絵画Ⅰ~①~
「ここか……」
私は手に持ったチラシと目の前のドアを交互に見た。
ここは教授棟の二階だが、目の前のドアには『芸犯! 芸術犯罪解決サークル』と書かれたポスターがでかでかと貼られていた。ここで間違いないようだ。
私は呼吸を整えて、三回ノックした。
「はい」
ドアを開けたのは一人の男性だった。が、でかい。何よりも先に目がいったのは、彼のミッ〇ーのTシャツよりもその身長だった。
「女の子! やった、やった、やったー!」
出迎えた男性は薬缶のように急に沸騰した。
「かわいいね。名前なんて言うの? って、そうだった、相談かな? 入部希望かな?」
男性はせわしなく訊いてくる。
「うるさいぞ。もう少し静かにしてくれ」
よく見ると、奥にあるソファに白のジャケットを着た男性が座っている。彼は本を読んでいた。
ドアを開けた男性は、その男性に近づいた。
「マードッカくーん。そんなこと言ったって、本当は喜んでるんじゃないの? ささ、こっちに来て座って。今お茶淹れるから」
私はソファに座った。すでに座っているマドカという男性は、こちらを見ようとはしない。しかし……でかい。この人物も相当な高身長なのが見て取れる。
室内を見回した。本棚が四方を覆い、中央にはソファとテーブルがある。一角にはキッチンスペースもある。少し埃臭いが、掃除は行き届いているのが分かる。
男性はお茶を運んでくると、マドカの隣に座った。
「あ、話の前に自己紹介しといたほうがいいね。俺は石井拓哉、二一歳。芸術心理学科の四年生。彼女募集中。身長一八五㎝の七〇㎏、好きな食べ物はチーズケーキです」
勝手に自己紹介をすると、拓哉先輩は勢いよく頭を下げた。それから、隣に座っているマドカを指さした。
「こいつは環円、二一歳。芸術心理学科の四年生で、俺と同じく彼女募集中。身長はなんと一九五㎝、体重八八㎏。好きな食べ物はパウンドケーキ」
円先輩は本を閉じて睨みつけたが、拓哉先輩はスルーした。
私は少し笑ってから自己紹介をした。
「私は大地字ミホと言います。一八歳です。絵画学科の油絵専攻に所属しています。えっと、彼氏は募集中です……。身長は一五六㎝、体重はシークレット。好きな食べ物はヨーグルトです。今日は相談に来ました。よろしくお願いします」
自己紹介中、円先輩がじっとこちらを見つめていた。
「相談ということは、何か事件なのかな?」
拓哉先輩が急かすように訊いてくる。
私はギュッと手を握り、頷いた。そして何があったのかを話した。
*
「私【絵画Ⅰ】の課題に取り組んでいたんです。課題は静物で、特に対象物などは決められていませんでした。なので、レモンとリンゴとアボカドにしたんです。空き時間に少しずつ描いて、昨日その作品を先生に持って行きました。そしたら、こう言われたんです。
『これと同じ作品が、もう提出されています』
私、何が何だか分からなくて、先生に問い詰めたら、その絵を見せてくれて。それは、本当に同じ絵だったんです。レモンとリンゴとアボカドで……。配置や色の具合なんかもそっくりで。なんで同じ絵があるのか混乱しました。そしたら、
『あなた、この絵を描き写しましたね』
そう、先生が言ってきたんです。
『私、そんなことしていません』
否定しました。でも信じてもらえなくて、絵を受け取ってもらえませんでした」
私の目からは、涙がこぼれた。
「悔しいんです。私は誰の絵も真似てない。なのに……なのに……。絵を真似されたのは私なのに、なんでこんなに悔しい思いをしなくちゃいけないの?」
私の話を二人は静かに聴いてくれた。
しばらくして落ち着きを取り戻してきた私に、円先輩が語りかけてきた。赤くなった目を、その目は鋭く捉える。
「はじめに、おまえの絵を見せてもらいたい。いいか?」
「はい……?」
*
私の絵は美術演習室の奥、イーゼルの脇に他の絵と一緒に立てかけてある。
「いつもここにあるのか?」
円先輩は左手を顎に当て、考えながら私に問いかけた。
「ええ。油絵は乾かすのに時間がかかるので。本当は窓の脇とか広いところを使いたかったんですが、授業や他の人も使うので、諦めてここに」
「お、これかな? レモンにリンゴにアボカドのミホちゃんの絵は」
拓哉先輩が一枚の絵を取り出し、イーゼルに立てかけた。
その小さな三号のSサイズ、正方形のキャンバスには、リンゴを中心にレモンとアボカドが並べられている。誰が見ても、いたって普通の絵だ。
拓哉先輩がいろんな角度から見ようとウロチョロと動き回るのに対し、円先輩は絵の正面、直線上から動かず一点だけを見ていた。
ただ一点だけを。
しばらくして円先輩は、息をすることを思い出したかのように大きく深呼吸し、不思議そうに見ていた私に向き直った。
「さぁ、捜査をはじめよう」
*
はじめに、私たちはある部屋を訪れた。
「種田教授、失礼します」
『種田』と呼ばれた男性は、芸術心理学科で心理学を教えながら、《芸犯》の顧問をしているらしい。そして、心理学の調査と語っては彼らに協力しているのだという。
快く迎え入れた教授に円先輩は、今回の事件のいきさつを話した。
「そうですかぁ。それは大変ですねぇ。どうにかしないとぉ……」
ずいぶんおっとりとしているが、大丈夫だろうか。不安を感じた私をよそに、円先輩は続ける。
「お願いしたいのは、吉野さくら准教授から例の作品を借り出してもらいたいのです」
吉野さくら准教授は、【絵画Ⅰ】の授業を受けもっている先生である。前衛的な作風を好む一方で、性格は短気でヒステリックな面もあり、彼女のゼミに入る人は『勇者』と讃えられている。
教授は、申し出を二つ返事で了承した。
「よろしくお願いします」
円先輩はそう伝えると、私たちを連れて部屋を後にした。
*
「不審な人?」
美術演習室の前で、今度は聞き込みを始めた。拓哉先輩は別のところで聞き込みをしている。円先輩曰く、彼は無駄に顔が広いのだそうだ。聞き込みは得意分野らしい。
「ごめんなさい、分からないわ」
そう言うと、女性は足早に去って行った。
これで九人目だった。
「なかなか情報ってないものですね」
「そんなものだ」
円先輩の返事は素っ気ない。
円先輩の推理では、私が絵を描く月・水・金曜日に犯人は犯行を行っているのだという。なぜなのかと考えていると、
「あれ? ミホ、何してんの?」
白いTシャツにジーパンの女性が話しかけてきた。友人の由里である。
彼女は教室のドアを軽く超える円先輩に気付き、後ずさった。
「あ、ごめん。また後で……」
何か含みを持たせた言い方である。
去ろうとする彼女をどうにか引き止め、不審な人物を見ていないかを訊いた。
「うーん、まぁ、そうだねぇ、あれかな?」
彼女の話だと、時々ここで一人で絵を描いている人物がいるという。奇異な点は、その人物は静物ではなく、キャンバスを見て描いていたという。
私は直観的に、自分の絵が描き写されたのだと確信した。
彼女はそれだけ伝えると、首をかしげながら去って行った。
絵が写し取られていることは分かった。しかし、なぜそれが私が描いたすぐ後だと分かるのだろう……。私は勇気をもって、隣にそびえ立つ先輩に訊いてみた。
「あの、先輩。なんで犯人は、私が絵を描いたすぐ後に描き写しているんですか?」
円先輩は私を見下ろしながら答えた。
「おまえ、はじめに自分の絵を探す時、偽物があると気付いたか?」
「……いいえ」
「この手の犯罪で犯人が最も恐れるのは、描き写している途中で犯行がばれることだ。つまり、見つからないようにしなければならない。そうなると、まず、同じ時間帯には描くことはできない」
私は頷いた。同じ時間、つまり、私が描いている横で私の絵を描き写していたら、それは捕まえてくださいと言わんばかりの行為である。
「それから、次の日になると、いつおまえが絵を描きに来るか分からない。つまりは発見される可能性が高まる。そうなると、必然的に同じ日の別の時間帯、それも、おまえが描き終わった後だ。そうでないと、絵の続きが描けないからな。そして、人の少ない時間を見計らって行うことになる。そう考えれば、おのずと犯行時間は絞られるはずだ」
私は先輩の横顔を見つめた。
その時、遠くから拓哉先輩が声を上げながら走ってきた。