019話 面白そうな班ですね
クラス委員長の『お菊さん』こと菊地原さんは観察している。毒を吐くためのネタ作りのために……が、いつものパターンだが、今回ばかりは少し違うようだ。
「ほら! 櫻塚くん! 智ちゃんって呼んであげて下さい!」
いじり甲斐のあるミキその弐。ミッキーがちょっぴり怒っているのか、眉を吊り上げている……が、見えているのは背中である。ただし、どんな顔をしているかは、付き合いの長い眼鏡っ娘には、大体の想像が付いている。
(面白いことになりましたね)
あの櫻塚 純。
彼は、クラスをまとめるお菊さんにとって、手の焼ける相手……と、いう訳でもない。彼女は特別、変わったことをしない。委員長としての自覚などないのだ。面白可笑しく過ごすことができればそれでいい。
そんな思考の持ち主なので、彼とは同類に近い。
「…………え?」
間の抜けた声が変人の口から洩れた。
お菊さんは、これで察した。あの櫻塚も顔さえ上げさせてしまえば、普通の男子だということを。とはいえ、櫻塚は、いじるには難度の高い相手だ。もしも、切込みに失敗すれば手痛い反撃を喰らうかもしれない。そう思っている……が、これは菊地原さんが買被りすぎているのだろう。
「え? ……じゃないですよぉ! ほらっ!」
純に向け、差した指を一度わざわざ下ろしてから、再度指差した。その品のない行為に苦笑いを浮かべるお菊さんだが、指摘はしない。何しろ、教室廊下側前方と教室窓側最後方。それなりの距離がある。
矯正視力1.5の視力で智を見やる。
櫻塚への観察のついでに、未貴いじりのネタを収集中だ。智と未貴の関係は、なかなか一方的なものだったと理解している。未貴が智也にベタ惚れだった。なので今の二人を見ておいて損はない。
その智は、横座りの形に移行した。真隣りに未貴。その教室更に後方にはミッキー。首を捻って見ていては疲れてしまうからだろう。
だが、その智は結局、首を捻っている。背中を見せている状態の相手、純の様子を窺うために。はっきりと見ないのは、複雑怪奇な心情からだと判断する。
「と、とも……ちゃん……」
ミッキーさんの剣幕にビビったのか、呼んでしまった。ちゃん付けで。
(弱っ! めちゃヘタレじゃないですか!)
それを聞いた智は目線を斜め前方のミッキーに戻した。目を細めて、実に嬉しそうだ。
智ちゃんと呼ばれたことよりも、これからは『梅原』と呼ばれない。距離が少し戻ったような感覚からだろうか?
(あれ?)
純と智を観測している委員長は、今のやり取りに何やら勘違いが生じたことに気付いた。
純の顔が屈辱に歪んでいたのだ。完全にヤバい人の目付きになっていた。
自身の肩越しに純を盗み見る形だった智。彼女は微笑みつつ、顔を正面に戻した。つまり、笑う瞬間を目撃してしまったのだ。無論、純には嗤ったように見えただけなのだが、そう見えてしまったものは仕方がない。
(これは……。『こいつ本当に呼びやがった! バカでー!』とか思ったと思われましたね。智ちゃんが櫻塚に)
その純は、何かを言いたそうに口を開きかけたが、押し黙ってしまった。この場で智を糾弾すると四面楚歌になりかねないので、賢明な判断だろうと思う。
こうして、純からも『智ちゃん』という呼び名を引き出し、無事に呼び方問題は解決した。なので、リムやら由梨やらも移動を始めた。それを見て委員長も追従する。
彼女たちにはしておかねばならないことがある。
「ウチはリム。草冠に利益の利と夢で莉夢やで。ちょいとキラキラしてるけど、読める分、マシ思うたってや?」
自己紹介開始だ。智にとっては、二年に進級して初めての出席。当然、初顔合わせの人も多い。
(智ちゃんの隣で嬉しそうにニコニコニコニコと……。うっとうしいことこの上ありません。笑うだけで美少女度アップさせやがって)
教室窓際後方に移動した菊地原さんのフラストレーションが急上昇しているようだ。これがいじりの根源となっているのかは不明である。少なくともお菊さんは未貴を嫌っていない。
未貴が嬉しそうな理由は、智の周囲に人が集まってきたからに違いない。これで未貴本人以外、誰も絡まないような半ボッチ状態になってしまう可能性は、ほぼ消え去ったと言える。
「あー! 莉夢ずるいですよぉ! 私もミキなんですよー。未貴と一緒だからミッキーって呼んで下さいね?」
……どうやら『ミッキー』は自分で名乗っているようだ。どこかしらから商標問題が発生しないことを祈る。
「わたしは由梨。百合ではない」
ロングな髪を撫で付けつつの妙な紹介だ。よっぽど、友人たちに言われているのだろう。
それにしても、由梨と百合。言葉にすると何が何やらだ。智本人には伝わっていない。少し眉を下げ、困った顔になってきているだけだ。
(……なんだろう?)
菊地原さんが更に奥へと移動していく。
話し掛けるなり距離を取っていた大起が、再び純の傍に寄っていっていることに気付いたのだ。その大起は、純の耳元に口を寄せたので、耳を傾ける。
「……で、どうすんの? 智はどう見ても純と組みたいって感じだよ? みんな分かってるんじゃないかな? これ、断ったら……さ。すごいだろうね。女子の反発」
「うぐ……」
注釈を入れたほうがいいかもしれない。『特にそこの未貴ちゃんが猛反発する』と。
委員長は、松元 未貴が櫻塚 純を嫌っていると判断している。その原因の大半は一年時に於ける無視か、それ以前の何かか。無視ならば最近は減っていたはずだ。そもそもの問題で、智は入院中だった。だとすれば、再三の未貴の要請を反故にし、面会に行かなかったことか。
だが、復帰初日の本日。未貴にとって、純は実に良い動きをしてくれている。なので、未貴の嫌悪感が少しは薄まればいいな……と、菊地原さんは思っている。
「とりあえず、俺と組め? そしたら俺から智と未貴ちゃん誘ってやるからさ」
確かにそれならば『本当は梅原とは組みたくないんだけど、なんか流れで仕方なし』って体裁を純は保てる。智ちゃんの誘いを無視してしまった事実も、うやむや化できる。純にとって、大起の案は秀逸だ。
(竹葉くんと櫻塚。智ちゃんと未貴。これは面白い組み合わせです)
委員長が喉の奥で妖しく笑う……が、「お菊?」と、由梨に声を掛けられた。
「……はい?」
「女子の中でお菊さんだけだぞ? 自己紹介まだなのは」
せっかく教えてくれたが、菊地原さんには思うことがあった。
こんなに一気に自己紹介しても覚えられない。
現に智は、若干涙目で必死に記憶しようと頑張っている。なので、その内に挨拶できればいいと思っていた。だが、話を振られてしまっては仕方がない。
委員長が女子の最後の一人として、智に向けて言った。
「私は初めましてじゃなくて、お久しぶり……ですね。去年、同じクラスでしたので」
「……だね。こんなになっちゃったけど、またよろしく」
智は、涙目の困った顔でそのまま笑顔を作ってみせた。それは健気で頑張り屋さんな女の子そのものだった。
(はにかみ笑い智ちゃん、可愛すぎ事件発生。是非、ご一緒したいですね)
「智ちゃんは私と組みましょうね。智ちゃんと未貴と私で」
この時間の主目的を記憶していた人は何名いたのか。よもや大半の生徒が自己紹介の時間くらいに思っていただろう。お菊さんはその間隙を突いた。
「あ! 忘れてた! 班決めだった!」
「ずるいぞ? お菊?」
「お菊さんの横暴ですぅ!」
急な立候補に非難轟々だ。
この時、既に菊地原さんの中で、面白そうなこの四人の班に入ると決まっていた。なので、強引に話を進めていく。
「ですが、言い辛いのですけど……。これから先、智ちゃんと同じ班になる人には先生方との折衝が待っています。具体的には、入浴の順番の調整やら、どこを寝床にするか……ですね。委員長の私が同じ班だとスムーズに当たることが出来るでしょう」
「「「………………」」」
速攻で挙がった抗議の声を黙らせた。理詰めしてしまえば、少しの間は静かにしてくれる。あとは急いで智の了承を得るだけだ。未貴は放っておいても付いてくる。
「智ちゃん? それでいい?」
「え? ……え?」
「そんなに困った顔しないで下さい。いきなり全員の名前を覚えられるわけないですから。ゆっくりでいいんですよ?」
そして話題を逸らす。
目線を未貴に。分かってるよね? ……と、伝えた。
「そうだよ。ちょっと時間掛かってもそれくらいで怒る子、いないから安心して?」
未貴の場合、話題逸らしには気付いていないので伝わらなかった。だが問題ない。彼女は、委員長のペースに完全に飲まれている。
(未貴たちの班入りゲットです!)
菊地原さんは地味な外見に似合わず、強かな人物なのである。