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休み二日目の朝は、幸せに包まれていた。
ダニエルの日課は、日が登ると起き出して、庭で剣を振って体を動かす事から始まる。
台所ではアディが朝食の仕度をしていて、用意が出来ると声を掛けに庭に顔を出す。
汗を流してから、アディの美味しい朝食を食べて身支度を整え、二人で馬に乗って城に向かうというのが日常だ。
だが今日は休み。
朝食が終わって二人でお茶を飲んでいると、アディは黒板に何かを書く。
アディは、力のコントロールは出来るが、感情での暴走を恐れている。だから、必要な時以外は今まで通り筆記で会話すると言っていた。
ダニエルも今までそれで特に困っていた訳ではないので、それで良いと頷いたのだ。それに、あのアディの可愛らしい声を、自分以外に聞かせたくないという独占欲も、あったりする。
『あのね、ダンの耳飾り、買いに行きたい。』
そう書いたアディは、照れたように頬を染めている。
求婚の耳飾りを贈られた女は、同じように耳飾りを贈り返すのが了承の返事となるのだ。
だからこの国の既婚者は、それぞれのパートナーの瞳の色の耳飾りを付けていて、一目で結婚しているかどうかがわかる。それが、不義の防止になっていたりもするのだ。
アディの申し出に、ダニエルは笑顔で頷いた。
アディの瞳の色は左右違う。
その為に、アディは二色の宝石を選んだ。
丸い黒の土台に赤い宝石がついた物を右側。同じ土台に黄色の宝石がついた物を左側につけた。
土台の黒は、アディの髪の色のようだ。
耳飾りをつけた互いを眺め合い、二人は満足そうに笑った。
実際の結婚は、ナナの問題が片付いてから、隊長に相談して小さな式をしようと昨夜話し合った。
神殿で式を行い、結婚宣誓書にサインをすれば、二人は晴れて夫婦となる。それまでは、口付けだけで留めなければならないのが拷問だと、ダニエルは昨夜ひっそり悩んだ。
耳飾りを買った後は散歩してから帰ろうと、手を繋いで歩く。
「カーライル副隊長、アディ!探しました!」
そんな二人に、馬に跨った騎士が一人声を掛けてきた。
六番隊の隊員でアディとも仲の良い、部下のトムだ。
トムは馬から飛び降りて、二人に近寄ってくると、目を見開く。
「あぁなんですか!やっとですか!みんなやきもきしてたんですからぁ。おめでとうございます!」
そんな事をにこにこ笑って言ってきた。
トムの目は、アディとダニエルの耳飾りを交互に見ている。
顔を赤くしたダニエルが、ありがとうと礼を告げてから咳払いをする。
「それで?何か緊急事態か?」
「あぁ、そうでした!召喚された王太子妃候補の娘さん、姿が見えないみたいで、二人にもご報告をと探しておりました!」
「姿が見えない?」
「はい。昨夜はいたらしいんですが、朝にはベッドがもぬけの殻だったみたいです。今は警護をしていた二番隊が城の中を捜索してます。」
警護していた騎士がいるにも関わらず、少女が一人消えるなんて、嫌な予感しかしない。
ましてや毒殺されかけた娘だ。毒を入れた侍女も主犯を知らないらしく、捜査も中々進んでいなかったはずだ。そんな中で姿を消したとなると、ナナの身が危ぶまれた。
アディも同じ事を思ったようで、顔を青褪めさせている。
「………ダン、私なら、探せる。」
意を決したように、アディが口を開いた。
「え?アディ、お前声?」
トムが驚いて目を丸くするのに、アディは苦笑してみせた。
今は説明している時間も惜しいと考えているようだ。
「ダンの耳飾りと私の耳飾りを繋いで、声を届ける。見つけたら連絡する。」
そう言って、アディは自分の左の耳飾りを指で摘み、右手でダニエルの黄色い耳飾りを摘まんだ。
「繋がれ。」
アディが呟くと、掴まれたダニエルの耳飾りが少し、熱を持ったような感じがした。
手を離したアディは今度は屈んで地面の砂を一握り掴む。
「ナナの所へ連れて行って。」
呟いてから、砂を手から落とす。するとその砂が、意思を持っているように何処かに漂い出した。
「嫌な予感がするの。ダン達は助けを呼んで。」
言うが早いか、アディは砂を追って駆け出してしまった。
「待てアディ!危ない事は絶対するな!トム、アディについて行って守ってくれ!俺は隊長に報告して救援の要請をする!」
ダニエルの命令を聞くと、トムは頷いて馬の手綱をダニエルに渡し、アディを追って走り出す。
ダニエルも馬に飛び乗り、二人とは反対方向の城へ向かって馬を駆けさせた。
導くように漂う砂は、貴族の屋敷に二人を導いた。
「ここは…ブレイン公爵家の屋敷だ。」
トムの呟きに、アディは視線を砂からトムに向ける。
「公爵家が、どうしてナナを?」
「ここの公爵様は、娘を王太子妃にしたいらしいと聞いた事がある。」
トムはどうやら、アディの声の事を聞くのは一旦諦めたようだ。
辿り着いたのが力のある公爵家だというのもあり、顔は緊張で強張っている。
「ダン、まだ姿は確認してないけど、ナナはブレイン公爵家にいる。」
アディは左の耳飾りを摘まんで呟いた。
魔術など分からないトムには、それで声が届いているのか分からないが、まぁ届いているのだろうと思う事にした。
「じゃあアディ、中に入る訳にいかないし、副隊長が来るまで待機するぞ。」
トムがアディに言うと、アディは首を横に振った。
そして裏口の扉に手を掛ける。鍵が開いている訳がないので、扉は当然開かない。
「開け。」
アディが呟くと、カチャリと鍵の開く小さな音がした。
目を丸くするトムの前で、アディは扉を開けて中に入ってしまった。
「嘘だろ。」
頭を抱えたトムは、ダニエルの命令の遂行の為にアディに続いた。
屋敷の敷地内で、砂はまだ何処かに向かって漂って行く。
アディとトムは、屋敷の人間に見つからないように注意して進んだ。
砂は、屋敷の端にある古ぼけた物置小屋の前で、地面に戻った。
静かに近づくと、人の話し声が中から聞こえる。
二人は物置小屋の裏手に窓を見つけて、覗き込む。
そこに、ナナはいた。
縄で両手両足を縛りつけられた状態で、床に座らされている。怯えた表情でナナが見上げるのは、身なりの良い三人の男だった。
「ダン、ブレイン公爵家、屋敷奥の物置小屋にナナはいる。」
アディはまた耳飾りに囁き、中の様子をトムと共に見守る。
どうやら、男の一人はブレイン公爵のようだ。他の二人は、公爵の関係者か。
「召喚されただけの君には申し訳ないが、邪魔なのだよ。」
窓に背を向けるように立って、公爵らしき男はナナに話し掛けている。
「この国の言葉も政治も分からない小娘が王太子妃になるなどあってはならない。脅して帰ってもらうのが一番だが、君は帰れないそうだね?」
男の一人が、ナナに近づいていく。
危険な雰囲気を感じ取ったトムは、腰の剣をすぐ抜けるように手を添えて、窓から飛び込む体制を取る。
「悪いが、死んでもらおう。」
公爵の言葉で、ナナに歩み寄った男が剣を抜いて振り上げた。同時にトムは飛び込み、剣を抜いて男に斬り掛かる。
公爵と、もう一人の男も剣を抜いた。
「動くな。」
澄んだ声が響くと、男達の動きが止まった。
打ち合っていた相手の動きがピタリと止まった事に警戒しながら、トムは後ろに下がる。
窓からはアディも入って来ていて、ナナに駆け寄る。
「**、******、*******。」
何かを語りかけながら、アディは青くなって泣きながら震えているナナの縄を解こうとしていた。
動かなくなった三人の男達を警戒しながらも、トムは二人に近寄り、ナナの縄を切ってやる。
手足が自由になったナナは、腰が抜けたようにへたり込んだ。アディは、がたがた震えているナナの頭を撫でて微笑みかける。
「眠れ。」
アディの言葉と共に、ナナの体から力が抜けた。
トムは唖然としながらも、動かない三人に剣を向けて警戒を続ける。
眠ったらしきナナの体を横たえて、アディは今度はナナを縛っていた縄を持った。
「縛れ。」
アディの声に従い、今度は縄が一人でに動いて、三人の男達を拘束した。しかも、元の縄の量より増えて、伸びている。
トムは目を丸くして、口笛を吹いた。
「すごいな。」
アディが魔術師だとは知らなかった、とトムは内心思った。まぁ、女だということすら最初は隠していたのだから、アディらしいような気もした。
「マーカス・ブレイン、答えろ。侍女を使ってナナを殺そうとしたのはお前か?」
「そうだ。」
アディの質問に公爵は素直に答えたが、自分が口に出した事に驚愕するように目を丸くし青褪める。
「マーカス・ブレイン、騎士の尋問には全て答えろ。悪事を全て白状しろ。」
青い顔で震え出した公爵から離れて、アディは今度は男の一人へと近づく。
真っ直ぐに目を覗き込み、口を開いた。
「お前の名前を答えろ。」
「ジル・エドワーズ。」
「ジル・エドワーズ。お前も騎士の尋問で全て白状しろ。」
まるで催眠をかけられているように、アディの言葉に逆らえないようだ。
震えながら、自分の意に沿わない言葉を口にする男達の姿に、トムはぶるりと身を震わせた。
だが、アディのこの行為で解決が早まるのならば、仕事が楽だし構わないかと考えて静観する。
トムは、アディの人柄を信用していた。
最後の一人にもアディが同じような命令をした直後、ダニエルが騎士を連れて駆け込んできた。
中の様子をざっと見渡して、部下に指示を出す。
縄に縛られた状態で、男三人は真っ青な顔で震えながら連れて行かれた。
ナナも無事保護された。
「アディ!何故勝手なことをした!」
一通りの指示を出し終えたダニエルが怒りの形相でアディに詰め寄る。
穏やかな気性のダニエルが声を荒げるのは珍しい。
「……ごめんなさい。」
怒鳴られて、しょんぼりと俯いて謝るアディをダニエルは抱きしめる。
「お前に何かあったら、どうする。あまり心配させないでくれ。」
ぎゅうっと抱き締め合う恋人達を離れた所から見ていたトムは思った。
アディなら、ちょっとやそっとのことは危険じゃなさそうだよな、と。むしろ相手が気の毒だ、とも。




