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今まで着せていたダニエルの服ではなく、女物の服を買って着せたら、アディはもう女にしか見えなかった。
それも、なんとも可愛らしい娘になってしまった。
艶やかな黒髪が色気を醸し出し、赤と金の瞳はまるで宝石のようだ。
こうしてみると、なぜ一緒に暮らしていてアディが女だと気付けなかったのか、今では大きな謎となった。
思い込みとは恐ろしいものだなという隊長の発言に、ダニエルは内心で大きく頷いたのだった。
一度引き受けた手前、途中で放り出すことはダニエルにはできなかった。
それに、アディがいる事に慣れてしまったダニエルには、私生活も仕事もアディ無しでは考えられなかったというのもあり、今まで通りの生活をすることにした。
ただ、困ったこともある。
女だと判明してからのアディは、やたらとスキンシップが増えた気がする。
ダニエルはその事に少し、困惑した。
そうして、アディが女だったということ以外変わらない日々が三年続いたある日。
いつものように執務室で隊長とアディとダニエルの三人で書類仕事をこなしていると、アディが何かに反応して顔をあげた。
『今日、王宮内で何か大きな魔力を使ってる?どこかから何かを無理矢理引っ張ってる。』
肩を叩かれ覗いたアディの黒板には、そう書かれていた。
「そういえば、魔術師共が王太子殿下に相応しい相手を召喚する儀式をするとか、言ってたな。」
アディの質問に答えたのは隊長だった。
『大々的な誘拐?』
確かに、同意もなく連れて来るのならば誘拐だなとダニエルも考えていたら、隊長が笑った。
「そうかもしれないが、王太子殿下が相手ならば喜ぶんじゃないか?金も権力も持っていて、顔も良い。」
隊長の言葉に、アディは不服そうな顔をしていた。
「アディは魔力が感知できるのか?」
この国では、魔力を持つ人間があまりいない為、扱える者は王宮魔術師になって高い地位を得られるのだ。
もしアディが魔力を持っているのならば、魔術師になった方が良い生活が出来る。
そう考えて聞いたダニエルに、アディは何かを書いて見せる。そして、照れたように笑った。
『できるけど、ダンといたいから、今のままが幸せ。』
ダニエルは、赤面した顔を片手で隠した。
「お前が、したいようにすれば良い。」
アディは、嬉しそうに笑っていた。
そうして、そんな会話をした事も忘れ掛けていたある日。
隊長が王太子殿下からの命令を携えて、執務室に戻ってきた。
「王太子殿下は、アディに通訳を頼みたいそうだ。召喚した相手に言葉が通じないらしい。」
アディは、数カ国の言語を読み書き出来る。その為、よく騎士団内でも翻訳の仕事を頼まれることがあった。
おそらく王太子はそれを耳にしたのだろう。それにしても通訳とは…。
『誘拐されたのは、遠い国の人間だったんですか?』
ダニエルが考えていたのと同じ事をアディが隊長に聞いた。
周辺諸国の言葉なら外交で必要な為、通じないなど有り得ない。
「それが、よくわからないみたいなんだ。高名な学者様でも聞いた事のない言葉を使っていて、魔術師共もお手上げ状態なんだと。召喚されてからずっと、泣き叫んでるらしい。」
「何故アディなんですか?」
「あー、なんか、色々な学者様呼んで試したけどダメで、藁にも縋りたいんだとよ。」
なんとも大変な人物を召喚してしまったようだ。
『高名な学者様でもダメなら、私はもっとダメだと思いますけどね。』
「まぁ、試してみるだけ試したいんだろ。」
ダニエルとアディが隊長に連れてこられた豪華な部屋では、黒髪黒眼の少女が泣き叫んでいた。
泣き叫ぶ少女の近くでは、王太子殿下とその側近が困り果てている。
少女が口に出しているのは、ダニエルが知っているどの国の言葉とも違っていて、理解出来ない。
ダニエルの隣ではアディが困った顔をして立っていた。
通訳しようにも、声を出せないアディは近付いて書いた文字を見せなければならない。
泣き叫んで暴れている人間に近付くのは容易ではないし、通常の精神状態じゃなさそうな人間に、書いた文字でどの言語が理解出来るか試すのはとても骨が折れそうだった。
どうしたものかとダニエルと隊長が顔を見合わせていると、アディは迷う様子を見せてから、少女に近付いていく。
黒板に何かを書いて、近づくアディを警戒している少女に見せた。
すると、少女は食い入るように黒板を見て、アディを見上げた。
「****、****…?」
少女が発した言葉に、アディは頷く。
今度は少女はしくしくと泣いて、アディに縋りついた。
「これは…通じたのか?」
隊長が呟きを零し、部屋の中の全員がアディと少女を息を飲んで見つめる。
しばらく少女が泣いて、落ち着くのを待ってからアディはまた何かを書いて少女に見せる。それを読んだ少女が何かを答える。
そうしてしばらく二人で会話してから、アディは何かを書いて王太子に見せた。
「帰りたい?王太子妃として召喚したとは伝えたのか?」
アディは頷いた後、また何かを書いて見せる。
「迷惑で…ただの誘拐、か。」
王太子は呟き、苦笑した。
アディがまた黒板に書いた言葉に、王太子が首を振る。
「召喚は欲しいものを引き寄せる事しか出来ない。だから、すぐには無理だ。」
王太子の返事に、アディは悲しそうに俯いた。
そして、唇を噛みながら何かを書いて、今度は少女に見せる。
すると、少女は怒りの形相で王太子に近寄ると王太子の頬を叩こうと手を振り上げて、側近に腕を掴まれ止められた。
「*****!************、******!!」
何かを叫んでから、また大声で泣き始める。
アディが近寄って背中を撫でると、少女はアディに縋り付いて泣いた。
「アディとやら、彼女の名前は分かるか?」
アディは、少女に縋り付かれた状態の為に文字が書けず、困って眉を下げる。
「あぁ、そうか、すまない。……彼女が落ち着いたら、伝えてもらえないだろうか?どうしても王太子妃になりたくないと言うのであれば、国まで送ってやる事は出来る。だからそう悲観するなと。」
アディは、首を横に振った。
「?…何が言いたい?」
眉間に皺を寄せる王太子に、アディは黒板に視線をやってから、また眉を下げる。
そして泣いている少女の肩を叩き、少女に身振りで黒板を示して、文字が書けるように体を離してもらった。
「違う世界、だと?」
黒板を驚いた表情で見つめる王太子にアディは頷く。
「だから、普通には帰れない………しかし、お前は何故彼女の言葉が分かる?お前もそこを知っているのではないか?」
アディはまた少し、眉を下げた。
悩むように黒板の上で白墨を彷徨わせてから、文字をまた書いた。
「知っているが行き方は知らないとは、どういうことだ?」
王太子の質問にアディはまた困ったように眉を下げている。
「まぁ良い。召喚した魔術師共に調べさせてみよう。……お前は、しばらく彼女の側にいて通訳をしてくれないだろうか?」
王太子の言葉にアディは激しく首を横に振って、黒板に走り書きする。そして、ダニエルに走り寄って抱き付いてから、書いた物を王太子に見せた。
それを見せられた王太子と側近がぽかんとした顔をするので、ダニエルはアディの手から黒板を奪って読む。
『私はカーライル副隊長の物です。彼と離れるなんて有り得ない!』
「あ、アディ、殿下にそんなわがままは…」
ダニエルの唇を指で抑えて言葉を止めてから、アディは黒板に白墨を走らせる。
『ダンは、私が離れちゃっても良いの?もしナナが帰れなかったりしたら、ずっと離れ離れかもしれないんだよ?』
「い、いや…俺も、お前がいてくれないと困るし…その、寂しいが……」
『なら、私の雇い主はダンだもの。王子様に命令されるなんてごめんよ!』
アディが書いた文字をダニエルは慌てて消した。
それを見て、アディは頬を膨らませて不満を示している。
「まぁ、夫婦喧嘩はそのくらいにしろ。」
隊長の言葉を聞いても、アディは膨れた顔でダニエルに抱き付き、梃子でも動かないぞという意思表示をしている。
「殿下、アディはこの調子ですし、カーライルをそちらの彼女の護衛に貸し出すという事で手を打っては頂けないでしょうか?」
「あぁ、それで構わない。」
「有難う御座います。ではカーライル副隊長、今後しばらく、彼女の護衛につけ。アディもそれならば良いだろう?」
アディは、隊長の提案に満足そうに頷く。
ダニエルは苦笑して、アディの頭を乱暴に撫でた。