002話 未貴ちゃんのお願い
誰一人として、声を発しない。みんながみんな、物静かに食事中だ。
静かな教室であり、とても高校生たちの憩いの時間には到底思えない。
騒がず、喋らず。
廊下側の前から二番目。そこに座る少女に女子全員と男子の大半の視線が集まっている。
小さな口を大きく開けると、小さめおむすびが僅かひと口で消失した。その数秒後にはキツネ色の唐揚げが。
(早く食べないと!)
急いでいる。
小柄なセーラー服少女が、母親の手作りと思われる弁当の中身を全力で減らしている。
「んんー!」
少女の小さな手が水筒に伸びた。飲み口が付いており、直接、口を付けるタイプだ。
それを掴み上げると、筒状の飲み口が柔らかそうな唇に忙しなく寄せていった。
「ん……。んっ、んっ……」
お茶で流し込んでいると言ってもいい。
その小さな口でよくぞそこまで急げたものだ……と、彼女の友だちも思っていることだろう。
「よっし! もうちょっと!」
おかずも小さな俵むすびも既に胃に収まり、残すはデザートのリンゴだけだ。母の愛情なのか、ウサギさんだ。赤い皮が耳を模して立っている。
……いや、立っていた。
リンゴは既に真っ二つになった。カットした時に生じる中心の線に沿って。もちろん、少女が口に押し込み折ったのだ。
(早く食べて最後のお願いしないと!)
全力で食す少女・松元 未貴は、この一年、突っ走った。所属していた陸上部も辞め、勉強もそこそこに『お願い』し続けた。
まもなく、全身全霊を捧げた一年間。その集大成の時が訪れる。
梅原 智をクラス中の祝福の中、復学させること。楽しく同じ時間を刻み、一緒に卒業すること。
これが未貴にとっての至上命題であり、他を投げ打った。
……少女と化してしまった愛する彼氏のために。
「「「……………………」」」
未貴の席の周りに集まっている女子たちは、誰一人として口を開かない。
中心の少女は食べ終わった瞬間から『お願い』を再開させることだろう。
何一つ、空気を読まずに。
何度も何度も『わかってるよ』と伝えてあげた。『任せておいて』と太鼓判を押した。このクラスの未貴を除いた八名の女子全員が。
それでも、未貴ちゃんは止まらない。何度でも依頼してくる。それこそが自らに課せられた使命だと信じている。
「んっ! ぐっ!」
飲み込んだ。いや、呑み込んだが正解か。
かみ砕かれていない塊が残っていようとも、咀嚼もそこそこで無理矢理。食道をごりごり削って胃に落とし込んだ。
……即座に残った手の内のウサギだったリンゴが、あっけなく消えた。
可愛らしい容貌だったのに、一瞬すら愛でられることもなかった。
「「「………………」」」
シャリシャリというウサギさんの断末魔をバックに、少女たちは戦々恐々としている。
あぐあぐと頑張って咀嚼されている、うさぎさんだったものが喉を通った瞬間、またもこの熱血正義少女が暴れ出す。
所要時間、五分弱。
未貴への注目は、まもなく食事終了してしまう事態を前に散ってしまった。少女たちはせわしなく視線を移動させる。
「ごちそうさまっ!」
手こそ合わせなかったが、きちんと食後の挨拶ができただけでエライと言える……が、そんなことはどうでもいい。
ゆるゆると動いていた友人たちの手が止まり、弁当箱をかちゃかちゃ片付ける未貴と、その後ろの少女を交互に見ている。
「よしっ!」
「『よし』じゃないです」
即座にツッコミが入った。
目線での会議により決定した突撃隊長、未貴の後ろの席の黒髪一つ結び眼鏡少女から。
しかし聞こえなかったのか未貴は立ち上がり、弁当箱をバッグに押し込んだ。その動作の延長だったかのように両手を広げて熱弁を振るい始める。
「みんな! この昼休憩の最後らへんで来るはずだからね!」
「「「………………」」」
無言だ。
対応を一任されたかのような眼鏡少女を除く女子全員、目線を外して食事を再開させた。プラスチック製の箸がカチカチと合わさる音や、パンの袋のガサガサ音くらいしかしない。
「未貴? とりあえず座って下さい。まだみんな食べてます」
例の眼鏡っ子が再度ツッコミを入れる。外見に似合わぬツッコミポジションの少女なのか、任せられるだけの信頼を得ているのか。
「そうだな。食べ終わったら聞いてやる」
「ですよぉ。そんなに頑張って食べなくてもいいですー」
同調したのは、未貴の前と横に座る少女二名だ。
どうやら無言の最中に方針は定まったらしい。
その証拠にゆっくりだった食事は更に遅く、のんびりしたものになっている。
食べてる最中は黙ってろ作戦の発動だ。ぎりぎりまで時間を使い、食べる人まで出てくるかもしれない。
「…………」
三人に座れと指示された未貴は、言われたとおりに腰掛ける。何気に従順なのが可愛い。未貴は今はめんどくさい子だが、普段はそうでもない。いつもめんどくさければ、周囲に人が集まらない。
「じゃあ食べながら聞いててね!?」
しかし黙らない。正義の味方を目指しているかのような熱血少女は、そんなことではめげない。自らの正義に基づき、例のお願いを開始する。
「あとちょっとだよ! 昼休憩の終わり頃に到着するって言ってた! みんな! 何度も言ってるけど、普通にだよ!? 自然に迎えてあげて! 今日が大事なんだから!」
「わかっている」
「うんうん。未貴のお願いだし」
口々にその依頼にOKを出すみんなは優しい。そもそも反故にする気など、毛頭ない。それなのに何度も確認してくる未貴が面倒になっているだけだ。
「ところで未貴?」
隣は男子列であるにも関わらず、そこの一席に陣取り、コンビニで購入したミックスフライ弁当をマイペースにつついていた黒髪ロングの大人っぽい子が、真面目な顔をしてマジマジと未貴を凝視し始めた。
「由梨? どしたの? あらたまって」
「前歯の間にリンゴの皮が挟まっているぞ?」
「え!?」
ササッと手が出てきた。未貴は小さな左手で口元を隠し、慌てふためく。
当たり前だ。もう30分もすれば、愛しい彼氏である少女がこの教室に到着する予定だ。
前歯の間に赤い何か挟まっている痴態など、見せるわけにはいかない。
「えっと……。ちょっと……失礼します……」
未貴は口を手で覆いつつ、そそくさと席を立ち、教室から抜けていった。
小さな鏡の一つくらいバッグの中に入っているだろうが、ここで前歯の確認はできない。女子だけだったとしても恥ずかしいのに、共学である以上は男子の目もある。
おそらくでも何でもなく目的地は、男子に見られる可能性が極端に低いお手洗いだろう。
「由梨。ナイスです」
そして未貴がいなくなると、周囲で黙って食べていた子たちが話し始めた。
「おう。見事なものだろう?」
「最高ですよぉ。未貴ってば気持ちはわかりますけど、しつこすぎですからねー」
「しつこいは既に通り越してるような」
「ほいでさ。リンゴの皮ってホンマなん?」
ポニーテールの少女が問い掛けると、由梨と呼ばれた少女は鷹揚に頷いてみせた。
「本当だ」
「へー。そんなんですかー。よく見てましたねー」
「「…………」」
素直に感心した子もいるようだが、この子は気付いていないだけだろう。
……本当に挟まっていたのなら、策略と言うより親切だ。
周囲も苦笑いを浮かべている子がほとんどだった。