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透明人間  作者: 二姫諒
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定期的に心地よいリズムを響かせるレールの音は、かまびすしい雑踏とは一味違う。


乗ってよかったな、と思った。この車両には僕以外誰もいない。


外は今日もうだるような暑さである。窓の外の景色が、手垢のついた一枚の長い絵のようにスクロールされてゆく。


その日を食うにも困る浮浪者がまったく酔狂なものだなあ、と僕は少しばかり自嘲的な笑いを浮かべた。


この旅には目的地はあるけれど、目的は無い。


つい先日のことだ。いつものように煙草銭を稼ぐため、ほうぼうでかき集めた古書――専門書の類である――を


古本屋に売ると、ちょっと予想できないほど高値が付いた。


おそらく希少価値のある本が含まれていた。運が良かった。


まれに見るまとまった収入が入った僕は、今こそ好機と胸をみなぎらせ、前々から計画していた列車での旅を実行に移した。


とにかく遠い場所に行ければいい。昔から僕は、知らない街をやみくもに歩いて回るという奇妙な趣味を持っていた。


知らない場所を歩くだけで、僕はもうわくわくするのだ。


無責任に期待を膨らませ列車に揺られる。しばらく景色を楽しんだあと、


ホームレスのアイデンティティである(諸説あり)おおきなボストンバッグから、


自分であらかじめ作っておいたおむすびと、列車に乗り込む前に買っておいたチーズ、そして安物の焼酎を取り出した。


チーズをちいさく千切り、おむすびの上に乗っける。飾り気は大事だ。


およそ色彩感覚とは無縁だが、うまい具合にデコレートできてちょっとうれしくなった。


缶のふたを開け、焼酎を煽るとさらにいい気分になる。足を伸ばしてくつろぐ。


さながら独裁者のような気分だ。


独裁者ともなると、他者を気にかける余裕を持たなければならない。


僕がこの旅をしているあいだ、ねぐらを任せているひげづらの男の顔が浮かんだ。


いたずら好きなそのおやじは、名前を小野田昌平という。


彼も僕と同じで、自分で言うのもおかしいけれど、ホームレスとは思えないほど生き生きとした男だ。


ひょっとしたら僕をびっくりさせようと、テントになにか細工をしているかもしれない。


以前、少し遠出して、2日間ほどねぐらを空ける事があった。僕が夕方に帰るとすでに


自分のテントが張られていた。今日あたり帰ってくると思って張っといてやったぞー、と小野田が言うので、


感謝してテントに入ると、ど真ん中に落とし穴が掘られていてものの見事に落ちた。


……帰ったら用心しないといけない。


…………


そんなことを考えているうちに、アルコールのせいか眠くなってきた……


このまま、少し寝てしまおうか……


……


………………。






「……のー、す……せーん」


…………………………


「す……せーん! お客……ん!」


…………ん?


……なんだ? 誰だ?


「お……ん! お客さん!」


……揺らすなよ……中身が出るだろ…………


……出ねえよ。なんのこっちゃ。


いけない、寝惚けている。


どうやら寝入っていたらしい。誰かが呼んでいる。


「お客さん!!」


その一言で完全に目を覚ます。


「はい……? 何でしょうか?」


目の前に立っていたのは車掌だった。偉そうだし、ヒゲがついているからたぶん車掌だ。


僕は頭を軽く左右に振り、目をこすって車掌を見据える。

 

「あの、乗車券を拝見させてもらえますか?」


ああ、そういうことか。確か切符は財布の中に入れたはずだ。


シートに置かれた荷物の隙間に手を突っ込む。


…………。


あれ?


…………。


え?


……ない。


…………………………


……………………………………


「……はい!! あの、財布無いだよ!?」


寝起きで動転した。というか財布もない。


「……財布を失くされたんですか?」


「いえいえ、違うんです! 僕はこの列車に乗ってるわけだし、当然、切符を買うときまではあったんです!」


焦って余計な補足説明を加える。べつに悪いことしてないのに、僕。


僕は半狂乱になって列車の床と天井を必死に指差した。もちろん行為自体に深い意味は無い。


「では、駅で落としてしまわれたとか……」


「いえ、ここで切符を財布の中に入れたんです。こんな感じに」


頭のてっぺんからつま先まで、当時を完全に再現しようとぬるりとした動作で演技する。


それは実際のところ驚異的に似ていたのだけど、車掌は一瞥すると目をそらした。


「それでは、この車内に……」


車掌は、無視したわりにはかなり一生懸命に探してくれている。


適当な対応をしたら後々めんどくさいことになりそうな客だと思われているんだろうか。


ああ、さっきまでとてもいい気分だったのに……。まったくついてない。


僕も必死に探す。


……ないな。もうすこし別の場所を探してみよう。


「あの、最後に見た記憶は……?」


車掌は僕を追いかけながら尋ねる。


「ええと、ここら辺に置いたんですよね」


座席シートを叩いて言うと、車掌の表情がこわばる。


「……盗まれたのでは?」


え?


「最近、列車内での置き引きが多発しておりまして……」


「……えっ」


しばらく言葉を失った。


……………………


……いや、まあ、普通にこの状況を考えればそうなるだろう。


………………


なけなしの金が…………これからどうしよう…………


とりあえず落ち着きを取り戻すべく女の裸体を妄想していると、車掌は、カード類は大丈夫でしょうかと尋ねてきた。


「カードは一枚も入ってないので、大丈夫なんですけど……」


「ああ、そうでしたか。ところでお客さん、お急ぎでしょうか?」


「いえ、全く急いでませんが、何でしょうか」


「ええと、紛失届けの手続きなどあるのですが、私もこの後仕事がありますもので……」


なるほど。車掌ならば車内放送とかしなくちゃいけないしね。


鼻声で乗客にお知らせしなくちゃいけないしね。


「いや、でも、落としたんならともかく、盗まれたんならあきらめるしか無いですよね……」


「一応届け出ておくにこしたことはないですよ。後日最寄の駅で駅員に話してもらえれば結構ですから」


「そうですね。すみません。何か僕、爆睡してたからなあ」


「ところで、どちらまで行かれますか?」


「終点です」


無意味に即答してみる。本当はどこでもいいんだけれど。


「どこからお乗りになられましたか?」


僕が答えると車掌は端末にタッチペンを走らせ、紙に何かをプリントアウトする。


「これをどうぞ。乗車券の代わりだと思ってください」


手渡された紙を意味もなく穴の開くほど眺めていると


「では、私も仕事がありますので失礼します」


車掌は足早に去って行った。


………………


「……あー」


車掌は行ってしまった。


………………


いつまでも紙を見つめる。


やれやれ……到着したら悠々自適とまではいかなくても、残りの金で少しは贅沢しようと思っていたのに。


このままでは帰りは歩きだ。帰りの電車賃を貸してもらおうかとも思ったが、僕はふつうの人とは境遇が違う。


なにも僕から盗んでいかなくてもいいじゃないか……


ホームグラウンドから遠く離れた場所で僕ひとりか……


いやちがう、みんなでひとりなんだ!


意味不明だった。


……………………






「大変でしたね」


え?


僕に言ってるのだろうか?


紙から目を離し、前を見据えると目の前に女の子が居た。

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