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海水浴場で宿題

澤江貴義は深水真菜と海へ行く途中、上野裕樹に見つかりそうになる。澤江は、深水が上野の事が好きなら僕ではなく上野を誘った方がよかったのではないかと聞くが、深水は真相を話さなかった。

 海水浴場で宿題


 家に帰ると、海パンなんかあったかと母親に聞いた。

「学校のがあるでしょ」

「いや、学校のじゃダサいっていうか、ピチッとしていて気持ち悪いっていうか……」

 明日の今日で海水パンツが手に入るはずが無かった。

 海には小学生の時は毎年一度は連れて行ってもらっていたが、中学になってからは行った事が無い。

「ピチッとしてるのが嫌なら、体操服の短パンで泳いだらいいじゃない」

 母親は合理的発想の持ち主であった。それ故、遺伝しているのは否定できない。

 ――あ、その手があった。

 簡単に納得してしまった。

 腰がゴムだから、飛び込みとかしたら脱げるかもしれないが、海に浸かるくらいなら何とかなりそうだ。それにクラブが終わったそのままの格好で行ける。荷物も少なくて済む。

 帰りは体操服の長ズボンを履けば問題ない。

「ゴーグルは要らないの?」

「要らない。そんな真剣に泳いだらりしないと思うから」

 少し大きめのタオルをナップサックに入れておいた。

「お昼はどうするの」

「うーん、こっそりどこかで買い食いするよ」

 パンやおにぎりくらいならどこでも買える。 

 すると母親が何処からか千円札を出してきて手渡してくれた。

「じゃあ、お昼御飯代渡しておくから、ちゃんと食べるのよ」

 臨時収入――金欠の僕にはすごくありがたかった。  



「遅い!」

 金欠生活の元凶が、クラブが終わって走ってきた僕にきつく当たる。

「仕方ないだろ」

 クラブが終わってから、更衣室でこっそり短パンの下のパンツを脱いできたんだから。

「着替えなんて5分でできるでしょ」

 錆びたベンチから立ち上がって早歩きしながら怒る。

「――じゃあ、深水はもう着替えてきたのかよ」

「当然」

 体操服を少しめくりお腹をチラッと見せた。

「?」

 水着が見えたわけではない。何故それで水着を着ている証明になるんだ?

 もう一回見せてと言えなかったのは、なんか――恥ずかしかったからだ。 

「急いで1時8分のに乗るわよ」

「ちょっと、待って。先行って」

 急にゆっくり歩いて、深水と距離を開ける。 

「え?」

 電車通学の野球部が前をぞろぞろ歩いていたのが見えたからだ。

 中にはエースで主将も務める、上野裕樹の姿があった――。

 

 上野は勉強もスポーツも出来た。

 二年になって期末テストで深水を学年二位にした張本人でもある。

 深水と決定的に違うところは、人望が厚いところだ。クラスの全員が悪く言わない。僕みたいなバカな奴にでも見下したものの言い方をしない。

 身長は175センチを優に超えており、身体つきも凄かった。


 ――女子では石橋香織。男子では上野裕樹が人気ナンバーワンだったのだ。単純に僕は二人が付き合うのかと思っていたのだが……。

 少し先を歩く深水を見る。噂で聞いただけで本人には確認していないのだが――。


 ……上野と深水は付き合っているような噂も聞いていた。

 どちらかが告白したとかは聞かないが、二人がお互いを好き合っているという噂だ……。


 そんな噂があるのに、深水が僕みたいなバカスケベと海に行く理由。そこには触れていけない理由があるのだと感じていた。

 いくら話しやすくなったとはいえ、聞いたら駄目なことは聞かない。

 僕は大人であった。


 行き先の駅は聞いていたから、さり気なく切符を買って電車には間に合った。

 深水は車両の前の方に乗り込み、僕は後の方に乗る。

 座席に座っていると、後から野球部がぞろぞろ乗ってきた。

「あれ、澤江じゃん。電車に乗ってどこ行くんだ?」

 真正面に座った上野が聞いてきた。普段バス通学の僕が、同じ電車に乗っていたから不思議に思ったのだろう。

「ああ、買い物さ」

 一人でな。足を組みながら髪をかき上げ自然さを装う。

「ふーん。どうでもいいけど、体操服の半袖短パンで買い物ってあんまり格好良くないぞ」

 上野は本心で忠告してくれているのだろうが、他の野球部員には笑われた。

 僕以外のクラブをやっている二年は、ほぼ全員長袖の体操服を着て通学していた。ズボンのすそを二回くらい折り返すのが流行っているようで、男子も女子もそうしていた。

「クラブ帰りだからこの方が楽なんだよ」

 別に僕は半袖短パンでも恥ずかしくない。クラブ中はどうせみんな半袖短パンなのだ。合理的だ。

「そうか、じゃあな」

 一駅で野球部員は全員降りてホッとしていた。


 2両編成の電車がゆっくり発車する。

 窓の外で電車の前方を気にしている上野の後ろ姿が見えた。

 深水が前の方に乗っていたのに気付いていたのかも知れない――。


 知ってる人が全員降りたのを確認しながら、前車両から深水が移動してきた。

「わざわざこんなことしなくてもいいのに」

 横に座った。

「僕が恥ずかしいんだよ」

 そう誤魔化すと、そっと掌を上にして横に出してきた。


 ――手を繋ごうってことか?

 誰もいないからって、そんなことできると思っているのか!


 表情を確認するが、優しそうな顔でどことなく寂しそうな顔。

 映画の時も、そうだったのかもしれない。僕と手を繋ぎたかったのかもしれない。

 その時は気持ち悪いと感じていた。

 今だって、恥ずかしいし、中学生同士で手を繋ぐなんて気持ち悪いと思った。


 でも、前みたいに泣きだしたらどうしようか。

 海水浴までもが台無しになってしまうかもしれない。

 少しずつ表情が怒りに変わっていく。

 覚悟を決めた。


 ――深水の掌の上に、僕の掌を重ねた――。


 瞬間――、

「違うわっ! 電車代の240円、立て替えたんだからちゃんと払えってことよ!」

 乗せた手を跳ねのけてそう言い放った。

「は、はあ? 立て替えた?」

「そうよ。本当ならバカスケベ貴義が払うのに、私が自分で切符買ったでしょうが。その分、返せってことよ」

 驚きと怒り、そんな理不尽さをグッと飲み込んで、渋々財布から240円を深水の掌に置いた。

 僕が大人だからではない。

 さっき一瞬見せられたお腹を思い出していた――つまり……僕がただのバカスケベだったからだ。


 240円を渡すと、深水は小さな小銭入れに笑顔で入れ、その代わりと言って銀色のアルミホイルの塊を出してきた。

「毎度あり。おにぎりです」

 拳の大きさくらいのアルミホイルで巻かれたおにぎりを二つ手渡してくれる。

「え、いいの?」

 笑顔で頷く。

 電車代240円分くらいの価値はあるかも。

 なんでラップで巻かなかったのかが不思議なんだが、腹も減っていた。端を探してアルミホイルを剥がし、頬張った。

 ――!

 この時期、ご飯はいい匂いがしないと思っていた。おにぎりならなおさらだと思っていたのだが、炊き立てのご飯より味があり、お米の香が口全体と鼻に広がる。

「あ、このおにぎり、凄く美味しい!」

 おにぎりに向かって言っていた。それから深水の顔を見る。

「ありがと。私も食べよっと」

 同じアルミホイルのおにぎりをもう2個出してきていた。

 二つのおにぎりはあっという間に姿を消した。

 アルミホイルにくっついた米粒と、海苔を一生懸命剥がして食べた。



 海水浴場がある駅には20分ほどで着いた。

 電車を降りた瞬間から潮の香りがが漂っている。

 夏休みでも、平日であれば電車で海水浴場に来る人は皆無であり、小さな駅から出ると、二人で海辺へと長い下り坂を歩いた。 


 砂浜に着くと、深水のナップサックからは小さなレジャーシートが現れた。

 その上に僕もナップサックを置く。二人とも体操服だから、砂浜にまばらにいる他のカップルにはどう映っていたか分からない。

「ちょっとあっち向いてて」

 的確に僕の背後を指でさす。

「あ、ああ」

 後ろを向くと体操服を脱ぐ音が聞こえた。

 好きな女子ではなくても、中学生男子であれば誰しも鼓動が速くなるのだろうか……?

 僕の心臓も正常な反応を示していたのだと思う。

「いいわよ」

 簡単に言われて振り向いたが、慌てて眼をそらしてもと来た駅の方を向いた。

「ええ、っと、何だろ」


 ――一瞬見たのだが、今日みたいな空の色をしたボーダー柄のビキニだった!


「ちょっと、どこ見てるのよ」

 坂の上の駅だ。悪い事はしていない。僕はどこも見ていない!

 クスクス笑っているが、僕の顔はもう真っ赤を通り越して、茹でダコのような色になっているのではないだろうか。

 直視なんてできなかった。今まで、中学生なんてまだまだ子供だと思っていた。

 女子は発育が早いって保健体育で習ったことがあったが、こんなところでそれを手ひどく思い知らされるなんて。

 今日は二度と深水の方を見れないのではないかと思った。

「ええっと……津波が来たらあの駅まで逃げれば大丈夫だな。うん。もし地震があればあそこまで走ろう」

 プッと噴き出す。

 ――何が可笑しい。避難経路の確認は大前提だろ。


「もう……」

 そんな僕の顔を両手で掴まえて――、

「えいっ」

 グイっと深水の方へ向けられた――。


「ちゃんと見てよ! わざわざ昨日買いに行ってきたんだから」


 昨日? あれから? ――じゃあ、この水着を僕の為に買ったのか?


 深水の方が背が5センチは高い。目線が胸元へ……。

「バカスケベなんだから、こんな時に遠慮するな~!」

 三角形をしたビキニの胸元、白色の肌、おへそ、そこから下なんて見ることすらできない――。

「どう? 目に焼きついた?」

「あ、ああ……」

 

 ……今、目の前に立つ深水真菜は、どこのどんな宝、金銀財宝、秘宝、1兆円なんかと比較できないくらい価値があると思った。

 ――僕がただのバカスケベだからかもしれない。でも、僕が一番好きな石橋香織が次にこの姿で目の前に現れて、同じことをしてくれたとしても、今と同じ胸のときめきはないんだと思う。


 目に焼きついた――。

 一生――忘れようと思っても忘れられないほど――真菜の水着姿が目に焼きついた。


「あーあ、もっと感動するかと思ってたのに」

 この日のことは一生忘れないほど感動している僕にガッカリしながら、座ってナップサックを開いていた。

 パラソルもないレジャーシートに直射日光が降り注ぎ続けている。

 僕も上の体操服だけ脱ぐと、鍛えられていない粗末な肉体をさらけ出した。

 クラブの時の筋トレくらいは真面目にやろうと思ったのだが――、

「僕なんかじゃなくて、上野と来た方が良かったんじゃないか?」

 口走っていた。

「何で?」

 振り向かない。

「いや……真菜は、上野の事が好きなんだろ」

 真菜と呼び捨てにしていた。

「――。そんな事無いよ」

 いつも話しをする時は僕の方をしっかり向くのに、そうしないのには訳があるんだと思う。

 表情が分からない。

「それに、上野って男気が強過ぎるでしょ。誘ったって断るに決まってるわ」

 こっちを振り返ったその顔は、いつもと変わらなかった。

「そんなことないよ。あいつ、いい奴だぞ」

「だから断るのよって言ってるでしょ。上野は私の気持ちもちゃーんと知ってるんだから。知ったかぶらないの!」

 照れるでも怒るでもなく、しつけの悪い犬を叱る飼い主のように言った。

「そんな事より――日焼け止め塗ってよ」


「へっ?」


 手で小さな容器をカシャカシャ振っている……。

「嫌だ――! 絶対にそんな事は出来ん!」

「バカスケベのくせに?」

「バカスケベでも、出来ないものは出来ない!」

「エロ本拾ったこと、バラすわよ」

 またそれかよ! でも、

「か――構わない! 脅されてもそれはできない!」


 女子の手も握れない年頃なんだぞ――!


 エロ本拾ったなんて言いふらされても、ただのバカくらいで済む。それが、あろうことか深水真菜の体に日焼け止めクリームを塗ったなんてことがバレたら、本当のバカスケベだ――!

 男子、女子、全員に何を言われるか……考えるだけで怖ろしい。

 学校に行けなくなってしまう!

「あっそう。じゃあいいわ。あーあ、こんなチャンス滅多にないのに」

 僕の心を見透かしているかのようだ。

 手に日焼け止めを少しずつ出して体に塗っていく。

 太ももや胸元に塗るのを僕はどんな目で見ていたのだろうか。

 真菜は本気でそんなことをやらせようと考えていたのだろうか……? 冗談だったのかも知れない。

 本気にした僕をバカにしようとしていただけかも知れない。


 中二の女子は進んでいる。

 体の発達もそうだが、考え方や行動も男子より早く大人になるんだ――。 

 

「あーあ、やっぱり背中は塗れないなあ。背中だけ焼けちゃうなあ。手が届かないなあ。チラッ」

 本気で塗って欲しいのだろう。

「――貸せよ」

 いつまでも子供のままではいけない。

 男子だって大人になっていくんだ。 

 どこが塗れていないか手に取る様に分かる。ずっと見ていたから。

 奇麗な背中が変な焼け方をするのが勿体ないと思ったんだ――。

 手に日焼け止めを出すと、そっと真菜の白い背中に触れた。


 真菜の肌を触った感覚――。

 きめ細かい白くてつやつやした背中。


 性格さえ悪くなければ、実は真菜はいい女なんじゃないだろうか……。

 頭もいいし顔も可愛い。そしてスタイルは今見たとおりだ。

 上から目線で人を見下す悪い所もあるけれど、それは僕が見下されるような奴だから仕方ないっていえば、仕方ない。

 僕なんかじゃなくて、上野だったら本当にお似合いのカップルになれるのに……。


 真菜の背中がざわっとして、鳥肌が立った。

「ううう、こそばい!」

 すべすべの肌が鶏の肌のようになるのを指先で感じた――。

「もう駄目だ、泳いでくる!」

 塗れていない所を全て塗り終わると、たまらずに立ち上がって海へと走った!

 熱く焼けた砂が気持ち良かった。

  

 海に浸かって頭を冷やす。

 水がぬるくてそんなに冷えない。

 仰向けに浮かぶと、青い空とポップコーンのような入道雲が遠くに浮いていた。

「置いてかないでよ」

 太陽の眩しい日差しを真菜が遮った。

「あーやっぱり海は気持ちいいね」 

「うん」

 最高の提案だったと褒め称えたい。

 僕が出したのは電車代だけ……。こんなに楽しいのなら定期を買って夏休みは毎日でも来たい。

「あの飛び込み台まで泳がない?」

「え、いいけど、真菜は泳げるの?」

 浮き輪とかが無い。少し沖の方に浮いている飛び込み台まで数百メートルありそうだ。

「泳げるから言ってるのよ。じゃあ競争ね。よーい」

 もう泳ぎ始めている。

「どんっ!」

「待てって。それフライングだろ!」

 顔をつけないクロールが意外に早くて追いつけない。途中から真剣に泳いだのだが、水しぶきを高く上げるだけで、勝負には負けてしまった。

 オレンジ色の大きな浮きの上に、乾燥した板。海特有の潮の匂いがする飛び込み台は不気味であった。

 休日であれば誰かが上で甲羅干しや、飛び込んで遊ぶ人で一杯になるのだろうが、平日は二人で独占できた。

「先に上がって」

「ああ」

 端に取り付けられている梯子を登ると、水を吸った短パンが半分くらいずれて半ケツ状態になった。

 慌てて上がって短パンを直す。真菜が水面を叩きながら大笑いしていた。

 飛び込み台の上から水面を見下ろすと、水の底までよく見える。深緑色で岩や海藻が気味悪いのだが、もう足なんて到底届かない深さだ。

 真菜が上がってくる前に、走って飛び込み台からジャンプした。


 飛びこむと同時に大きな水しぶきと音が上がるのだが、それが一瞬にして水中の泡の音に変化する。

そして、泡の音もすぐに小さくなり、シュワシュワと炭酸水のような音へ変わった時、水面から顔を上げ空気を吸う。

 生きている実感。爽快感がたまらなかった。

「髪は濡らしたくなかったんだけどなあー」

 飛び込み台の上で真菜が迷っていた。

「こんなチャンス、滅多にないんだろ。いいじゃん濡れたって。帰る頃には乾くさ」

 ニッと笑顔を見せると、真菜も飛び込み台からジャンプした。

 大きく水しぶきが上がる。

 今の内にさっと飛び込み台に上がり、ずれた短パンを直しておく。


 何回か順番に飛び込んだ時だった。

 割と遠くへ飛び込んだ真菜が、水面から顔を出して叫んだ。


「あ、足が! あしが!」

 

 ――つったのか!

 顔が浮き沈みし、水の中で手をバタバタさせている。


 ――驚きでパニックになると、水泳選手でさえ溺れることがある。

 急いで真菜の方に頭から飛び込んだ。

 近づいて何とか真菜を助けようとしたのだが。

 真菜は普通に立ち泳ぎをしていた。

「あのね、足の先がシワシワになってきてるから、そろそろ戻って休憩しない?」

「……ビックリさせるなよ~」 

 安堵した。

 真菜が僕の短パンを笑顔で持っているのを見るまで……。

 頭から飛び込んだから、足からすっぽり脱げていたのか?

 必死だったから気付かなかった。

「海の中で慌てたら溺れるらしいわよ~」


 だったら慌てさせるな!


 冗談でも溺れたふりはするな!


 そんなことより、何も言わずにその短パンを返して――下さい。


「じゃあ、帰りも競争。よーいどん!」

 そう言って僕の短パンを投げるのは、正直……やめて欲しかった。

「冗談はよせって言ってただろ!」

「きゃはは、あ!」

 あ! って何だ!

「急がないと、あの短パン沈んじゃうわ」

 指差す前にはもう短パンが浮かんでいない。

「冗談じゃない!」

 深さは五メートル以上ある。沈んでしまえば取りに潜れない。

 ゴーグルが無ければ海水の中の視界は著しく悪い。

 沈みきるまでに確保しなくてはいけないのだが、内股でしか泳げない!


 何とか間に合って、短パンを確保した。……真菜が。

「じゃあ、次行くよ。えーい」

「だーかーらー! 投げるなって」

 砂浜が近くなる。少ないとはいえ他のカップルがいる。

 短パン投げて遊んでいる……いや、遊ばれているのが見られるじゃないか!


 ……さすがに砂浜に上がる前に返してくれたのだが。

 真菜には……見られた気がする。

 おあいこ?

 ……ではないか。


「シャワー代。五分で三百円って書いてある」

 日もだいぶ傾いた頃、真菜はそう言って手をこちらに出す。

「はあ。帰りの電車賃も考えると、一人分しかないぞ」

「先に浴びて着替えるから、余った時間で貴義が浴びなさいよ」

「はいはい」

 小さな個室の更衣室には、本当にお湯が出るのか不安なシャワーと、三百円と書かれたお金を入れる箱があった。

 カシャン、カシャン、カシャン。

 ジ、ジョロ、ジョロロロロ~。


「うわ、本当に出た。勢いないぬるいシャワーだわ」

「喜んでないで、早く浴びて着替えてくれ!」

 ロスタイム……? いや、アディショナル? いやいや、ロスタイムだ!

 扉を閉めて真菜がシャワーを浴び始めた。

 他の海水浴客は、ほとんど帰ってしまっている。一番最後だったから、他のシャワーには誰もいない。

 暗い建物から外の景色を見ると、セピア色に変わってきていた。


 シュル、シュル。

 水着がその役目を終え、体をこすれて外されて行く音……。

 想像するなと言われても、無理だ。

 僕は慌てて小さな小屋のシャワー室を出た。


「はい、交代」

 私服の短パンとTシャツを着てすぐに真菜は出てきた。

 濡れた髪が顔に張り付いて、その先からは数滴のしずくが頬を伝い落ちている。

 肩にかけた短いタオルでクシャクシャと髪を下から拭いていた。

「ロスタイムよ。私は構わないけど」

「あ、そうだった!」

 慌てて駆け込んでシャワーを出し、頭からかかった時にシャワーは止まった。

 蛇口を全開にしても、もう一滴たりともお湯も水も出なかった……。


 小屋の前に水道の蛇口があったから、何度も手ですくって頭や体に冷たい水をかけた。

 ――かけてもらった。

 ――真夏なのに水は冷たく、ヒヤッとした。


「私達は、恋愛の練習をしているのよ」

「練習?」

 駅までの長い上り坂を歩きながら話していた。

「うん。中学を卒業したら高校。高校を卒業したら大学。大学を出て社会人。人はずっと成長していくでしょ。なのに恋愛もせずに頭と体だけが成長してしまうと、大人になっても異性と話せないとか、手も握れないとか……奥手を通り越して一生一人ぼっちになってしまうの」

 

 ――練習か。

 それなら真菜が今日見せた水着姿。僕の前で見せる仕草。映画に誘ったこと。全てに納得ができた。

 たとえそのための必要経費が僕の財布から出ていたとしても、練習代と考えれば十分安い……。


 でも、少しだけ。

 ……ほんの少しだけ寂しい思いがした。


「ま、今は辛いと思っても、筋トレと思って頑張りなさい」

「え? ああ。ちょっと体鍛えないと、恥ずかしくて海に来られないからなあ」

 明日のクラブは真面目にやろうと心に誓った。


 誰もいない小さな駅に、二両編成の電車が入る。

 海も山も電車もその色を夕日に支配されていた。

 海が見えるように座る。隣に座る真菜の顔も夕日の色をしていた。


 カタン、カタン、カタン、カタン……。

 一定のリズムで走り出すのが心地よい。

 気がつくと、次の駅に到着するまでに、真菜は僕の肩によりかかって居眠りしていた。

 クラブをしてから海で半日泳いでいたんだ……疲れたんだな。

 

 おにぎりが美味しいって言ったとき、真菜はありがとうと答えた。

 ――自分で握ったんだ。

 朝早く起きておにぎりを握る。

 海に行く時はレジャーシートを持って行く。

 行きの電車代は自分で払っていた。ちゃんとお金も持って、準備万端だった。


 真菜が賢いと思っていたのは、ただ勉強ができるだけだと今まで決めつけていた。

 勉強ができる奴はその分、他のことはできないとひがんでいた。

 真菜が言った恋愛の練習――。中学で本当に必要なことなんだと思う。

 宿題すらしていない僕には、恋愛の練習よりももっと沢山やらないといけないことがあるんだと思う。

それが全部できてなければ、とうてい――深水真菜や石橋香織のような女子と付き合える資格すらないんじゃないだろうか。


 男子は女子より遅れている。

 僕は真菜より完全に遅れている。

 それなのに、僕の肩に頭を預けて眠る真菜を見ていると、……今は愛しいと思った。

 いつの間にか真菜の頭によりかかって僕も眠っていた――。


 ちょうど駅に着いたときに目が覚めて助かった。乗り過ごすところだった。

「真菜! 着いたよ」

 その声にビクッと目を覚ましたのが面白い。

 学校では一度も見ることができない光景だろう。目を擦りながら寝起きはあまり良さそうではない。

「ちょっと、――呼び捨て?」

 電車内を見渡している。

 今頃かよと突っ込みたくなる。海でもずっと真菜って呼んでいたのに――。

 ……あんな水着姿見せられて、つい真菜も呼び捨てでいいかと思ってた。

「誰かに聞かれたらどうすんのよ」

「ごめん。苗字で呼ぶよ」

 クスリと笑って首を横に振る。

「呼び捨てでいいよ。降りよ」

 ――どっちなんだ。

 

 駅から真菜の家まで歩いて送った。

「明日さあ。クラブ終わってから、またパフェおごって」

 すっかり辺りは暗くなっていたが、目がしっかり輝いている。

「いきなりだなあ。あれ高いんだぞ」

「いいじゃん。ケチケチしないの」

 仕方ない――か。

 でも、そろそろ小遣いも底をついてしまう。

「それと、明後日は名水まつりだから、夕方の5時にいつもの所に集合ね」

「あ、そうか。夏祭りだったんだ」

 小遣いが足りないぞ。

 こんな事なら、先月にゲームソフトなんて買うんじゃなかった。

 まさか今月、こんな形で出費がかさむとは思ってもいなかった。

「僕、もう小遣いないから、祭りの日は何もおごれないよ」

 ――それか明日のパフェを諦めてもらおうか……。

「じゃあ、祭りの日は私が全部おごってあげる。でも明日のパフェは譲れないからね」

「え? じゃあ――いいよ」

 パフェよりも祭りの方がお金を使うんじゃないかなあと思ったが、今まで沢山お金を使ってきたんだ。真菜も少しだけ恩返しがしたいのだろうと勝手に解釈した。

 エアーガンが当たるクジ引きや、射的を遠慮することなくねだってやろうと悪巧みする。

「じゃあね、明後日の時間、ちゃんと覚えとくのよ」

「分かってるって。午後五時に水飲み場だろ」

 いつの間にか家に着いていた。

 二人で話して歩くと、あっという間に着いてしまう距離だった。


 どうせ明日、クラブの後で会うのに……。

 明後日の時間を念押しした真菜に違和感を抱かなかった――。


挿絵(By みてみん)

孤独堂様から深水真菜のファンアートを頂きました!

ありがとうございます!!


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