039話 ようやく定まった方針
「…………っっ!」
一瞬、言葉に詰まってしまった。
智也がショートヘアの美少女になってしまった姿を見て、僅かに二日目。セーラー服を着用したどう見ても女子な姿としては、今日が初めてだ。
慣れていないのだ。
女子に対するコンプレックスこそ小さい、人並みに異性に興味を持つ純だが、話す機会は余りない。
智の外見の変化が、純にも多大な影響を与えている。
極力、音を立てないようにそっと唾を飲み込む。緊張している様子は悟られたくない。
「……気になるんか?」
可能な限りの平静を装い、智がしていたように自分の髪の毛に触れてみた。
「……なにが?」
ジェスチャーでは伝わらなかった。
ちょっとだけイケてる寄りの純の顔が、困り顔に変化した。理解したのだ。智の動作が無意識だったことに。
「……いいや。またあとで」
何気に純の頭の回転は速い。使い方を間違っているだけだ。
努力型の智より、よほど天才肌なのは彼のほうだ。一緒に目指した高偏差値の私立中学。点数のみ見れば、きっと純のほうが取っていたはずなのである。
それから更に数分。
隣りの席の幼馴染みが、またも髪の毛をいじり始めた。艶やかで癖のない栗色の髪を左手がなで付ける。
「智?」
今度は一撃だった。
すぐ純に気付いた智がシャーペンをシャープな顎に当て、小さく首を傾げてみせた。
『なに?』……と、声なく示したのだろう。
(ぐ……。くっそ……。その顔でその仕草やめろ……!)
……などと思いつつ、もう一度、自分の頭部を指差した。
声を出さずに疑問を表そうと思えば、小首を傾げる動作が自然なのだが分かっていてもやめて欲しい。
「あ……」
ちょうど良く小さな可愛らしい左手が、柔らかそうな細い毛を梳いている最中だったので、ようやく気付いたらしい。
癖と言っても良いレベルで髪の毛に触れていたことに。
「……気になるん?」
智は意識してしまったのか、右手で左手首を掴み、机の下に隠してしまった。
「……言われなきゃ気にならなかった……」
蚊の鳴くような声だった。騒ぐわけにはいかない。なにしろ授業中である。
それでも少女特有の濁りのない、甘く澄んだ声で不満を表した。その表情は怒ると言うより、拗ねるほうが近い。少し、口を強めに噤んでおり、薄い桃色の唇の色素が薄くなっている。
不満も当然だ。
純の指摘がなければ、智は気付かなかった。問題のない癖であれば、何も問題ない。だが、髪の毛いじりは女子に多い癖のようにも思える。なので男やら女やらに敏感になっている智にとっては、ちょっとした問題だ。悪い癖に思えてしまう。
その悪い癖というものは、大抵の場合、気になり始めると長時間、意識してしまうものだ。もやもやするような、心地の悪さを感じながら過ごすことになる。
指摘するだけした厄介なヤツは、少女化した元親友を放置すると、ノートを開き、何か書き始めた。実に珍しいことだ。もしも、今も授業を進めている教師が気付いたとすれば、大いに驚くことだろう。
軽く紙の破れる音を発したかと思えば、前に座る小太り男子の肩に触れ、「これ、松元に」と手渡す。
授業中あるあるの一つ。ノートの切れ端でのメッセージのやり取りを開始した。
「え? あ、あぁ……」
前の男子は、こいつどうした? ……と言いたげだったが、普段から何事にも興味を示さない後ろの変人がアクションを起したせいだ。
「……これ、櫻塚から松元……」
「……未貴にって。櫻塚くんから」
その手紙が流れる様子を純は楽しそうに。智は不安そうに眺めていたのだった。
それからしばらく。
戻ってきた。返信代わりのアイテムが。
純にではなく、智に対して。
至ってシンプルな二本の黒いヘアピンである。当たり前だがカーブではなく、髪留めのほうだ。元々、ヘアピンカーブの由来はこのアイテムから……だが、どうでもいい話だ。
「これ……」
何の変哲もない黒のピン。それを持ったまま、固まってしまった。
智の戸惑いと羞恥の元凶である女の子用アイテム。これがまた手元に一つ来てしまった、といったところだ。
最近は使用する男子も存在しているが、智の周囲には居なかったのだろう。何せ、学力重視の中学校に通っていた。
純は純で男子の中にさえ友だちの居ない異端児。しかもお洒落になど興味のないタイプだ。二人ともそんななので、流行やら風潮など知りもせず、ヘアピン一つで女子度合いの確認が取れてしまうのである。
葛藤している智は、送り主である松元 未貴に目を向ける……と、ばっちり目が合った。
ついでに、可愛いとクラス中の女子から評判のにっこり笑顔を添えられた。使ってね! ……と声まで聞こえてきそうだ。
「……純。勘弁してよ……」
ぶつぶつと純に聞こえるように文句を呟くと、そのピンを使い、四苦八苦しつつ髪の動きを軽減させた。
何が書いてあったのか分からないが、ここで断ると未貴を傷付けてしまう予感でもしたのだろう。
現に松元 未貴は、満足そうにうんうん頷いてから正面に目を戻した。使用しなかった時、逆に凹んでいたはずだ。
(ぷくくっ……。赤い顔してピン留め……。可愛いぞ。智ちゃん……)
耳から頬に。頬から耳に……と、移動を繰り返してた髪を留め終えた智の顔は、ちょっと右向きだ。左の純には見せたくないらしい。しかし、ピンをしたことによって完全に露わになった耳が赤く、羞恥心を抱いたことを確信した。
思い通りに動かされ、思い通りに恥ずかしがる智を横目に優越感に浸っている。
彼の嗜虐心を存分に満たしてしまっている。
◇
ふーん……。
今の反応を見る限り、やっぱり女子扱いはなるべくされたくない……と。
しっかりと男のプライド残してるワケだ。
んで、今回も俺の言うことは嫌々でも聞いた……と。
俺としても、こいつの留年退学コースは後味が悪いから阻止したけど……、ぶっちゃけ、甘かったかな……とか思ってたよ。
でも、これで正解だった。
こいつは俺の言いなりだ。しかも、どんな命令でも聞きそうなほど。
だったらそれを利用するしかないだろ。
そうだな。
……プライドを破壊してやろう。
男のままで居たいなら逆にどんどん女扱いしてやる。
恥ずかしがる方向に持ってって、いじっていじっていじり倒してやる。
屈辱だろ? 智也?
………………。
智。
智也。
そっか……。
……中身が『梅原 智也』だと思うからムカつくんだ。
……だったら。
中身も完全な女の子の『梅原 智ちゃん』にしてしまえばいい。
そうすりゃ、あの智也も消えるし、万々歳?
こいつ、未だに俺への好感度高いみたいだし……?
…………。
あわよくば惚れさせて……。
告白させて……。
気持ちよくフってやれば……!
完璧だ!
◇
これが『櫻塚 純』が『梅原 智』に対する復讐の方針を定めた瞬間である。
これまでは……と言っても、前日に復学した智だが、その時には指針が決まっていなかった。行き当たりばったりだったからこそ、裏目に出ていたと思い込んでいる。
大目標は決めたものの、これから先、やっぱりやることの大半が思い付きであり、裏目裏目に出まくることなど、知る由もなく。
「櫻塚? なんか珍しい奴が活動してるかと思って、黙って流してたが……。お前、どうした? ニマニマして気持ち悪いぞ?」
「あ、はーい。すみません、大人しく元に戻ります」
男性教師に言われた純は、またいつものスタンスを取り戻す。
くすくすと笑い声がクラスメイトたちから漏れていたが、気分が高揚している純くんは意に介さない。
楽しい未来を想像し、下向きでニヤニヤし続けている。
「お前、そうじゃないだろ……」
たまには、まともな授業態度を取ってくれ。
そんな先生の言葉は、虚しく響いただけだった。




