017話 感染するかもよ?
智が石化したかのような足を引きずるように、彼女と肩を並べ、小休憩の終わった静かな廊下をとぼとぼ進んでいく。
本当に肩を並べるサイズへと縮小してしまった。
ほんの一年前までは、未貴を見下ろしていたはずなのに。
だが、今はそんなことに気が回る余裕など見られない。盛大にネガティブな思考に振れている。
(わかってた……)
智は悲痛なまでの覚悟を未貴と同等レベルの小さな胸に秘め、この日、復学したはずだった。
(なのに……)
いざ、自身に向けられる好奇の目を見たとき、足が竦んで動けなくなった。いや、動かなくなってしまった。
彼女は精神的に脆くなってしまっており、それがはっきりと表に出てしまった。
(やっぱり……)
良からぬ思考に支配されているようだ。
その先にあるのは、おそらく退学のふた文字。良くて他校への編入といったところだ。事実、優しげな理事長に『もしも無理なら姉妹校へ』と言われている。
俯きがちな視界の端に、気遣わしげな顔をした小柄で愛らしい未貴の姿が入った。
(未貴……)
彼女は、面会に来るたびに沢山の土産話を聞かせてくれた。今日の復学について、詳しく教えてはくれなかったが、任せておいてと自信を覗かせていた。
(大ちゃん……)
大起も似たようなものだった。智が復学しやすいようにと裏で散々動いてくれていると予測可能だった。
思い出した。
この復学が二人のためでもあることを。署名活動を開始した頃の二人の活き活きした顔を。
(純……!)
同時に活動の発端となった少年、幼馴染みの姿を。
(負けてたまるかっ……!!)
秘めていた決意を蘇らせた智は、【2-B】の表札を睨むと、迷わずそのスライドドアを横に滑らせた。
◇
「あ! うめは……じゃなくて、智、ちゃん! 未貴! 心配したんですよぉぉ!!」
開いたドアから一番近い席に座るセミロングの少女。ミッキーと呼ばれている子が、心からとも思える声を上げた。決まったばかりの『智ちゃん』呼びも頑張って実行していた。えらい。
「一体、どうしたん?」
「そだよー。すぐ、お手洗い行ったはずなのに」
「先生が大人しく待ってろゆうから「はーい! 無事に戻ってきたからおしまいね」
二人を責める声は笹木によって、封じられた。
特別な意図はないだろう。このままでは二人とも立ったままになる上、話も進まない。
(『探しに行こうか思った』って声は封殺……? なんでだ……?)
例によってスマホを隠しながら深読みしようとしてる奴が居るが、単なる考えすぎだ。
「梅原さんは、櫻塚くん……は、分かるわよね? 彼の隣りの席に」
「はい……!」
急に名前の挙がった純は見てしまった。
そう言われた瞬間、カチコチだった頬を緩め、歩き始めた智の微笑みを。
ちっ……と、どこかで舌打ちが聞こえたが、既に智のことが気になり始めた男子からのものだろう。他の生徒たちは純とは違って、元からしっかり顔を上げている。たまたまではなく、普通に智の微笑を目にした。
暗い表情やら不安な表情ばかり見せていた少女が見せた柔らかな笑み。その対象になっている変な奴へのやっかみだ。
智の席が隣になった件については……。当たり前だ。そこしか空席がなかった。なので、純くんもそこは理解している。と言うか、それも笹木先生の計算通りだろう。
「純……。よろしく……」
椅子をそっと引いた直後に小さく発した智だが、タイミングが悪い。
何名かの男子生徒が純に向けて、敵意を持った目を向けたのだが、その時にはもうスマホを手元で操作中。純は当然、智もその手元を見ており、気付かなかった。
「それじゃあ、質問を受け付けましょうか」
廊下に近い未貴が先に。遅れて智も着席すると、早速とばかりに笹木が切り出す。
手は早々に挙がった。五時間目の最後、質問をぶった切られた純の手が。
「はい、櫻塚くん」
指名された純は、机の中のいつもの場所にスマホを置くと、立ち上がった。
「座ったままでいいですよ?」
「あ、はーい……」
くすくす聞こえる何人かの笑声に、少しムッとしながら座ると、ようやくしたかった質問を始めた。
「後天性性適化症候群……。ASCSですっけ? 成人の保有率が20%で子どもが15%ってことは、感染するってことですよね? 大丈夫ですか?」
隣りの智ではなく、教卓に立つ笹木に向けて話した。
踏み込んだ質問だ。
彼は、この質問を放つことにより、智を過保護に守ろうとする連中を少しでも剥がしておきたいのだ。特に未貴及び、その友人たちを。
これから先、智への攻撃を容易くする為に。
ツイ……と、純の目が、担任から隣りに座る智へと移動した。その目は鋭く、智を横目に捉えている……が、智は担任をジッと注視している。純が質問するまでは彼の横顔を見ていたのに、どうにも交わらない。
「櫻塚くん、ありがとう」
その感謝の言葉は意外すぎた。思わず笹木に目を戻すと、担任の口元が緩んでいた。
「言い辛い質問ですね。最後まで出て来なかったら、私からしっかりと説明しないと……と、考えていました。櫻塚くんの指摘通り、梅原さんの持つウィルスは感染します」
智は長すぎる袖にほとんど隠れた両手を、机の上で握り締める。
大半が知っているであろう情報だが、何も調べてこなかった数人の生徒が「え?」「……大丈夫なん? それ……」などとざわめく。この大切な時間を任されたベテラン女教師は、これらを一切無視して続ける。
「ですが、その感染経路は濃密接触に限定されます。粘膜接触……ですね。飛沫感染などの危険度は零に近いものです。非常に弱いウィルスであり、空気に触れるだけで大半が、死滅してしまうほどですので。だから通常、感染は考えられません」
心強い安心宣言に、教室は静寂を取り戻した……が、これに飽き足らず、更なる追い打ちを掛ける。
「万が一、感染したとしても梅原さんが教えてくれた通り、発症は数百万人に一人。有り得ない……とまでは言えませんが、リスクを考慮する必要がないと謂えるレベルです」
純は不満そうだ。これじゃあ、誰も智から離れないじゃないか……と、思っている。
笹木の説明は理路整然としており、何とも理解し易かった。これでは純が考える通り、誰も智から離れないだろう。
もう十分。何の心配も必要ない。おかしな接触さえ避ければ、通常の学校生活を一緒に送れるね。
そんなレベルまで引き上げられた安全安心だったが、笹木は教室内をゆっくりと見回す。生徒一人一人と目を合わせていく。
「それに……。この教室にもASCSウィルスキャリアは何名か居るはずなんですよ? 小児……子どもの保有率は15%ですので、この教室二十名の内、三名はキャリアである計算になります」
見事なダメ押しだった。これで智を避ける必要が完全に消え去ってしまった。
……と言うか、純の立場を考えると、そもそも智に近い側の人間だ。その外殻になりそうなクラスメイトを離れさせることに余り意味を感じられない。深く考えず、そうしたほうが良さそうレベルの考えだったのだろう。
(……なんか、フォローした気がする)
……気のせいではない。
サッカーで喩えると、笹木先生へのキラーパスを純は放った。それを確実にゴールに繋げただけの話である。
(もっと、色々考えときゃ良かった。反省。今晩、しっかり作戦立てよ……)
もちろん、純のことだ。
『ゲームをしながら』の、ながら作業である。
ここまでが修正版じゃない、元々のほうでも投稿していた部分ですね。
次話からが新たなシーンとなります。