009話 智、恥ずかしがる
入室を促した校長は以降、何を言うでもなく満足そうに笑みを浮かべて可愛らしいのに男装な生徒を見詰めている。
担任の笹木先生は、全てをぶち壊した校長の背中を睨めつけ、早く消えろと怒りのオーラを放つ。
大半の生徒は言葉もなく、不躾な視線を男装の女子に送り付けたまま、何者かの行動に期待する。
松元 未貴は何か言おうと口を金魚のようにパクパクさせるが、思ったように声にならず。
竹葉 大起は、その未貴から真後ろへと視線を動かした。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
こうして誰もが口を開けない、開かない異常空間が成立した。
そして形成されたのは、ただ注目されているだけの時間。智にとって、それは良い言い方をすれば鑑賞。悪く言えば値踏みされているような時間だった。
そんな沈黙に耐えられず、45度ほど下向きだった小さな顔が50度、55度、60度と下へ下へと降りていく。奮い立たせた勇気が萎んでいく様を見ているかのようだった。
これはいけない!
ようやく怒りを制御した笹木先生が笑顔を取り繕い、今は校長が陣取ったままの教卓へと動き始めた。
その時だった――。
「おっ! おいおい! マジか! お前、めっちゃ可愛くなってるな!!」
教室前方ドア付近で佇む梅原 智から教室内で一番遠い位置。つまり、窓際最後方から発せられた声だった。
「どうしたんだよ! お前!」
少女が弾かれたようにその小さく優しげな顔を上げると、その強ばりがゆっくりと弛緩していった。
「お! 顔上げた! うっわー! お前、マジで梅原!? 面影しかないよな! ははっ! 可愛すぎるだろ!!」
穏やかで止まる筈だった表情は、櫻塚 純の煽りを受けて逆方向に振り切れていく。
「小さいし! 可愛すぎる子役とかで通るレベルじゃね!?」
瞬間湯沸かし器のように顔色を変えていく。純白だった顔色が赤に染まり、頬がヒクつく。きっと彼女は男性だった頃の思考のまま、『もうやめてくれ! 十分だ! ありがとう!』とでも思っていることだろう。
そんな智の思いを純は正確に汲み上げる。
小学生時分に過ごした時間分、純は智也を理解している。
「あははは!! 照れたぞ! 可愛すぎるだろ! ほら! お前らも何か言え! 思ってんだろ!? 可愛いって!」
理解していながらその単語を連呼する。智の嫌がる姿を見るためだけに。羞恥に染まる智への嗜虐心を膨らませて。
「でしょ!? ほらほら! あたしの言った通り、可愛いでしょ!?」
いち早く呼応したのは松元 未貴だった。
彼女は、クラスメイトたちに暖かく向かい入れて貰うという使命を、純の言動で思い出した。今まさに純がしているとおり、盛り上げねばならない。
「可愛いわ! うん! 認める! 智ー! ちょっとこっち来てくれ! その可愛い顔、間近で見せてくれ!」
純の呼び方が『梅原』から『智』になってしまっているが、彼の脳内はアドレナリンやらセロトニンやらに浸され、気付いていないだろう。あるのは、あのハイスペックな智也をいじり倒せているという高揚感だ。
「だよねだよね!? あたし、本当のこと言ってたんだからさ!」
「本当だった! 未貴より可愛いじゃん!」
「あはは! 本当ですね! 未貴が霞んじゃいました!」
未貴に散々言われていた友だちも、遅ればせながら追従を果たした。これがまた、別の生徒たちの言葉を引き出していく。
「そうだな。確かにハイレベルだ」
「私、余裕で負けてる。元男子とか嘘だよね?」
「わたしもその病気にかかりたいっ!」
「性別変わるよ?」
「それでもいいっ! むしろイケメンなって侍らせたいっ!」
「え? ちょっとじゃなくてかなり引く……」
「とにかく、すっごいよね」
「うん! 可愛い!」
声のトーンの高い声が次々と溢れ出していく。連帯感の強い女子特有の能力が発現した瞬間だろう。盛り上げたいと言うよりは、本音ダダ漏れしてる子も多いようだがそこはそこだ。
「……っっ!」
無言で見られているだけだった。
そんな見世物のようだった時間は過ぎ去り、持て囃される立場となってしまった智は、その褒め上げられた顔を両手で覆い隠してしまった。ただ単純に恥ずかしいだけだろう。見える耳が真っ赤になっている。
「………………」
この状況を端から客観的に眺めている少年が、純の列の一番前に居る。
最後列の変人に任せ、期待通りに騒がしい教室になったものの、純以外の男子の声が挙がらない。これを不服に思うのは、柔らかな表情を絶やさないイケメン眼鏡気遣い少年・自称バランスメーカーの竹葉 大起。
彼は、ふぅと小さく息を零すと、今も尚、「智ー? 女子が可愛いってよ。凄いなー!」と、煽り続ける純に負けない声量で発した。
尚も煽る。智を煽る純のように、大起は言葉を発しない男子に対して。
「あははっ! 男子たち静かすぎない!? こんなことじゃ、櫻塚に取られるぞ! 元々、幼馴染みってアドバンテージがあるのに、ここでアピールしなくてどうすんの!?」
大起のこのひと言により、男子勢がざわつき始める。
戸惑っている男子が多いのは、梅原 智が元男子だからだ。特別、可愛いのは認めるけれど、お付き合いやらを考えると何かとハードルが高すぎる。
これを理解した上で更に煽る。煽り続ける。
「智だけじゃなくてさ! クラスの女子たちに器量の狭いヤツって思われてもいいの!? 女子のみんなは受け入れてるよ!」
この言葉は威力絶大だった。
ここで受け入れの態度を見せねば、智はともかく、他の女子に甲斐性も何もない、了見の狭いヤツだ……と思われる。つまり、白い目で見られると大起は言ったのだ。
「う、梅原! お帰り! またよろしくな!」
「署名活動には俺も参加したんだぞ!」
「元気そうで良かったわ!」
「マジで可愛いん何とかしてくれ! どう接すればいいんかわからん!」
「それな!」
そして、先程の静寂とは正反対。
喧噪に包まれた時間がしばらくの間、形成されたのだった。
(あはははっ! めっちゃ恥ずかしがってやがんの! おもしれー!)
純くんは満足そうである。
散々行なった煽りが、結果的に智を受け入れるための布石となったことに気付いている様子はない。
初日の一気出しはここまでとさせて頂きます。
こんな雰囲気で進んでいきますよ。
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数字や言葉での実感がモチベーションを引き上げてくれるのですっ!!