第60話 命を失いし迷宮
ダンジョンは、壁自体が光を発していることが多い。
このため灯りを必要とすることは少ないのだが、この場所は違っていた。
岩を削って作ったかのような壁には、ところどころ虫食いのような穴があいている。
その穴が原因なのであろうか? 壁が放つ灯りは通常のダンジョンよりも儚く弱々しい。
「ひどくなってきましたね」
「そうだね」
ダンジョンの虫食い穴──”無”は、奥へと行くにつれて酷くなっていく。
空気も心なしか冷たいものになっているように感じられる。
「ティア、大丈夫?」
「大丈夫」
感知能力が高い妖精。
ダンジョン・マスターとはいえ、一応は人間であるリシュ。
ティアが感知能力の高さ故に、このダンジョンが放つ異様さに当てられていないかが気になった。
弱々しい声での返事だ。
小さな体は、わずかにだが震えているように感じた。
しかし彼女は、仲間を探そうと覚悟を持ってリシュと行動を共にしている。
これ以上の心配は、その覚悟を侮辱する行為になるように感じて、それ以上の言葉を紡ぐことはなかった。
*
ここまで来るのに、モンスター1匹たりとも出会うことはなかった
そのせいで、警戒心が空回りしているのだろうか?
空気がいっそう冷たくなったように感じる。
「やっぱり、何も出ないね」
「うん……」
この虫穴だらけのダンジョンに入ってから、モンスターが全く出ない。
そのことが、どうしようもなく不気味に感じられる。
「どうしました?」
「……いや、なんでもないよ」
サクヤとティアも、モンスターが全く出ない現状に不気味さを感じているはずだ。
しかしリシュは、彼女たちよりも一層深い不気味さを感じていた。
「死んだダンジョンか……」
「なにか?」
「独り言だよ」
思わず口から零れた言葉。
それは拾ったサクヤにリシュは、笑みを返す。
(本当に死んでいるみたいだ)
ダンジョン・コアが破壊されれば、ダンジョンは消滅する。
しかし、このダンジョンは別の形で死んでいるように感じられる。
侵入者を葬るはずのモンスターはおらず、奥へと進む者の足を止めるトラップもない。
まるで生きる意思を失ったかのようだと、リシュは感じていた。
*
更に奥へと進んだ。
これまでダンジョンのあちこちに開いていた虫食いの穴は、一層大きな物になっている。中には通路を完全に喰い尽す程の物すらあった。
そのため、道を何度も戻りながら、別の道を進むハメになり、思いのほか時間を浪費している。
「大分、奥に来たね」
「ええ、少し疲れましたね」
周囲を見回すも、全くモンスターが見当たらない。
そのため、サクヤとティアは油断をしているようだ。
「…………」
注意しようとしたが、やめることにした。
リシュ自身も、無に喰われたダンジョンの光景を見て疲れている。
油断という形でも、心が休まるのならそれで良いと感じた。
その分、自分が今は警戒すれば良いと考えたのだが──
「……すごいね」
「なにがでしょうか?」
虫食い穴でダンジョンがボロボロになっているこの場所。
そんな異常な環境で油断することができる2人。
彼女たちの図太さに、本音がわずかだが漏れてしまった。
それから更に奥へと3人は進むと、リシュはダンジョン・コアの存在を感じ取る。
「! もう少しでゴールみたいだよ」
リシュの言葉で、サクヤとティアは前を見る。
そこには──
「あれは……」
「?」
「マスタールームを守っていた門だろうね」
目の前にあるのは、広大な部屋だった。
本来であれば、ダンジョン・マスターとの戦闘が待っていたであろう部屋。
しかし今は、激しく侵食された部屋の光景と、壊れかけた金属製のドアが広がっているだけだった。
「寂しいものだね」
「ええ」
これまでダンジョン殺しを行いながら、リシュたちは多くのダンジョン・マスターを葬ってきた。
ダンジョン・マスターとの戦いは、いずれも激しいものだった。
彼らとの戦いを思い返すと、この静寂が感じさせる寂しさをいっそう強く感じさせる。
「行こうか」
「ええ」
原型をわずかに留めるだけの扉。それをくぐり、更に先へと進む。
*
「コアは機能の大半を失っていた。そして……」
最深部へとたどり着いたリシュは、すでにダンジョンの支配権を奪っている。
しかし、その瞳は普段の穏やかな物へはまだ還っていない。
「存在しないハズの通路か」
コアの前に立つ彼は、更に奥へとつながる通路の先にその眼を向けた。
「これは一体」
「……やっぱり、普通のダンジョンではなかったみたいだね」
更に奥まで伸びる通路へ向けるリシュの瞳には、強い輝きが宿っている。
その瞳が見ているのは決して希望ではない。
彼が見ているのは、これから自らを襲うであろう未知という名の脅威だった。




