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プロローグ

   夏休みの宿題を君が手伝ってくれた



 罪の代償は取り返しがつかないことになってしまった――。


 ――古紙回収の日にゴミ置き場に無造作に捨てられていたエロ本。

 スマホやネット環境に縁がなかった故、宝物に見えた――。


 夏休みのクラブ帰り……体操服は一度乾いた汗がまた湿っていき、首筋の辺りから、朝食べた納豆のような異臭を発していた。

 中学校からバス停までは僕一人。

 近道ではないのだが、水飲み場と称される冷たい湧水が飲めるお地蔵の所で喉の渇きを癒し、そこから坂を少し下った所にその宝があった。

 一度は通り過ぎたのだが、また舞戻ってきていた。

 長袖が入った緑色のナップサックにはお宝が納まる余裕がある。


 ――もう一度周囲を見渡す。


 一緒のクラブの奴らはもう自転車で帰っている。

 炎天下のため、歩いている人の姿はない。

 水飲み場からここまで誰にも会わなかった。

 

 今なら――盗れる!


 罪悪感はなかった。

 これは捨てられた物だ。持ち主が放棄したものだ。

 自動販売機の釣銭の取り忘れを見つけた時の方が、よっぽど困った。泥棒をしている罪悪感に苦しめられたんだ。

 見つけた喜びと、それを自分の物にして罰が当たらないかと言う苦しみ――。

 最初から釣銭の取り忘れを確認しながら歩かなければ良かった。

 大人は自動販売機の釣銭を確認しながら歩いたりしない。多分、僕と一緒で、見つけた時にどうしようか悩んだ経験があるのだろう。


 ――そんな事を考えている場合ではない。

 いま、砂時計の砂は砂金よりも貴重だ。

 そっと本に手を伸ばし、ナップサックの紐を緩めて中に詰め込んだ。

 一瞬触った感覚で分かった。

 ――ほとんど新品だ!


 エロ本の新品の定義っていうのがどういうものか知りたいが、友達から千円で買った物より表紙がツヤツヤしていた。

 急いでその場を立ち去ろうとする。

 鷲の様な視線で周りを睨みつけて確認し、歩き去ろうとした時だ――、


「澤江、――こんな所で何してるの?」


 問い掛けではなく、全てを見ていた上での忠告――に聞こえた。

 声の主はおおよそ想像がつく。先生ではなかったのが不幸中の幸いか。

 ――恐る恐る振り返った。


 緑色の体操服に、風で揺れる木の葉の陰がくっきり映し出されていた。


 ――この暑い中、長袖の体操服をよく着ていられるものだ。

 夏休み中なのに、学校と同じように上から目線は一体何様気取りだ。

 クラス委員をしているから他の男子生徒から少しは人気があるかもしれないが、僕は嫌いな奴だった。

 性格が悪いと他の女子が陰口を言っていたのを教えてやろうか……。


 考え出せる全ての悪口をとっさに挙げるが、それでも自分の置かれた立場の方が分が悪い。

「ふ、ふか、深水、――お前こそ何やってるんだ、こんな所で」

 電柱の陰が、まるで忍者屋敷のからくり扉だったのかと恐怖した。

 無我夢中になっていると周りが見えないと聞いた事があるが、それはどんくさい奴の事だと決めていた。

 まさか僕が、そのどんくさい奴だなんて……。

「クラブの帰りに職員室に寄って近道して帰ろうと思ったら、古紙回収者に出くわしたってとこかしら」

 ――古紙回収者? ……僕の事なんだろうなあ。

 僕より背が5センチは高い。

 名前は深水真菜。僕と同じ2年2組のクラス委員であり、自他共に認める優等生。

 クラブはソフトボール部。今日も午前中、練習していたのをロードワーク時に確認していた。


「何の事だか知らないけど、バスの時間があるから帰るぞ。じゃあな」

 この場から一秒でも早く逃げだしたい一心だったが、深水はそれをさせてくれない。

「クラブの女子に言っちゃおっかな。澤江のバカがクラブ帰りにエロ本拾って帰ったって」

「――ちょ、ちょっと待てよ。何言ってんだよ」

 慌てる。

 ソフト部には深水と違って好きな女子がいる。

 不覚にもその事は深水にはバレていて、それを知っての言動なので一層腹が立つ。

「僕は何もしてない」

「エロ本拾ったでしょ。男らしく白状したら」

 言葉使いが学校でのそれと異なる。裏表で言えば裏なのだろう。

 エロ本と女子の口から聞くとこちらが赤くなってしまう。

「……証拠は?」

 問いただす僕に、見下げた目線を見せる。

「はあ? ナップサックから出せるの?出せないでしょ」

 当たり前だ!

 女子に見せる事ができるような本じゃない。裏表紙には裸婦がバーンと写っている。

 ――でも、これなら向こうは証拠を握れない。深水の嘘ってことにできる。

「証拠はないけど、いい事教えてあげる」

「何だよ」

 深水は冷ややかな微笑で唇の端を少し持ち上げて言った。

「私は喉が渇いてる。澤江貴義が私のためにジュースを奢ってくれる。その行為こそが決定的な証拠」

 僕を見つめたまま無駄のない立ち回りで背を向ける。

 セミロングの髪がフワリと広がる。


「行くわよ」

 ……? 深水が肩越しに言った。

 意味が分からないのだが、ついて行くしかなかった。

 なぜなら、嘘でも本当でもソフト部の女子に僕のとった行為を言いふらされたくなかったからだ。

 深水は徒歩通学だったから肩を並べて歩いたのだが、初めて虫唾が走る気分というのを味わった。


 今日の蝉の声は普段の5割増しに聞こえた。

 うるさくてたまらない。


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