001話 智は急いでお着替え中
パイプベッドと勉強机。
それなりの数の少年漫画と申し訳程度の参考書の入った本棚。
何の変哲もない水色のカーテンに白い壁紙とカーペット。
とりわけ、小さめの液晶モニターと据え置きのゲーム機本体が男子の部屋を印象付ける。
ところが香りは異なる。
主が戻って僅かな期間しか経過していないが、すでに女子の部屋の香りを放ち始めている。
そんな部屋でショートボブの美少女・梅原 智が着替えの真っ最中だ。
部屋着にしているらしき白いスウェットの上を脱ぎ、ノースリーブの肌着のみになると、即座に白いカッターシャツを手に取った。
細い腰回りだ。抱き締めたら折れてしまいそうなほど頼りない腰のシルエット。女子の理想よりもひと回り細いかもしれない。つまり男子が見たならば、もっと肉付きが良いほうが……と言われるレベルだ。
そんな華奢すぎる肢体は、大きなシャツによって即座に隠されてしまった。尚も細く小さい指は動き続ける。上から順にボタンをどんどんと留めていく。
急いでいる。
急ぎ、この着替えという時間を済ませてしまいたい。
彼女が頬を染めているのは、自分の体すら見るのが恥ずかしいからだ。
なので、少女はパジャマのズボンを脱ぎ捨てる。畳むことなく、投げ捨てた。
すると、今ここに完成した。
サイズ違いの大きなカッターシャツに包まれているだけの美少女が。
それはまるで男の部屋に泊まり、その男から服を借りたような格好だ。
しかし、そんな男ならば心ときめくであろう素敵な姿は、僅か数秒後には消え失せた。傍らに用意済みだったグレーのスラックスを掴み上げ、そそくさと履いてしまったのだ。早々にベルトで腰を締め上げるオマケ付きで。
こうして着替えの時間は、ものの一分もかからず終了。まるで夏前の男子生徒のような姿へと変貌を遂げた。
実は、この着替え。
朝の光景に思えるが、昼間の出来事である。本日は学校側の要請で重役出勤のようなこの時間に支度中だ。
着替えを続ける少女・梅原 智の顔色は、スラックス&カッターシャツ。着慣れた制服を着用したことで落ち着いてきたように見える。
今は慣れた手付きでネクタイを締めている最中である。
……実は、この制服でひと騒動起きている。
女子として、できるだけ少しでも早く馴染ませてあげたい母親と学校は、女子制服の着用を勧めてきた。
対する娘は『女子制服はさすがに難易度が高い』『すぐに編入とか辞めたりとかした時に悪いから』などの理由を挙げ、のらりくらり拒否。よって、男子時代の制服を着用中なのである。
小さな手でネクタイを締め終わると、靴下を履こうとベッドに座った。合わないスラックスの裾を折り返し始めた小柄な少女は、家計を気遣っている部分やら元男子として譲れないプライドやら、色々と抱えているらしい。
「……落ちてくるかな?」
折り返した裾が足首にある少女は、足を交互に振り上げてみた。右、左、右、左と上げて降ろしてする内に折り返したばかりのスラックスが長さを取り戻していく。
「はぁ……」
高いトーンの溜息を零し靴下を小さくなった足に通し、体を起こすと、ピタリと止まった。全ての行動を放棄したかのように黄昏れる。
憂いを帯びた表情だ。
大衆の中だった場合、多くの見知らぬ人が手を差し伸べてくれるだろうと思えるほど、美しい表情だった。
(靴下も合わないし……)
その違和感は智本人が一番、よく解っているだろう。その靴下の踵はサイズ違いのために余っており、アキレス腱より上にある。一年前はピッタリサイズだった同じ靴下なのに。
(手、ちっちゃ)
両手の平を目の前に掲げてみた。
関節一つ分は短くなってしまった細い指をジッと見詰める。
(未貴のより小さいかも……)
小柄な彼女の手を思い出してみる。
確か、これくらいの大きさだったと思うが、比べようがない。彼女は今日も朝から学校に通っている。
顔を合わせた時に比べてみたいとは思うが、切り出せるかどうか分からない。
彼氏彼女の関係だった一年前でも気恥ずかしさから依頼できなかったかもしれない。だが、今は違う理由だ。
自分はあの正義感の強い熱血少女と同性になってしまった。
いちゃいちゃした場合、何だか禁忌っぽい。
(それって……レズ……?)
何を想像したのか、着替えからようやく落ち着いた顔色が数秒の内に変わってしまった。
元が白いせいで、血が昇ると激しく目立つ。
長い入院生活でまともに日に当たっていないことが影響しているだろうが、地が白いような気がしないでもない。しばらくすれば判明するだろう。
その赤い色は、顔だけに留まっていない。
見詰めていた手もピンク色に変わってしまっている。
智はそんな両手を広げた。歯を噛み締め、ギュッとぱっちり二重まぶたの両目を閉じる。
そして両手を頬に当てた。そっと……ではなく、思い切り。
パチンと大きくはない音を立てると、瞳の大きな開き直した。
「よしっ!」
何が良しかは不明だが、膝に手を乗せ立ち上がった。
立ち上がると、隣りに置いていたサイズの大きなグレーのブレザーを取り上げた……が、ブレザーを元に戻すと脱ぎ捨てていたスウェット上下を畳み始めた。
……散らかしておけない性格なのだろう。
畳み終えると今度こそ、ブレザーを抱えて立ち上がった。
梅原 智。復学の時は近い。