第65話 終わり逝く世界 ルシェ・ファルマー
広大な神殿を思わせる通路。
あちこちが”無”に侵食され、不気味な雰囲気を醸し出している。
この空間に降り注いだ数十に及ぶ巨大な氷柱。
それは氷の檻となり、ディザスターを閉じ込めた。
「再び、顔を合わせるとはな」
「……アクエリアス」
リシュに語りかけてきたのは、黒い髪に黒い瞳。青い衣を纏った聖霊。
もう会うことはないと思っていた彼女は、リシュの前に再びその姿を見せていた。
だが、前回あった時とは明らかに彼女は弱り切っている。その体は、いつ消えてもおかしくないほど透けており、消耗しきっているのが分かった。
透けた彼女の遥か後方に見える、氷漬けにされたディザスターと黒いモンスターたち。
それらを包み込む氷は、聖霊であるアクエリアスによる封印であるため、簡単に溶けることはないハズだ。
しかし、無が封印を徐々に侵食しつつあるのが見えており、封印が破られるのも時間の問題であることが分かる。
「リシュよ、あやつらの封印は長く持たないことは分かっておるな」
「はい」
「我が管理する世界は、すでに無に飲み込まれて死んだ。今の我は、お前が導いた者たちが生きているために、わずかな時間だけ姿を見せることができた。しかし管理すべき世界が消えた以上は、我が消えるのも遠くはない」
目の前に自らの終わりが迫っているにもかかわらず、アクエリアスの顔も言葉も穏やかさに満ちている。だが、瞳には力強さも感じられる。
神聖さ──いや、そんなあやふやな物ではない。彼女から感じるのは、覚悟を持った人間が持つ、未来を見据えた者の強さだ。
「リシュよ……我が再びお前の前に現れた理由を述べる。我が消える前に、我を殺し、我の力を取り込め」
『アクエリアス』
「ヴァルゴよ、お前は分かっているハズだ。リシュの力であれば、聖霊の力を己の内に取り込めることを。そのことにより、”彼の存在”に辿り着くことができることも」
リシュの代わりに、アクエリアスへと語りかけたヴァルゴ。
だが、アクエリアスの言葉にヴァルゴは何も語ることはなくなった。
「リシュの能力は、ダンジョン・コアの情報を己のコアへと映しとることで拡張される。故にモンスターの情報を得れば、新たなモンスターを作る力が得られる。ならば、聖霊の情報もまたリシュのコアは得られるハズだ」
アクエリアスは、さらに話を続ける。
その言葉からは、ヴァルゴを諭そうとする意思を感じられる。
「ヴァルゴよ、分かっているのだろう? 無に飲み込まれた、我が世界とお前が管理する世界がダンジョンによって繋がった意味を」
『…………』
「ヴァルゴよ、覚悟を決めよ。我の世界は死んだ。だが、お前の世界は”彼の存在”がいれば、助かる見込みがある」
『……ええ』
アクエリアスは己の死を、リシュの糧にする覚悟を決めていた。
ヴァルゴもまた、ある覚悟を決めた。その覚悟とは、聖霊が彼の存在と呼ぶ者へとリシュを導く覚悟。
『リシュ、お願いします』
世界が”無”に飲まれずとも、世界を終わらせることが可能な、彼の存在が持つ力。
果たしてリシュに与えるのが適切なのだろうか? 想い、悩み、考え、ヴァルゴは覚悟している。
リシュを信じるのではなく、力を得たリシュの導く結果を最後まで見届けるという覚悟を。
「アクエリアス。あなたの想いを僕は無駄にはしません」
「頼んだぞ……リシュ」
アクエリアスが見せた笑み。それが合図となった。
「リビングアーマー………………アクエリアスを殺せ!」
リシュを守るように囲んでいるリビングアーマー。
その1体が、アクエリアスの下へと歩き始めた。
1歩、また1歩と進み、アクエリアスの前へと立つ。
そして──剣を胸へと突き立てた。
深々と突き刺さった剣。そこに赤い血が伝わることなく、アクエリアスも顔を痛みに歪めることはなく、死とは程遠い光景のように見える。
しかし、消えかけていた彼女の体が、黄金の光となって徐々に消えていく姿を見て、ようやくリシュはアクエリアスの死を実感した。
消える間際に彼女は笑った気がした。
助けた村人のことを想ったのだろうか? 己の力をリシュに委ねられたことに満足したからだろうか? 守るべき世界を守れなかったことへの自責の念から解放されることに対してだろうか?
彼女が消えていく瞬間に見せた笑顔の理由は、彼女自身にしか分からない。
だが、自分の内に残った想いは分かる。
リシュは、アクエリアスが消えた場所を見ると、氷の封印が目に入った。
先ほどよりも無による浸食が進んだ、ディザスターを包む封印。
強い意思を持って、それを睨むとリシュは目を閉じる。
アクエリアスを殺した瞬間に、これから必要とする情報は、リシュの頭に全てが書き込まれた。
難しい能力のコントロールも必要ではあるが、普段からリシュの能力を制御しているヴァルゴの手を借りれば、十分に可能だろう。
(今さら、怯える必要もないか)
ディザスターを倒さなければ、ダンジョンから脱出することはできない。
そのように考え、道は1つしかないことを再確認すると、笑みを浮かべて目を開く。
ダンジョン殺しの能力を終了させると、呼び出していたモンスターが、全て光となって消えた。
すでに先ほどまでの緊張感は、リシュの瞳から消えている。
行うべきことは、もう分かっている。だから、迷う必要もなければ、不必要に力む必要もない。
だから、ごく自然な動作で彼は動き始めた。
まずは、左手のヴァルゴの指輪を口元に近付け──
「始めよう」
『はい』
リシュは、己の頭に刻まれた言葉を紡ぐ。
同時に周囲の空気が僅かに震え始めた。
「始まりを1とし、終わりを12とする、魔王と聖霊の時紡ぐ運命」
紡ぎあげられる言葉の一つ一つは、強い力を持って。
強い力を持つ言葉は、空気に含まれる魔力が青白く発光させて、神秘的な光景を作り出す。
「我は始まりの前である0、終わりの後である13を司りし者。真なる姿で今こそ顕現せん」
リシュが紡ぐ言葉は神言。
力なき人が語ればただの言葉。だが、資格を有する者が語れば、奇跡を起こす言葉となる。
「我が名はルシェ・ファルマー、始まりと終わりを超えし者なり」
神言の終わりに紡がれた、リシュの真名。
このとき、ルシェ・ファルマーの名は、神言の力を受け止め強大な力を得た。
真名が力を得たことで、周囲の魔力はいっそう激しく光を発する。
光の中で、ヴァルゴは聖と魔の力を1つにした。
アクエリアスより得た聖霊の力と、ダンジョン・マスターとして有していた魔の力を──。
光の中で神言の力を得た真名は、主の存在を変化させていく。
すでに、神言の力を受け止めたリシュの真名は、世界において特別な意味を持つ言葉となっている。
だからこそ、真名の主であるリシュ・フェルサーを、ルシェ・ファルマーの名にふさわしい物へと名が主の存在を変化せる。
眩い光の中で、存在そのものが再構築されていく。
聖と魔を融合させた聖魔の力を持ち、強大な力を有する真名の主に相応しき存在へと──。
そして聖魔を併せ持つ、彼の存在が生まれた。
リシュ・フェルサーという存在を、ルシェ・ファルマーへと変換させた力は、役目を終えた。
行き場を失った力はエネルギーとなり、周囲へと広がる。
爆発したかのように広がる強大なエネルギー。
そして辺りを包み込むそのエネルギーは、全てを飲み込んだ。
*
光は治まったはずだった。
しかし、美しさを感じられる者がいたのなら、その存在に光を感じたことだろう。
年の頃は、20齢に届かない。
月光を束ねたかのような銀色の髪に、狂気と静寂を併せ持つかのような闇を思わせる漆黒の瞳。冷たくも生命を感じさせる白い肌。
この世の美しさを全て知る物であっても、思い至ることのない美しさ。
いかなる賛美の言葉も、決して言い表せない美しさ。
人智を超えた美しさがそこにはある。
その美しき者は、右手に白い杖を、体には黒い衣を纏っていた。
しばらく経つと、眩しい光を見るかのように、切れ長の目を細めながら周囲を見回し始めた。
辺りを見回したあと、自分の足元を見て、次に 左手の平を見る。
変化した自分の体に感じる違和感を払しょくするために──。
だが、その行為は違和感をぬぐえぬまま、甲高い音と共に終わりを迎える。
周囲に響いた音。それは封印が砕かれた音。
ついにディザスターが自由に動き始めたのだ。
「……来い」
騎士鎧を着た男のような姿をしたディザスターは、再びモンスターを呼び出した。
先ほどだけでも100は超えていた黒いモンスター。
能力を使い慣れたのだろうか。
”無”より生じたモンスターは、500を超えていた。
先ほどまでの戦いを思い返せば、絶望的な状況。
だが、彼の者は手にした杖を相手に向けて、一言を口にするだけだった。
「ダンジョン・キル」




