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喫茶店で宿題

喫茶店でパフェを奢る羽目になった澤江貴義は、深水真菜に「まだ石橋香織のことが好きなの?」と聞かれ、一年前の苦い過去を思い出す。

 喫茶店で宿題


 深水の足は自動販売機の前で止まらなかった。

 飲みたいジュースがなかったのだろう。僕だったら500㎖入って100円のを選ぶ。そのために少々歩く距離が増えても我慢ができた。だが、恐らく僕の奢りになるジュースにそんな気を使う必要は見当たらない。

「早くしてくれないと、バスに乗り遅れるんだけど――」

 苛立ちを声に乗せるが、深水には通じない。

「それは澤江だけの問題でしょ。私には関係ないわ」

 つくづく腹が立つ。

 早く帰って……いや、あまり早く帰りたいと悟られるのも……考えものだ。


 買い食いなどは夏休みのクラブでも禁止されている。見つかれば先生に説教される行為だ。それなのに――それどころか、深水が立ち止まったのは喫茶店の前だった。

「入ろ」

「まてよ、バレたら先生に叱られるって」

 奢るジュースの値段がどうのこうのと言っている場合ではなかった。二人とも体操服でこんな店に入っていいわけがない。

「先生が怖い? それよりもソフト部にばれる方が怖いんじゃないの」

 脳裏に焼き付くような嫌な笑顔を見せる。

「怖いだって――?」

 先生に叱られるのは……確かに怖いが慣れている。ソフト部にさっきの事がバレる方が確実に怖い。

 いや、それよりも怖いと思ったのは、僕なんかの事じゃない。

 深水はクラス委員。優等生で通っている。それが、夏休みのクラブ帰りに喫茶店なんか入っていたとバレたら大変じゃないか?


 チリンチリン――!

「早くしないと誰か見てるかも」

 入口の扉をすでに開けている! 

 考えている時間すらない。急いで駆け込んだ。


「いらっしゃい……ませ」


 どう見ても場違いな体操服の二人の姿を見て、店員が戸惑う。

「二名です」

 深水の声は落ち着いている。何度か来ていたかと思ってしまうほどだ。

「二名様ですね、こちらへどうぞ」

 窓際から一番遠い席へと案内された。

 少し高い目隠しのような植木が置いてある。だが、先生が店に入ってきたら確実にアウトだろうな。緑の体操服はよく目立つ。

 深水の正面に座るソファーの座り心地の悪さに驚く。

 太もも裏側の汗がソファーのつやつやした生地にくっつく。

 涼しいクーラーの風が僕に当たり、体操服から出る嫌な臭いを拡散しているのではないかと気になった。

「ご注文は?」

 店員はバイトをしている高校生かも知れない。

 顔立ちは深水の方が年上のようにもみえる。

「パフェスペシャルと、……貴義は何にするのよ」

 いつの間に名前を呼び捨てにされるような主従関係にされたんだ――。それに、パフェスペシャルって何だ! 980円と恐ろしい値段が書かれている。

 喉が渇いたからジュースを飲みたいって言っていたくせに!

「僕は、水だけでいいです」

 何も注文しなかったら、買い食いの罰は軽くなるかも知れないと考えていた。

 無理やり連れ込まれた。僕は何も飲まなかった。刑罰が軽くなる。

「じゃあ、アイスコーヒーを一つ」

「かしこまりました」


 ――一人で二つも頼みやがった――!

 ここが僕の奢りって事なら、1330円もの出費だ。


 生徒手帳のカバーの裏側にこっそり挟んでいた千円札と定期入れに入った小銭を合わせて足りるだろうか。

 深水は片方の肘をテーブルにつけて、人指し指と中指の第二関節の上に細い顎を置いて僕の顔を見つめる。

 

――勝ち誇った勝者が敗者を見るような目。

 深水が嫌いな理由は、優等生だからだ。

 劣等生から見ると優等生なんてほぼ全員同じに思えた。

 そして、弱みを握られた今、その差は拡大するばかりである。

 ――なんで、こんな奴に見つかってしまったんだ。

 

 自分は愚かだ。愚か過ぎた。

 あの時もそうだった……。


 深水を嫌いになった理由を今でも覚えている。

 一年の時だった。僕は中学生になって、初めて女の子に好きだという気持ちを抱いた。

 ――石橋香織。

 一年の時は同じクラスだった。

 最初の自己紹介で彼女の笑顔が僕の心を奪っていた。

 でも、その時に奪われたのは僕のだけではない。クラスの男子全員のが奪われていた。


 こんな田舎の中学校には二度と現れないであろう、数年に一度の絶世の美人――。


 同じクラスなのに話さえできなかった。

 いつも周りには女子がいたし、些細な会話ですら他の男子から冷やかされた。

 当然のように、冷やかしもした。

 いつも一年一組の休み時間は人工密度が高かった。他のクラスからも男子が集まってきていた。

 クラスどころか、学年、学校のまさにナンバーワンのオンリーワンだった。


 一学期の終わり頃、僕はたまたま席が隣になった深水に声をかけた。

「石橋って、好きな男子がいるか知ってる?」

 ソフト部同士でいつも仲良くしているのを知っていた。

 ソフト部の女子と仲良くなる事こそ、石橋と会話のチャンスが掴める――。男子の間でそんな会話を耳にしていた。

 石橋と比べても見劣りしないほど可愛い筈の深水だが、一学期の中間テストで全科目一位を総取りし、それでも喜ばずに当り前ツラをしている深水は、僕みたいな成績が下の方の男子から敬遠されていたし、女子の間でも好き嫌いがハッキリしていた。

 だが石橋とだけは特に仲がいい。同じクラブだからなのだろうが、二人は親友と聞いた事もあった。

 深水と話せれば他の男子が手を出さない角度から石橋に近づける気がした。

「はあ?自分で聞いたら――」

 その時も上から目線の嫌な答えだった。

 簡単に話さないのは友達思いなのか……いや、僕の役にたっても深水には何のメリットもないからだけだろう。


 でも、その後が酷かった――。

 深水は、休み時間に石橋に言いやがったんだ――!


「澤江が香織のこと、好きらしいよ」

「ええー」

 ワザと僕に聞こえるような近くで言った。他の男子も何人か聞いていた。

 僕は好きだなんて一言も言ってない。石橋に好きな男子がいるのか聞きたかっただけなのに――。

「ヒューヒュー、澤江は石橋が好きなんだって」

「うわー、私じゃなくて良かった」

「はっはっは、はっはっゲッホ、ゲッホッ!」

 笑ってむせ返る奴までいた。

 顔を真っ赤にして僕は教室を飛び出していた。


 ――何なんだあいつは!

 人の気持ちも知らないで!

 

 深水の半笑いの顔と、石橋のどうしようか困った顔が脳裏に焼きついた。

 いまでも鮮明に覚えている。

 悔しさと恥ずかしさとで泣きそうになったのを歯を食いしばって我慢した。

 抜けかけていた乳歯が一本、ゴリッと気味の悪い音を立てて抜けた……。

 血の味が口の中に広がった。


 一年も前になるが、それ以来、深水とは一言も話なんかしなかった。

 深水は謝る事もなく、次の授業も何食わぬ顔で受けていたのが信じられなかった。


 ――中学にもなると、好きな子もできる分、嫌いな奴も出来るのが苦いほどよく分かった。


 そんな嫌な女に、弱みを握られた愚かさに自己嫌悪を抱く――。

 時間が戻るなら、さっきの水飲み場まで戻して欲しかった。


「まだ、澤江は香織の事が好きなの」

 平気で人の心に土足で上がってくる。

 僕がまさに今、考えていた事を完全に把握している。

 勉強ができる人間っていうのは、超能力か得体の知れない力を持っているのではないだろうかと不審に思う。

「知らない」

 そうとだけ答えて水を口にするのだが、それだけで吹き出して笑っている。

「好きなんだ。へえー」

「だから、そんな事言ってないだろ!」

 赤くなりながら水の入ったコップを置くと、少しテーブルにこぼれてしまった。

「何なら、また香織に言ってあげようか」

 こぼれた水をおしぼりで拭きながら、不敵な笑みを浮かべる。

 すぐに言い返そうとした時、アイスコーヒーと目を見張るような大きなパフェが運ばれてきた。

「きゃっ。これこれ。前から一度は食べてみたかったのよね」

 当然のようにパフェは深水の前に置かれ、コーヒーが僕の前に置かれた。

「いただきま~す」

 さっきまでの話なんて、深水にしてみればただの時間潰しだったのが苛立ちをかきたてる。

 だから、真似してやった。

「何が、キャッ、コレコレ、前から一度は食べてみたかったのよ~だ。気持ち悪い」

 いくら勉強が出来ても、所詮は子供だな――。そう見下す事で自分の方が少し大人だと感じた。その行動こそが子供だったとは気付くわけもなかった……。

 聞く耳を持たずにスプーンで生クリームをたっぷりすくって頬張る。

 凄く嬉しそうに頬に手を当てるのを見ると、さっきまでの刺々しさは何だったんだろうかとため息が出る。


 ――ああ、これが僕の奢りだからそんなに美味しそうに食べられるんだろうなあ。

 ――980円あったら、……ガンプラが買えただろうに……。


 仕方なくコーヒーを口にする。飲んでも文句言われる筋合いは無い筈だ。

 缶コーヒーなら飲んだ事がある。苦くも何ともなかった。しかし、喫茶店で出てくるアイスコーヒーが苦くて美味しくないと初めて知った。

 ブラックで飲むしかなかったのだ。この場では。

 

 今度は僕が片肘をついて、980円を食べていく深水を見ていた。

 窓の外をバスが走っていったのが見えた。はあ、また一時間は待たなくてはいけない。

 炎天下のバス停より、喫茶店の中の方が快適なのは言うまでもないが、よりによって深水とは……。

 二度目の汗も乾いていた。


 ふいにパフェを食べているスプーンが、生クリームをすくったままの状態でこちらを向いているのに気がついた。

「美味しいよ、食べる」

「甘いものは嫌いだから要らない」

 そう拒むが、そのスプーンは大いなる宇宙の意思で動かされているかのように近づいてくる。

「はい、アーン」


 はあ?

 何を考えているんだこいつは!


 今は満面の笑みで深水が拒む僕を見ている。空になったコーヒーのコップを手にするのだが、

「古新聞~古雑誌~使い古したエロ~……」

 ――そこから先は言うな!

 くそっ、アーンすればいいんだろ!

 根性で口を開いた!

 どうせ、一人じゃ食べきれないのに気付いたんだろ!

 ――なんて日だ!


 口の中には冷たさと甘さとスプーン独特の味がしたが、その他の味はしなかった……。


「美味しいでしょ。でももうあげない」

 僕が口にしたスプーンで何の躊躇もなくまたパフェを食べ始める。


 ――間接キッスだ。

 

 一つの疑惑が湧いた。

 即、口から出た。

「もしかして……深水は僕の事が好きなのか?」

 今日、一番うけた一言だったようだ。

 両目を閉じてスプーンをくわえたまま、吹き出してしまわないように必死に我慢して、

「澤江みたいなバカスケベ、好きなわけないじゃん。マジでウケル~」

 声を抑えて笑っていた。


 胸を撫で下ろした。

 ――本当に良かったと感じた。笑ってくれるのが心地いい。

 性格が破壊されている深水みたいな女子に好意を持たれたら、学校に行けないかも知れない。

 深水の事が嫌いな男子と女子から敬遠されること疑いない。


 ……しかし、ちょっと考えた。

 今でこそ身長も伸びてきたし、体重も入学した時より減ったけど、入学した時、僕はチビでデブだった。

 勉強も出来ず、試験では最下位の科目すらあった。

 宿題は友達のを写し、女子には嫌われるような悪戯をする。

 深水が言った――バカスケベ。先ほど実証したとおりだ。


 ――あの時、石橋も『こいつからは好かれたくない』と思ったのだろうな。

 石橋の困っていた顔を思い浮かべる。

 性格がいいから、露骨に嫌な顔ができなかったんだ。酷い事も言えなかったんだ。

 僕が居ない所では、深水みたいに嫌な顔で毒舌を吐いていたのかもしれない。


 深水はまだ笑っていた。

「ひ~お腹痛い。ひ~ひ~」

 目尻に涙を浮かべながら足をパタパタさせて笑っていた。


 ――いくら何でも笑いすぎじゃないのかという苛立ちと、自分への失望が込み上げた。


「ごちそうさま」

 レジでシワだらけの千円札と、十円交じりの小銭をじゃらじゃらと支払う僕の横から深水がそう言って、先に店から出て行った。

「ちょうど頂きます」

 レジにお金を入れてレシートを手渡してくれる時、店員さんが何気なく、

「可愛い彼女ね」

 そう言って渡してくれた。

「――いや、そんなんじゃないんですよ」

 ムキになって言い返さない。

 できれば僕の悩みをこの場で打ち明けたい気分だ。

 店員はそれでもにこやかに僕を見ていた。

 深水と1年ぶりに話す前の僕だったら……いや、違います! って強く反発していたかも知れない。

 今は、妙にリラックスしていた。誰にも見つからなかった安心からかもしれない。

「ありがとうございました」

 チリンチリンと扉を開けて喫茶店を出る時、今の僕は少し大人っぽいと自画自賛していた。

 

「いつまでこんな主従関係を続けたら忘れてくれるんだ?」

 少し前を歩く深水は、甘いものをたらふく食べて上機嫌のように見える。歩き方が軽やかだ。 

「2学期が始まるまでには忘れてあげるけど――」

 振り向いた。

「明日は、市の文化センターに映画を見に行くから、いつもの所に1時に来なさい。お金忘れないでよね、私の分も」

 ――また上から目線だ。

 深水の方が背が5センチは高いから、必然的にそうなる。

「いつもの所ってどこだよ」

「水飲み場よ。お地蔵さんの。じゃあね~」

 走って帰ってしまった。

 詳しくは知らないが、徒歩通学だから、深水の家は近くのはずだ。

 僕は一人、バス停へトボトボ歩いた。

 映画二人分の金額を考えながら……。


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