016話 みーんな見るんです
モダンな建造物であろうとも、小洒落た白亜の校舎であろうとも、休憩中の騒がしさは変わらない。
緑新高校は、ぼんぼんやお嬢様のようなセレブリティの集うような学校ではなく、経営に四苦八苦する普通の私立高校だ。
なので、そこの生徒は楚々として静かに……なんてことはなく、友人同士で騒々しく、小休憩の時間を過ごしている。
……が、徐々に一方向からどんどんと静かになっていっている。
原因は一人の少女……いや、美少女だ。
智が歩みを進めるたびに、彼女の姿を見た生徒たちが男女問わず、その姿を目で追って黙っていく。
(だ、誰だ? この子……? めちゃカワじゃんか)
例に漏れず、一人の男子生徒の動きが止まった。トイレへと移動中だったが、可愛い女子から目が離れなくなった。
……その子は俯き加減でゆるりと進む、弱々しい雰囲気を纏った子だった。
(……で。なんで、男子制服?)
遂には、少女の足が止まってしまった。これはチャンスだ。思わぬ形で鑑賞の時間を得た。
なので、トイレに行くことも忘れてガン見を始めた。
線の細い面持ちは、明らかな美少女。なのに、何故だか男子制服を着込んでいる。わざわざ、スラックスの裾を折り返してまで。
(……オレんと似てるし)
目線を落として確認すると、やっぱり自身の制服と酷似している。男子制服のバリエーションの内、最もスタンダードなタイプを自分も選んだ。違う点はネクタイのカラーくらいだ。
……なんでそんな格好?
そんな疑問の答えは、たまたま背後で彼同様、足を止めて話していた女子二名が教えてくれた。
「ねぇねぇ? もしかして、あの人が例の……」
「たぶん。隣りにいるの、松元さんだし」
耳に入ったと言うほうが正確だろう。どちらにせよ、それは彼にとって十分な情報量だった。
(アレか!? アレが噂の!?)
B組の可愛い松元さんが関わった活動は有名であり、二年生どころか、全校生徒に知れ渡っている。一時期、松元 未貴は毎朝、毎放課後と声を枯らして、署名を呼び掛けていた。自身の所属していた陸上部を辞めてまで。
だから、目の前の儚げな彼女が噂の生徒だと知ることができた。元男子であり、変わる前の制服を着ているのだと察することが出来た。
俯いたまま微動だにしなくなった少女に向けて、一歩踏み出す。
可愛い松元さんが女子に対して、日頃から言っていた。
『お願い! 受け入れて、仲良くしてあげて!』
これを実行に移してあげよう。
今日から復学? 頑張れよな! ……などと声を掛けるべく、もう一歩踏み締め、軽く手でも挙げようとした瞬間だった。
「……智? 戻ろっ?」
隣りの可愛い『松元さん』が、例の生徒の手を取り、背中を向けて遠ざかっていく。
(……タイミングわる……)
声を掛けたかったのに。
儚げな外見に見合ってしまう、その表情を和らげてあげたかったのに。
挙げかけた右手の所在がなくなり、意味すら失った手に目を落とした。
(あーあ。俺、何してんだ)
手持ち無沙汰に挙げかけた手で耳の裏を掻き、ふと周りを見ると、彼と同様に二人の後ろ姿を見送る多数の姿が見て取れた。
(すっげー見られてんじゃん……)
自分の視界に入る同級生ほぼ全員が、例の子の背中を目で追い掛けている。例外は、隣りのツレとヒソヒソ話す姿だ。
(あ! 俺もやっちまってんじゃん!)
そんな人のフリを見て、初めて気が付いた。自分もそんな大勢の一人になってしまっていたことに。
(悪いことしたなー……)
この男子は、二人の思い詰めたような表情を思い出し、後悔が生じた。
そっと通り過ぎてあげるべきだった……と。ジロジロ見る目を嫌ったのだ……と。
他者の立場になって考えられる彼は、良い奴なのだろう。
それから十分ほど後。
「と、智……? 気にしちゃダメだからね?」
既に六時間目の始業のチャイムは鳴り終わっている。
閑散とした廊下を歩いているのは、五時間目修了前にお手洗いへと出発したはずの智と未貴の二人だ。
昼休憩時、あれほど空気を読まなかった未貴が空気を読んでいる。二つの拳を薄い胸の前で握り締めて、気を強く持てとアピールしている。
「……うん」
暗く重たい声と共に頷いた彼氏を恐る恐る横目で確認すると、予想通りのどん底な顔をしていた。
教室から離れた教職員トイレ。
そこまで行き、用を足したのはいいが戻れなくなった。
道行く生徒の視線が集中し、足が止まってしまった智の手を引き、もう一度、先程のトイレに誘った。そこで小休憩の時間をやり過ごした。
それくらいしか未貴には思い付かなかったのである。
さすがに智本人の前で『お願いしてたでしょ!?』などとは、いくら未貴でも言えなかった。
(みんな、あんなに見なくてもいいのに……)
未貴は掛けるべき言葉を検索中だ。平均を少々下回った成績の脳をフル回転させ、適切な文字を探索していく。
(あれはあたしでもきついよ……)
とにかく見られた。
不躾に観察された。よい雰囲気で終わった五時間目のお陰で、トイレに向かう時には足取り軽やかだった智が止まってしまうほどに。
(慣れる……しかないのかな……?)
まさかの前途多難ぶりに、未貴の小柄な体が余計に小さく見える有り様だった。
結局、二年B組に戻るまで気の利いた励ましなど彼女には思い付かなかった。