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黄道十二星座の物語

今夜も酒を――みずがめ座

作者: イプシロン

 黄道十二宮の物語もいよいよ佳境である。これまで幾つかの挿話を書いてきたが、星座それ自体から離れて黄道十二宮全体を眺めるのも、おもしろいだろう。

 そうして見ると、ほとんどの星座が動物であるということに気づく。もう少し正確にいえば、生き物である。ケイローンという半人半馬もいれば、パンという山羊人間もいる。では人をかたどったのはどの星座なのかと眺めてみると、これもなかなか興味深いものがある。

 男子のふたご、カストルとポルックス、そしておとめ座の美女ペルセポネー、男女比二対一である。

 古代から連綿とつづく男尊女卑だとか、男が権力を振るう時代は、まだまだ続くのではないかと予想せざるを得ないのである。ここはひとつ、オリュンポス最強の女神、あの嫉妬深いヘラ様に頑張っていただくしかないのかもしれない。

 きっと、

「ただでは御免蒙ります。愛をください。さなくば大枚を」

 とでも仰るのだろう。

 おお怖い、女は恐ろしゅうございます。どうやら男もまだまだ必死に働らいて、必死に尽くさなければならないようです。そのために、ふたご座はふたりなのでしょうか。

 またこうも考えられる。男の強さ、女の強さの比較である。何かあるとやたらに威張るのが男だが、実は案外弱い。虚弱なのである。胃が痛いとか腰が痛いとか、すぐに零すのは男ではあるまいか。だから星座になってすら労わりあっているのであろう。なんとも情けない気がしてくる。だが諸君、おとめ座を見よ! ペルセポネはたった一人ではないか! 女は強し! そして恐ろしいのである。

 一般に老年期に入って独居老人となった場合でも、女は逞しく生きてゆくといわれていたりする。それに比べて男は……。もう何もいうまい。

 だがこのふたご座とおとめ座には共通点もある。ふたご座の場合、二人が一日おきに地上と天界を行き来する。おとめ座の場合、一年のうちの決まった四か月を天界で暮らし、あとは冥界でといった具合である。

 カストルとポルックスにあっては、友人同士がどちらからともなく訪問しあうという、善き関係を象徴しているように見える。ペルセポネは否応なくといった感はあるが、これは出張であるとか、里帰りあるいは骨休めの観光旅行とでも思えばよかろう。

 ともあれ、二つの世界を行き来するということは、生れては死んでゆき、また生まれるという象徴ではあるまいか。小生などそう疑っているのである。

 そんな黄道十二宮にあって、異色の存在感を放っているのが、てんびん座とみずがめ座であろう。

 てんびんは善悪を量るといわれている。介添え役として、アストレイアとアイドスが関わってはいるが、てんびんは人でも動物でもなく物であることには注目すべきではあるまいか。しかし今回はその話はしない。みずがめ座についてなのである。

 夜空に描かれる絵模様を眺めてみれば、みずがめといってもそこに少年の姿はあるのだが、彼が主人公であるとはいえないのが、この星座なのである。

 (かめ)といえば、人間文化とは切ってもきれないものとして、瓶の中身として酒がある。元来、神秘の水は薬酒とか不老不死の象徴であったらしいのだが、どうやらそれは大義名分のようである。それは神話にも現れていると、小生は疑っているわけである。

 大体において、もしもみずがめ座が薬酒や不老不死への純粋な憧憬であるならば、てんびん座を見習うべきである。正々堂々と、水瓶から溢れ出た酒といった風情で夜空に佇むべきではないのか。なのにである。ここに人間の持つ酒への思いが露見しているのではあるまいか。

 どうして酒盛りの少年がいるのですか。ここに人間の露悪があるのである。

 なぜなら、ギリシャ神話の本を繙いてみれば、この少年は両親のもとから誘拐されてきた少年であるからである。そこまでして酒盛りをさせたかったのであろうか。

「父さん、あの子はどこへいってしまったのでしょうかね」

「きっと今頃は天国さ、心配することはあるまいよ、母さん」

 こうして夜ごとに涙に濡れる両親へと、天界からなされた償ないは、風の如く走る駿馬一頭である。理不尽である。酒豪の神々恐るべしである。これはもう、薬酒がねとか不老不死がですねなどといって言い訳できるものではなかろう。

 いや待とう、もう少し冷静に、誘拐の元凶となった動機を考えなくてはなるまい。

 はて、天界に酒を酌む役目をもった者はいなかったのであろうか。いました、ヘラ様です。

 つまり、元来オリンポスでは、酒宴で接待の主事をうけ持っていたのは、主催者であるゼウスの正妻だったのである。考えてみればこれは常識的なマナーであると思える。主催者の役目とは、来賓者への謝辞であって酒盛りではない。となると、主催者の意向を一番心得て酒盛りできる者は誰かというと、当然その妻ということになる。現代でもこうした風習は色濃く残されているではないか。例えば大統領夫人をファースト・レディと呼ぶのもその一例であろう。

 そうですか、誘拐の元凶はゼウスの正妻ヘラだったのですか。

 しかし彼女には同情の余地があろう。考えてもみたまえ。好色家の夫に、あっちに妾をつくられ、こっちに妾をつくられ、だけならず、あっちに私生児、こっちに私生児をつくられたなら、業務拒否も当然の権利ではあるまいか。

「女性に権利を! ホステス禁止法に賛成票を!」

 歴史上相当に古い時代に、女性の権利をまっさきに訴えたのは、このヘラなのだろう。

 しかし待とう、裁判も三審まであるではないか。誘拐事件の犯人を、女性人権家だからと庇うのも気がひけるのだが、とにかくもう少し調べてみる必要がある。

 するとこんな事実らしきものが見つかった。ヘラの業務を引き継いでいた女性がいたのである。ヘルクレスの婚約者ヘベだ。

 一説によると、ゼウスが浮気の末に作った子がヘルクレスであり、夫の浮気への腹いせにヘラが八つ当たりしたのが、ヘルクレスの婚約者ヘベであるということだ。それで酒盛りを押しつけられたのがヘベということになる。つまりこうだ。ゼウスが浮気して出来た子がヘルクレス。ヘラはそのヘルクレス憎さに、彼の婚約者であるヘベに酒盛り役を押しつけたということである。

 ということは、ヘラが業務拒否した本当の原因はゼウスの浮気であることになる。ではあっても、サボタージュをしたヘラにも責任がないとは言えまい。結局のところ、夫婦同罪であるということか。

 いや待て、待とう、事は重大なのである。なにしろ誘拐事件の推理なのだから。ここは慎重であらねばなるまい。

 それでは、そのヘベはどうしたのだろうか。

 ギリシャ神話の本にはこうある。落命したヘルクレスは天にあげられ星となった。怨み積年のヘラであったが、これを期にヘベの接待係を免除し、ヘベとヘルクレスの結婚を認めたのだと。それで困ったのはゼウスであると。そして犯行に及んだ。

 なあんだ、誘拐事件の主犯はゼウスだったのか。

 意外や意外、単純なものだったのである。しかし、証拠がない。

 この辺り、神話はかなり良くできているといえるかもしれない。誘拐実行のあらましには、いくつか説があり誰が犯人であるとはいいがたいのである。さしずめ、主犯格はゼウス、共犯者はヘラ、そのように嫌疑はかけられるのだが、なにしろ証拠がない。

「証拠不十分につき却下」

「ああ良かった、これでまた酒が呑める」

 完全犯罪を犯してでも酒盛り役が欲しかった、人類の哀しさといえまいか。

 ともあれ、こうして誘拐された美少年ガニュメデスは星になったのである。

 男も女も、誰かに酒を注いでもらいたいのでしょう。きっと今宵も彼らは酒を酌み交わすのであろう。


 (了)

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