声楽Ⅰ~②~
「と、いう訳なんです」
私は抹茶カステラを切り分けながら円先輩に説明した。
ここは〈芸犯〉の部室である。芸犯とは〈芸術犯罪解決サークル〉の略で、芸術犯罪に関して調査をし、その解決に努める部活である。部員は現在三名。私とカステラをいまかいまかと待っている環円先輩と石井拓哉先輩だ。
「うむ。うまい」
円先輩が唸る。
「おいしー! おいしいよ、ミホちゃん!」
拓哉先輩がフィーバーする。
「ありがとうございます」
一九二㎝の円先輩と一八五㎝の拓哉先輩という全くスイーツ男子には見えないこの二人には食べさせがいがあると感じる。
このコンビは、こう見えてもこれまでいくつもの謎を解決した。特に円先輩は切れ者で、調査を重ねて何人もの犯人を暴いてきた。
「……塩だな」
「え?」
「隠し味。しかもゆず塩。ちょっと奮発したんじゃないか?」
私は嬉しくなった。円先輩が神の舌を持つと分かってから、それまで以上にスイーツ作りにこだわるようになったのだ。とはいっても、目的は〈いかに円先輩をだませるか〉だが。
「あの、私のこと忘れてない?」
飛鳥先輩だった。音楽学部での事件について話すために連れてきたのだ。
「そんなことはないですよ。ホホホ」
そう言いながら、ごまかしまぎれにカステラを渡す。
「おいしい!」
私に対する賛美の声が止まらない。
カステラは、なぜか中途半端に残ってしまい、スカイツリーと東京タワーのじゃんけん対決になった。しかし、じゃんけんの勝率は拓哉先輩が高いのを私は知っている。
負けた円先輩が訊いてくる。
「それで? 他になにか情報はないのか?」
「ええ、その控室は、そのとき泣いていた女子学生一人しか使っていなかったそうです。基本的に一人に一部屋が割り当てられていたそうで。で、訊いたところによると、部屋を後にするときは、もちろん貼り紙なんて無かったそうです。戻ってきて気が付いたときに怖くなって叫んだそうです」
先輩は「ふ~ん」といいつつ、カステラの乗っていた皿を名残惜しそうに見ている。
「ところで、これって芸犯の管轄ですか?」
私は思っていたことを訊いた。
「は? どういうことだ?」
「いえ、これまでどちらかというと美術関係の事件に関わってきていたので、音楽関係はどうなのかな、と」
円先輩は、ふうっと、息を漏らした。
「音楽はもちろん芸術に含まれる。音という現象を用いた時間の芸術だ。芸術論や美学を語る上で、音楽を外すことはできない」
「ということは、今回の事件も――」
「もちろん、芸犯の対象だ。芸術を脅かすことを見て見ぬふりなどできない」
円先輩は立ち上がった。
「不審な人物ですか」
音楽ホールの警備員は、円先輩と比べると小柄で、いささか頼りがいのない雰囲気を醸し出していた。無論、円先輩が大きすぎるということも加味しなければならないのだが。
「ええ、あの貼り紙のあったとき、誰か怪しい人物の出入りなどありませんでしたか?」
警備員はしばし考えたが「分からな」とだけ答え、巡回業務に戻っていった。
先輩は、部室に拓哉先輩と飛鳥先輩を残し、私だけを連れてホールに来た。なぜ、私だけなのだろう? 考えても答えは出そうになかった。ここは後輩の育成と位置付けておこう。
先輩は控室に続くドアを開け、中に入る。
控室の廊下は一直線の白塗りで、蛍光灯の明かりがまぶしく感じられる。右手にいくつものドアが並んでおり、その全てが控室で、いまは開け放たれている。どうやら発表会の片づけをし終わった部屋のようだ。
先輩は事件のあった部屋を覗いた。誰もいない。荷物もなく、もちろん貼り紙もない。
私たちが覗いていると、
「あれ、さっきの子じゃん」
と、聞き覚えのある声がした。見ると、先ほどまでタキシードを着ていた男子学生が、隣の部屋から荷物を持って出てきていた。
「あ、さっきはありがとうございました」
「ああ、いいよいいよ。それより、あ、俺は野田。声楽科の三年生。よろしく」
野田先輩はにこやかに手を出してきたが、まるでライオンのように威嚇していた円先輩に気付くと、手を引っ込めた。
「それにしても、あのあと騒ぎはどうなったんですか?」
「あー、あのあとは、なにもないよ。ただ演奏会が続いただけ」
私は驚いた。
「え? なにもないんですか?」
「まあね、音楽もそうだけど、芸術っていうのは表現の自由を尊重するんだ。表現が害悪によって捻じ曲げられそうなときほど、落ち着いてあるべき姿で表現する。それが芸術さ」
野田先輩のいいたいことはわかった。
「ふむ。確かに芸術の理想論としては素晴らしい。しかし、害悪の根底を変えなければ、芸術もいつか捻じ曲げられてしまうかもしれないな。戦争芸術のように」
円先輩は丁寧に、しかし確実に野田先輩の言葉を否定した。表現を守るのであれば動かなければならない、と。
野田先輩は「はは……」と笑うだけだった。円先輩の方が一歩上手だと気づいたのだろう。
「ところで、演奏中にこの控え室に入った人はいますか?」
野田先輩は考えた。
「出演者は自分の演奏時間の五分前になると舞台袖に移動するんだ。それから演奏して、終わったらそのまま控え室に戻ってくる。問題の小川は、あ、脅迫されたのが小川法子っていうんだけど、『椿姫』が五分程だから、約十分は控え室を空けることになる。その十分間なら誰か入れるかも。一緒に出演している僕は無理だけど」
「なるほど。わかりました。ありがとうございます」
野田先輩は爽やかに手を振ると、荷物を持って歩いて去って行った。
チッ、と先輩が舌打ちするのが聞こえた。なにをイライラしているのだろう。
他に誰かいないか探す。と、一番奥の部屋から物音がする。
部屋を覗く。一人の女性が荷物を旅行鞄に入れているところだった。
「あの、すみません」
私は話しかけた。
女性は私たちに気が付き手を止めた。私と円先輩を交互に見ると「はぁ……」と言葉を漏らした。
女性は、ピアノ学科三年の道長笑美という女子学生だった。脅迫を受けた小川さんのピアノ伴奏を担当している、あの青いドレスの女性だった。本来はピアノ学科での試験だけでいいのだが、小川さんとは幼馴染のつながりで、よく伴奏をしているらしい。
道長先輩は急な訪問にも関わらず、私たちにペットボトルのお茶を出してくれた。
「そうなんですか、捜査をねぇ、ご苦労様ですぅ」
おっとりとした話し方は、どこか種田先生を連想させる。
「あ、あの、小川さんが誰かに恨まれたり脅迫されたりしていたことはありませんか?」
道長は「う~ん」と考えた。
「そんなこと聞いたことないわねぇ。ただ……」
「ただ?」
「ええ、ただ、法子は不眠症になってしまったみたいでぇ……、いまも精神科に通院しているの」
「そうなんですか、不眠症に」
会話をしている私の横で、ずず~っと音を立てて先輩がお茶を飲みほした。
その不躾な作法に、わたしは思わず先輩の足を蹴ってしまった。円先輩は瞬間的にこちらを振り向いてきたが無視した。マナーがなってない。
それを見て道長先輩は「ふふ」と笑った。
「仲がいいんですね」
私は「は?」と訊き返そうとしたが、それよりも早く円先輩が「はい」と、短く応えた。
「わぁ~、やっぱり。なんだかそんな雰囲気してたんですよねぇ」
道長先輩が勝手に話を進める。
いや、そんなことよりも、どゆこと? なんで円先輩は「はい」っていってんの……?
私の頭の中は、まるで洗濯機のようにかき回された。
「私と法子も昔はとっても仲がよくてね。あ、いまも仲は良いんですよ。うふふ。でも、小さい頃はもっと仲が良かったなって、最近は感じているんです。昔歌ったカッチーニの『アヴェ・マリア』なんかはすごく良くて、楽しんで歌ってたなぁって……」
そうこうしているうちに道長先輩との会話は終了し、わたしたちは白塗りの廊下に立っていた。
***
巨体は警備員室へと移動した。
警備員室には様々な機器が並んでいた。その中の一つ、モニターが並んでいる機器に近づく。モニター前には、一人のおじさんが座っていた。
おじさんは「中川だ」と端的に名乗った。どうやら、この音楽ホールのメディアシステム機器のすべてを任されている、実はものすごい人物だということがわかった。
事件の捜査をしていると伝えると、中川は「よし、いいぞ」と協力を申し出てくれた。
「まず、脅迫があったときの控え室廊下の映像などはありますか?」
控え室廊下に防犯カメラがあるのは、先ほど確認していた。
「ちょっと、まっとれぇの」
中川は機器のボタンをいくつか操作した。
「そこのモニターに映るでぇ」といい、問題の映像を流した。
モニターには先ほどの廊下が映っている。時折タキシードやドレスで着飾った人たちが通る。問題の部屋は手前から二番目だ。
…………
…………
誰も入らない。
そんな映像だけがずっと流れる。
部屋から女性が出てきた。おそらくこの人が小川法子だろう。演奏のときと同じピンクのドレスに身を包んでいる。
…………
…………
時間だけが過ぎる。
先ほど画面から出ていった小川法子が控え室に戻ってきた。
防犯カメラにはマイク機能は着いていない。おそらく悲鳴が聞こえたのだろう。多くの人が彼女の控え室に集まり出した。
中川が映像を止める。
円先輩は、いつもの手を顎に当て考えるスタイルに入っている。
私にはちんぷんかんぷんである。
「なぁ、お前、この人の演奏を聴いて、なにか感じることはなかったか?」
ユグドラシル円は私に尋ねてきた。
「そうですね、なんか、こう、椿姫にしては悲しいっていうか、虚しさを感じました」
「虚しさ……」
そうつぶやくと、中川に「この間の発表会で小川さんが歌った映像ってありますか?」と尋ねた。
「このあいだのだったらすぐ出しぇるぞ。ちょいまっとれ」
すぐモニターに映像が流れた。マイク機能があるのだろう。スピーカーからは音も出ている。
映像はあのときのままだ。
ピンクのドレスの女性にタキシードの男性。
華やかなはずなのに、どこか哀愁を帯びて、虚しさ漂う歌声。
円先輩を見る。
ユグドラシル円は、その名に恥じない巨木になったかのように微動だにしない。目をつぶり、音楽に耳を傾ける。
曲が終わった。次第に呪いが解けたのか、ユグドラシル円も動き出す。
大きく息を吸う。
「さあ、事件を解決しよう」




