せた皿を貢ぎ物のように差し出した。
……事実、貢ぎ物なのだが。
その円先輩は、まるで殿様になったかのように「うむ」と言うと、ティーカップを持ち上げた。この身長百九十二センチの巨人がティーカップを持つと、いつものことだが、まるでリカちゃんの御飯事セットであるかのような錯覚が起きる。
円先輩はスッとミルクティーを飲んだ。それから、シューチーズを一口食べると、またしても「うむ」と頷いた。
「どうですか? シューチーズのできは?」
「うまい。が、俺はもう少し塩っ気のある方が好きだな」
「そうですか」
すると、円先輩は「はぁ?」と異を唱えた。
「そうですか、じゃないだろう。おまえは言われっぱなしでいいのか?」
「そうだよ、ミホちゃん。言い返してやれ!」
立ち位置の違うはずのふたりが、私に食ってかかってきた。まさかの板挟み状態だ。
と、私の中で、ひとつの妙案が浮かんだ。
「わかりました、円先輩。では、こうしましょう。先ほどの話にあった謎を解き明かしてください。もし、解き明かせたなら先輩の好きなスイーツを作ってあげます」
そこまで話すと、円先輩の眉がピクッと小さく動いた。どうやら興味を示したようだ。先輩は姿勢を少し正し「そうか」と小さく呟いた。
「俺に、先ほどの美術館での騒動の原因を探れと言うのだな」
「はい。そうです」私は頷いた。
「そういえば、ミホちゃんの受講している博物館資料保存論って、学芸員課程の授業だよね。学芸員の資格を取るの?」
拓哉先輩が問題のシューチーズを頬張りながら訊いてきた。「うま!」という驚きの言葉が漏れる。
「いえ、私はまだ一年なので、とりあえず取れる資格課程を受講しているんです。だから来年からは教職課程の授業も取る予定にしています。まだ、先生になるかは決めていませんけど……」
「そんなことはどうだっていい。すぐ調査に行くぞ」
そう言うと円先輩はグレーのスーツジャケットを羽織り、私たちを置いてさっさと外へと出て行ってしまった。
***
「これがその作品か」
部室を後にした私たちは、さっそく赤谷美術館に来ていた。アール・ブリュット展も後期、しかも平日ともあって、以前来たときよりも来場者数は減り、閑散としているように感じられた。
私たちは企画展示室のほぼ中央にある『愛』を観察していた。『愛』は以前観たときと変わらず積み重ねられていた。
「確かに。本が積み重ねられているだけだね」
拓哉先輩が相槌を打った。見たままだが、それ以外にこの作品を言葉で表現するのは難しいとも思い、私は肯定の意味で頷いた。
「で、おまえが見に来たときにいたんだな、その女の子が」
「はい」
この『愛』を見て泣き叫び走り去った女の子。私はどうしても彼女のことが忘れられない。
話し合っていると、コッコッコと、ヒールを鳴らしながら、ひとりの女性が近づいてきた。
「申し訳ありませんが、館内ではお静かにお願いいたします」
「ああ、すみません。あなたは?」
「私はこの美術館で学芸員をしています宮地と申します」
そう言うと宮地さんは、まるで社長に礼をする秘書であるかのように行儀よく頭を下げた。私たちは、そのあまりの行儀のよさに驚きながら、ワンテンポ遅れて同じように頭を下げた。
「あの、実は先日――」
私は、例の出来事を宮地さんに伝えた。すると、彼女は驚くどころか表情を変えることなく「ああ、そうなんですか」と端的に応えた。
それから宮地さんが「こちらへ」と部屋の隅の暗がりに私たちを招いた。どうしたのかと思ったが、どうやら観覧者に気づかれないために移動したようだ。それでも声量は変えず、淡々と話した。
「ミホさんが目撃されたのは、この『愛』の制作者であるマリアさんだと思います。マリアさんはこの企画展に毎日のようにお母様と一緒にいらしてます。ただ……」
「ただ?」
宮地さんは、表情は変えなかったが、言葉を選びながら話し始めるのがわかった。
「ただ、毎日来ていただけるのはいいのですが、この『愛』を見ると、必ずといっていいほど、叫び声を上げて館内を走り回るのです。その度にお客様からの苦情が寄せられていて、どうしたものかと頭を抱えていたところだったんです」
美術館や博物館にとって苦情は、そのまま売り上げや評価に直結する大問題である。私立ともなれば、あからさまに経営に数字として表れる。それを考えると、先ほどの宮地さんの態度も、幾分かは理解できる。
と、そこへ長い髪をツインテールにした女の子がトトト……と、走り寄ってきた。
宮地さんが「あ」、となにか言い出そうとした、そのときだった。
「キイイイイイヤアアアアア!」
そのけたたましい叫び声に、その場にいた人々は驚き、一瞬だったがすべての行動を停止させた。
「止めなさい、マリア!」
女性が女の子:マリアちゃんの口を塞ぐと、マリアちゃんは暴れ、女性の腕をかいくぐって通路の奥へと走り去って行った。「待って!」女性もマリアちゃんを追って行った。
「いまのは?」
「いまのが『愛』の制作者のマリアさんと、お母様のローラさんです」
宮地さんだ。
「マリアさんは、いまのように『愛』を見ると叫び声を上げて走り出してしまうのです。どうしたらいいものか、当館でも対応を模索しています」
すると、円先輩は「ふむ」と相槌を打った。
「宮地さん、少々お訊きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「はい、なんでしょう?」
宮地さんは周囲に観覧者がいないことを確認してから、声のトーンを少し上げて応えた。それから、視線を円先輩に向けた。私も、先輩がどんな質問をするのか聞き耳を立てた。
「この展示会の前はどんな展示会をしたのですか?」
私の頭には「?」が浮かんだ。いったい、その質問がなにに役に立つのだろうか。見ると、宮地さんも少し困惑を顔に浮かべていた。だが、彼女は真っ直ぐに、その整った顔を元に戻した。
「このひとつ前は【縄文土器の美を巡る】というテーマで、北区飛鳥山博物館とタッグを組んだ展示会を催しました」
「そうですか。土器ということは、なかなか展示期間中の保管には気を使ったでしょう。しかも、他の博物館からの借り物ですしね」
宮地さんが薄く微笑む。
「確かに難しかったと思います。しかし、こちらも美術の専門家です。その点はぬかりなく行いました」
会話を続ける先輩の視線が、対角線の部屋の片隅に向けられていることに私は気がつく。その暗がりの片隅の天井には防犯カメラが備えつけられていた。
防犯カメラは、ジッと私たちを見つめていた。




