037話 可愛すぎるだろ!
櫻塚 純は、授業中の板書をしない。
もしも彼がスマホを紛失したとしても、しないのだ。
純は、板書を無駄と思っている。その無駄を嫌っている。
黒板だろうとホワイトボードだろうと、所詮、教科書のまとめやら延長にしかなっていない。
基本、先生の話の中にほとんどの答えがある。なので、とにかく聞く。スマホでオンラインゲームをやっていようとも、耳は先生の言葉を拾っている。
これが小学校、中学校と階段を上るにつれて顕著になっている。
……いや、なっていた。
今日この日。
純の鉄壁に見えているだけのガラスのハートが多いに乱されている。
先生の言葉は右から左にすり抜けていく。
スマホは時間の経過による省エネ機能で、何度も何度もブラックアウトしている。
(……髪の毛いじりすぎだろ……)
隣のセーラー服美少女の動向に気を取られてしまっている。
(こいつ、こんなに髪とか触ってたか……?)
過去の智也を脳内から検索してみるが、該当なし。
中学時代のことなど知らないし、同じ高校になってもそもそも視界に入らないようにしていたので、高校一年生の智也のことも分からない。
新しい癖なのかもしれないが、小学校時代にはナルシストになるような素養もなかったような気がする。
どうにも情報不足だ。
(また……!)
教科書を見ていた智が、先生が話し始めると同時に顔を上げる。拍子でサラリと流れた細い髪の毛を小さな左手がかき上げた。
この授業が開始されてから何度、この動作を繰り返したのだろうか。
(髪、短かったな……)
智也時代のことだ。
延々と無視し続けたのに、空気を読まず話しかけてくる智也を見上げ舌打ちをしてやったことがある。
たしか『純? 彼女作ってみようよ。世界が変わるよ? 未貴に紹介して貰えばいいから』とかなんとか言ってきた時だったと思う。
(……思い出したらムカついてきた)
『純? スマホばっかりダメだよ?』
『純? 聞いてるならちょっとは顔上げようよ』
『純? そんなことじゃ友だちできないよ?』
『純? 勉強大丈夫? 提出物のウエイト大きいよ?』
『純? 少しは話そうよ』
『純? 色んなことに興味持ったほうがいいよ?』
『純? どこか遊びに行かない? 体、動かそうよ』
『純?』
『純?』
『純?』
頑張ってたんだろうとは思う。
離れ離れになった中学三年間を埋め合わせたかったんだろうと思う。
小学生時代を取り戻したかったんだろうと思う。
(……無理なんだよ)
手痛い裏切りに遭った。同じ中学に……と話していたのに、自分一人で行ってしまった。
事情の一つや二つあったんだろうと思っている……が、如何なる理由があろうとも許すことなどできなかった。当初、怒りに任せて話を聞かなかったとはいえ、そもそも智也は、その理由すら話してくれなかった。その時点で信頼関係など築けていなかったのだろう。
隣の美少女に呪い殺す勢いで病んだ視線を送ってみた。
少女化したあいつは、髪の毛を耳にかけてしまった。無意識の行動で。
(くそっ……)
せっかく盛り上げた怒りの炎に、消火剤を投げ入れられた。
(予想以上に可愛くなりやがって……)
面食い純くんには刺激が強すぎる。許せないはずの存在なのに、その外側に騙されてしまう。
(思い出せ……!)
公立の中学に上がったその日の出来事だった。
同小のヤツが同じクラスにいたので、話しかけてみた。その時は、緊張という共通項目があり、普通に話せた。
その一か月後には、事態が変わっていた。
『櫻塚ってさ。ゲームの話しかないん?』
『カラオケ誘っても絶対来ないしなー』
『もうちょっと面白い話して欲しいわ……』
『おな小で前から話してたんだけどさ。今、考えるとあいつと……っていうか、あいつと仲が良かった奴と話してた気がするわー』
『あ、わかる。智也だよな?』
『わかった? 智とは話してて面白かったよ』
聞いてしまった。たまたま耳にしてしまった会話だったのに、純は自分の世界に閉じこもった。
智のおまけとして、自分とも話してくれていたことを知ってしまったから。単なる友だちの友だちとして、線を引いてやった。そう思い、自尊心を守ってきた。
(あー。凹む……)
消えた怒りに燃料を投下するつもりが、予想以上のダメージを受けて気落ちしてしまった。
けれど、この気持ちですら隣の可愛い女子を見ていると癒されていってしまうような気がした。
(うっ……)
可愛い智がこっち見た。隣からの気配に気付いたのか、目が合った。
ガン見の純と横目の智。視線が交じり合う。
(何、見てんだよ)
逸らしたら負け。それくらいの勢いで睨み付ける。表面だけ取り繕って、内面をひた隠しにするのは得意だ。
そんなガッツリ見据える純に、すこぶる可愛くなってしまった元男友だちが顔を向けた。そのまま『なに?』と小首を傾げてみせると、弾みでサラリと髪の毛が流れた。
智の事情を知らない者が見れば、一瞬で堕としそうな微笑み付きだった。
(くそっ!)
逸らしたら負けなので、今回の勝負は純くんの負け。視線を逆側のグラウンドにシフトしてしまった。ほんのり赤いのは気のせいではないはずだ。
(確かに女子制服着ろって言ったけどっ! 似合いすぎてんだよっ! いじれないんじゃ意味がない! これじゃ、裏目じゃないか!)
あからさまに視線を外されてしまった智の表情が憂いを帯びた。
中学進学を境に疎遠になってしまった親友の姿を見詰めたまま。
(失敗か……? こんなことなら進級させなきゃ良かったかも……。でも、それはそれで寝覚め悪かっただろうし……)
智の悲しげに伏せられた目に気付くこともなく、純くんはドキドキ打つ鼓動を抑えつけようと必死になっていた。




