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029話 部屋着しかないんです

 


 カーテンを開け、続く動作で窓を開放する。


「おはよ」


 目の前には、おなかの前で小さく手をふる、彼女であり幼い頃から知る未貴がいた。とは言え、幼い頃は単なる隣りに住む女の子だったのだが、今は関係のない話だ。


 智の部屋、ベッドに面する窓の施錠はされていなかった。お隣さんの存在が、施錠のハードルを上げてしまっている。何となく、鍵を掛けると未貴に悪く感じてしまうのだ。


「おはよ……。早いね……」


 手をふり、お返ししてみせたけれど、ヤケに声が低かった。智のテンションが低いのは、起こされた苛立ちではない。単純に寝ぼけ眼のせいだ。お約束のように、右耳後方の髪の毛が飛び跳ねている。如何にも寝癖の付きそうな柔らかい髪質に見えていたが案の定だ。


「早寝しないから」


 未貴もまた、責めるような言葉を発したが、その怒った素振りなど全く見せていない。

 それどころか、愛する人の寝起きの顔を見られてどこか満足そうなほどだ。


「母さんと話してたんだよ」


「……そうなんだ。何時頃、ライン見たの?」


「十一時回ってたかな?」


「あ……。それはごめん……」


「うん。いいよ」


 自室と自室でこうやって話すのは久しぶりだ。

 彼氏彼女の関係となった中三の初夏以降は気恥ずかしくなり、いつからかなくなってしまっていた。未貴も同じ気持ちだったのだろう。

 それが同じ高校に入学してから、両者にとっての貴重な時間が多少は復活していた。だが、それも智の長期入院を境になくなってしまった。


「智の部屋、少しも変えてないんだね」


 だから、こんな言葉が出たのだろう。主が少年から少女に変わっても、その内装には何一つ変わりがない。部屋の香りが柔らかくなっただけの男部屋だ。


「朝ご飯出来てるからすぐにおいで?」


「え? う、うん……」


 ニコッと笑った未貴の部屋の窓が閉められると、智も窓とカーテンを閉め、そそくさと着替え始めた。

 入院時に購入して貰った白いスウェット上下へと。


 そのまま眠れそうな格好だが、眠る時にはパジャマな主義なのだろう。


 ……ちなみに、智の持つ今の体のサイズに合う衣類と言えば、これと色違いのスウェット。肌着が数枚だけである。

 下着どころが靴下さえ購入していないのが現状であり、無理に勧めるなと担当医に止められている母は、やきもきしている。


 自分ではまず買いに行かないので、それとなく買ってこようかと伝えても、『また今度』などと言って、のらりくらりと躱してしまうのだ。




 ◇




 未貴の家族、ご両親も車を出してくれる予定の兄も、まだ睡眠中だったらしく、二人だけでパンを主食に、目玉焼きとレタスをちぎった程度のサラダ。拙い洋風朝ご飯を頂くと、静かに智の部屋に戻ってきた。


 ……何故か二人で。


「智ぉ……。私服無さすぎー。ダメだよ? お出かけする時、困るよ?」


 彼女は目下、智のタンス漁りの真っ最中である。智也の香りが残っている数少ない場所だが未貴は気付いていない。意外な面倒見の良さを発揮中だ。自分と変わらないサイズになってしまっている為か、妹にでも見えているのかもしれない。女性としての先輩という立場から生まれた責任感という線もあり得る。


「ないよー? 外、出歩けないよー?」


「買ってないからね……」


 智はそんな彼女の行動に、髪の一部にピコンと寝癖を付けたまま、苦笑いである。何故だか少女になってしまった少年としては、どんな格好をして出歩けばいいのか、皆目見当が付かない。


「……え? なんにも?」


 タンスの奥をゴソゴソと漁っていた未貴が、目を丸くした驚いた顔を向ける。さすがにタンスの小さな引き出しを開けるような真似はしていない。


「うん。肌着とこれだけ」


 スウェット下衣の大腿部分を指先で摘み上げ、それぞれ広げてみせた。


「下着はっ!?」


「……えっと…………」


 智が目を逸らすと、目が一瞬だけ吊り上がり、「(あっき)れたぁ……」と、言った通りの呆れ顔に落ち着いた。


 やはり手の掛かる妹のように思っていたらしい。

 なので、瞬間湯沸かし器のように、余りのだらしの無さに怒りが込み上げたが、言い辛そうにする彼氏を見て事情を思い出した。


 男子だった智に女子の下着。難易度の高さをひと呼吸遅れて察したのだ。


「体育とか運動したりすると擦れて痛いよ? ブラしないと」


「ほら……。今はまだ運動禁止だし……」


「……今はまだいいけど、夏服になったらヤバいよ?」


「う、うん……。それまでには何とか……」


「明後日、買いに行こうね?」


「え?」


「え? ……じゃなくて」


「……もうちょっと待って?」


「いつまで?」


「……覚悟が出来るまで」


「はぁ……」


 女性衣料の購入を何とか躱そうとする智に、未貴はあからさまな大きな呼吸を一つ入れた。

 説得するには時間が掛かるとでも思い、今のところは矛を収めたのだ。


 溜息を吐くだけ吐いて、いきなり黙った未貴が無言のまま立ち上がると、智に動揺が生じた。

 彼女は、彼女が口撃の手を引っ込めたことを知らない。鬼神が立ったように見えたのだ。


「み、みき……?」と、次の出方を窺うように、恐る恐る彼女の名を呼ぶ……が、「ちょっと待っててね。取ってくるから」


 智にとっての不穏な言葉を残し、未貴は部屋を出ると階段を足音潜め、下っていった。


 智の母は、まだ夢の世界の住人なのだ。

 介護の仕事をしている母は、朝早かったり夜遅い……どころか、夜勤だったりで朝は智任せだったりする。勝手知ったる隣人は、梅原家の事情に何気に詳しい。




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