011話 後天性性適化症候群とは
梅原 智也が奇病を発したのは、高一の夏休み前だった。以降、高二の現在、四月の終わりまで休学していたのだ。つまり、高一の時、同じクラスでなかった者にとっては、留年阻止に積極的だったこのクラスの面々ですら、初めての顔合わせなのである。
無論、廊下ですれ違ったなど、些細な接触は含まない。
この中には、純粋に智の境遇を憐れんだ者。
未貴と大起、もちろん智本人の友情絡みといった好意的な協力の他、打算が働いた結果、手を貸した者などが混在するが今は関係のない話か。
「梅原 智です。智也……でしたけど、こう……なってしまった以上……。その……。都合が悪いので、正式に智になってます……」
どうやら彼女の戸籍は変更済みらしい。女の子らしくふっくらとした薄いピンク色の唇から語られた。
ここまで独白した智は、やっぱり俯き加減になってしまっている。それでも言葉を続けているのは、留年阻止……。つまり、直結していた退学という選択肢を選ばずに済んだ感謝の気持ちに他ならない。
「病気……に、ついてですけど……」
生徒たちは静かに耳を欹てている。クラスメイトのほとんどが一度は調べただろうが、それが本人の口から話されるという。単なるおさらいなのか、当事者ならではの情報が出てくるのか、興味を持っている者もいるだろう。
「後天性性適化症候群……。Acquiredsexcompatiblesyndromeとも呼ばれている病気です……」
どうにもはっきりきっぱりと話してくれない。
彼女の脳内は説明しなければという使命感と、男子から女子に変体を遂げた故の『どう思われているのか分かったものじゃない』という不安感。
この二つがせめぎ合っており、要領を得ない。
――後天性性適化症候群とは、医師の間では古くから知られる難病指定された疾病だ。
ASCSウィルスを媒介にし、発症する。男性を女性に。女性を男性に作り替えてしまうという、進んだ現代医療の中、発見されている唯一のウィルスである。
成人の20%。小児の15%ほどが保有している一般的なウィルスだが、発症率は極めて低く、保有者の内、年間0.0001%未満。つまりキャリア自体は国内二千万人を超えるが、その中に於いても数百万人に一人の年間発症率となる。
……問題はその症状だ。
発症の最中は、身体の変化に伴う高熱と苦痛が伴い、その期間は半年を超える。よって、発症期間中の死亡例は枚挙に暇がない。
よって、完全な性別変貌を成し遂げた例は十数年に一例程度に過ぎない。
完全な……と言ったが、不完全な例ならば多く見られる。
例えば、高熱に対して解熱等の対症処置を行なった場合、女性体には変化したものの、子宮が存在しない。男性体となったものの、精子が作れない……などだ。
余計な対症療法は、ホルモンバランスに異常を来すという報告も挙がっている。
智は、そんな発症例の中、何とか無事に生き延びた……と、自身の口で精一杯に説明を続けたのだった――
「性、適化……って、言葉には納得できないんですけど……」
幾度となく『適化』という表現について、医師や研究者の間でも議論が交わされているが、結論には至っていない。だが、何らかの素養を有していた者だけが発症するとも言われている。
それが『適化』という表現に繋がっている。これを否定する要素が見つからないので、今も病名の変更は成されていない。
「女の子になりたい……とか、考えたこともなかったから……」
この部分は本心かどうだか判らない。なりたいと思っていたと語った場合、余計な視線に晒されるシーンも当然ながら出てくるだろう。分かりやすく言えば、オカマや女装者を見るような目だ。
そうでなくても変わり種を見るような奇異の視線は在るだろうが、それを増長させる結果が待っている。
「でも……。こうなってしまったのでこれからは……。女子としての『智』です。よろしくお願いします……」
長かった説明を終え、腰の横に手を添えると、深々と頭を下げた。体の前で手を重ねるような女性らしい所作ではなく、如何にも男性的な動作だった。
(出来たよ。説明……)
頭を上げると、自分を救ってくれた男子に目を向けた。
彼が教室内の空気を変えてくれていなかった時、智は説明すら出来ず、口を開けなかった。そんな確信と言えば言葉がおかしいが、近い何かを感じていた。
「よろしくっ!!」
未貴が言葉と同時に、可愛らしい両手を合わせ、何度も打ち鳴らした。
すると待っていたとばかりに担任の笹木も拍手を送った。
それは次第にクラス中に波及していく。
男性から完全な女性へ。そんな数少ない症例を踏まえた上でクラスメイトたちが梅原 智を迎え入れた瞬間だったのだろう。
迎え入れられた当の本人は……。何故だか、顔を強張らせてしまった。体を揺らし、どこかソワソワと忙しない。
……緊張が解けた智は、別の問題が浮上してしまっているのである。