032話 高難易度のセーラー服
「えっとね……。実はさ……」
未貴がした言い訳の内容はこうだ。
支度が終わり、いよいよ出発の段階になって兄に電話すると、今、起きたばかりだと言う。そんな兄の支度待ちで予定時刻をオーバーしてしまったのだと。
わざわざ送って貰った理由として、智の体には問題があり、長時間連続で歩けないと。普段、未貴は純と同じく自転車通学しているのである。無論、この二人は一緒になど出掛けていない。
家がお隣さんである以上、智も自転車で通学可能な距離だが、その通学方法にもドクターストップが掛かっているらしい。バスなどの公共交通機関も地理的に難しく、しばらくの間は、送って貰いなさい……と。
だから兄の支度待ちになってしまったそうだ。それが未貴の言い訳だった。
……智の髪いじりに時間を使ってしまった件は、しっかりと隠していた。
兄も「そんなことになってるなら、早く教えて欲しかった」と慌てて支度してくれたらしいが、そこも内緒にされている。兄は、通常の通学時間に合わせ、起きるつもりだったそうだ。伝えていなかった未貴が完全に悪い。
この言い訳で多数の女子たちに疑問が生じた。
切り込んだのは、もちろん由梨さんだった。
「智の体の問題とは?」
当然、湧き上がる疑問だ。
未貴が言っていいのかな……と、気遣わしく智に目線を送った瞬間、疑問に答えたのは当の本人だった。
「まだ、骨が脆くて……」
眉尻を下げた困り顔だったが、思ったよりも平気に切り出した姿は、未貴を安心させたことだろう。
女子になっただけで大ごとな智にとっては、『ついでにこんなことになってます』くらいのものなのかもしれない。
「ほら。自分……、体が縮んでるよね……? その時に骨密度とか下がったらしくてね。骨粗しょう症状態……。骨格変わるために必要だったそうなんだ……。はは……。恥ずかしい……」
笑い事で済ませようとした智だったが、中途半端な笑いに留まってしまった。
その智の儚く笑う様。これが女子には、こう見えた。
――『なんて健気なんだ』……と。
「だから、その後遺症みたいなのが治るまでは体育とかも禁止。部活も休部中。しかたないよね?」
今度こそ、全員に微笑み掛けた智が「わっ!」と声を上げた。
そっと壊れ物を扱うように優しく優しく抱き締められたのだ。由梨に。
「智。ウチは決めた。君を守ろう」
……智のお陰でどこかに消え去ったのは、お仕置きの話である。やはりただの冗談だったらしい。
彼氏が女子に捕まっている未貴も、それは智を思ってくれてのこと。どこか嬉しそうにその光景を見詰めていた。
……智は、あわあわしていた。
◇
(これ……着る……のか……)
智は、女子全員が廊下待機中の中、葛藤の真っ最中だ。
カーテンは閉め切られ、廊下と教室を隔てる境界線のドアの覗き窓には、目張りをされた。
一人ぼっちの教室で黒のセーラー服に白カラーな女子制服を両手それぞれの指先で、ちょんと摘まみ上げ、凝視している。
150cmをちょっとだけ出たくらいの身長なのに、自分より目線が高い女子に言われた。『何回か着てるけどごめんね』と。智にとっては、無駄にハードルを上げられただけだ。
わざわざクリーニングになど出していないだろう。今日の制服持ち寄りは、前日に急遽決定したことだ。それは聞かされている。
ちなみに、この子の制服が選ばれた理由は、サイズ的に合いそうといった曖昧なものだ。
(着る……の……?)
女子っぽく語尾を換えたところで、状況の改善はない。
外には、智の制服姿を待ちわびる女子軍団。この教室からの退路など、どこにもない。窓があるが、逃げられるはずもない。女子たちは智のことを思って早起きし、荷物を倍増させ、駆けつけてくれたのだ。
(これ……を……?)
時間だけが無意味に経過していく。
……すると、スマホが揺れた。きっと、【まだ?】と書かれているのだろう。
(着るしかないっ! みんな自分の為にわざわざ制服用意して、早く集まってくれたんだっ!)
智は、彼女からの借り物である白に近いベージュ……クリーム色っぽいカットソーを男らしく脱ぐ。
……セーラー服に葛藤していた智だが、着ていた服も未貴からの借り物だ。そんなことはすっかり忘れているのだろう。
脱いで現れたのは、何の味気もない肌着だ。タンクトップで首回りの広いアレである。
母もこれなら着てくれるだろうと踏み、その目論見通りに事が運んだ肌着。
ブラをしていないせいで、良からぬところが主張しそうだが、この時は問題なかった。
そして、『最初はこれ』と指定されたセーラー服を観察する。
(これだ……)
発見した脇のファスナーを開けると、逆さにして頭から被ってみた。
……瞬間的に智の鼻腔には女子の香りが充満したことだろう。自分からもフェロモンが出ていることはこの際、置いておくこととする。
その二分後。
「智ー? まだー?」
「未貴っ……っ!」
廊下の外から呼びかけた未貴の耳に入ったのは、切迫した智の声だった。
「智!? ちょっと覗くよっ……!」
上擦った智の声を聞いた未貴が、そっとドアを少しだけ開き、教室を覗く。
そこで彼女が見たものは……。
左脇のファスナーの存在には気付き、頭をセーラー服内部に突っ込んだのはいいが、胸当てのプチプチと着脱するボタンの存在を知らなかった智が、制服の中でもがく姿だった。
セーラーカラーも本来の役目を果たす時! ……と言わんばかりに捲れ上がり、ちょっとだけ出た智の頭にフタをしたような形態になっていた。
男子だった智は、当然ながらセーラー服の構造など知る由もなく、大苦戦していたのである。




