015話 『ちゃん付け』しよう。
悩み始めて二十秒ほど後。
「……梅原 智は、智也から、也を消した。これは、女子として過ごす覚悟を示している……よね?」
純は、諭すように……というワケでもなく淡々と語り始めた。
その様は不思議と、自信に満ち溢れているようにも見えた。
いつも何歩も引いた状態で過ごしており、ひとたび行動を起こすとその与える影響は大きい。だから何かの補正でも掛かっているのだろう。
「……せやね。たぶん」
金色のポニーテール少女・リムの顔に真剣味が差した。普段、朗らかな表情をしていることの多い子であり、何倍も綺麗に見えた。
以前、純の言葉は学校さえも動かした。前例の無いことを認めさせた。
無口の変人だが、彼の言葉には力が宿っている……とでも、思われている。
「じゃあさ、それなら『くん』は問題外だよね?」
純は、同意を求めるように問い掛ける方式を取っている。
「そうなるね」
これは作戦だ。純は『智をいじり倒す』為、今しがた思い付いた第二弾を決行中だ。
「名字呼びも、わざわざその覚悟を隠すような……。だとしたら……?」
「智ちゃん!」
ビシッと純の顔を指差すと、はしゃぐ犬の尻尾のようにポニーテールが揺れた。
「それ!」
「さすがですー! 櫻塚くんですよぉー!」
付いて来ただけの二名を含めた女子三名が、手を取り合ってキャッキャと喜んでいる。何気にちょっと照れている純くんだ。不愛想なままだが、少しだけ赤い。
未貴の席周囲に駐留していた女子たちも、口々に『智ちゃん』と口ずさんでいる。
「ありがとう!!」
「けってーい!」
「ホント! 女子みんな統一ね!」
勢い良く振り返ると、チェックのスカートがヒラリと靡いた。そのままパタパタと自分たちのポジションに戻っていく女子三名。香りまで、窓際最後列の周囲に残していったかのようだった。
女子たちに喜ばれ、お礼を言われた純くんもクールを決め込んでいるが、本心ではまんざらでもない。
だが、それを感じさせない動きで、いつもの下向きスタイルへと戻っていった。
(智! これで女子に『ちゃん付け』されるって! どんな顔するんだ!? こりゃ楽しみだー!)
実に下らない。
積年の恨みを晴らすとは言っても、退学させる気などない。それだと寝覚めが悪い。自分にも精神的ダメージをしばらくの間、残してしまう。だから留年阻止に動いた。
ついでに言えば、智は授業に置いて行かれている。なので、智より上位に立てるだろう。そうなると気分がいい。上から目線でいびってやろうと思っている。
屈辱を与えること。
智の羞恥心を煽り続けること。
ざまぁみろ! ……となればいい。
……これが現時点での目標だ。実に大きな目標である。
「珍しいね」
女子三名と入れ替わるように純に近付いた人物は、爽やかな風を孕む少年。竹葉 大起だった。
「………………」
彼は……。彼だけは、智の休学中も時々、こうやって純に話し掛けに来ていた。
しかし、また純は見えない聞こえない世界に没入してしまったらしい。要するに無視を決め込む。
「……智の為かな? やっぱり幼馴染みは違うね」
大起は微笑みを絶やさない。男子相手だろうと女子相手だろうと、こうやって対応している。競争に何も見出せなかったと言うとおり、良い奴すぎるのだろう。
(そんなんじゃねーけど。智が動揺すりゃ楽しいし)
純は聞いている。聞こえない風を装っているだけだ。
それがフリなのは周知の事実だが、当の本人はそれなりに巧くいっていると思っている。
出来れば話し掛けられたくない純にとっては、フリだろうが何だろうがそれでいい。
「ちょっと……妬けるね」
(……はい!? お前……。智って男だったんだぞ!?)
『妬ける』の対象は何も男女の関係に際してだけではない。友人関係でも成立してしまう。圧倒的コミュニケーション不足が災いしているのか、勘違いしているらしい。
「純に任せたら……」
(純って呼ぶな。何人たりとも呼ぶな)
思っていても言わない。口に出さねば、ほとんどの場合、その思いは通らない。黙っていても伝わるなど、幻想だ。なので、この大起は『純』と呼ぶ。智也が呼んでいたので、そのまま受け継いでいる。
「まぁ、いいや」
(途中でやめるなよ!)
大起の言わんとした『全てが上手く行くのかも』は、純には捉えられなかった。
もしもこの時、彼の思考を読み取ろうとしていたならば、戦略を練り直していたことだろう。
そうすれば裏目に出る事柄も減っていたはずだ。
「男子も『智ちゃん』でいい?」
大起のこの言葉に、教室窓際側からざわめきが巻き起こる。
変人だけども大した奴、……と認識されている純くんに話し掛けるヤツが出現すると、大勢が耳を傾けるのだ。
「……いいんじゃね?」
母音、『お』の形になった。大起の口が。
下を向いたままだが、確かに純が返答した。明日は雨かな、それとも嵐? ……くらいに思っている。
「ありがと。じゃあそうするよ」
礼を告げるなり、大起は自分の席に戻っていった。
誰に伝える訳でもなく。そんな必要もなく、誰もが聞いていたと確信でもしているのだろう。
(男まで智ちゃんっ……! これは面白くなってきたぞ……!)
俯いているからこそ余り見えないが、この時の純くんはニヤニヤと気持ち悪かったことだろう。