第36話 出港初日の昼下がり
リシュ達が乗った船は港を離れ、次の目的地へと向かっている。
この船旅の最終目的地は、ヴァートゥハイル大陸のオシサルという街ではあるが、途中で2回の停泊をしての移動となる。
ティアは、出港からずっと続く海と空しかない風景に飽きたらしく、姿を消してすでに眠っている。
リシュもまた、昨晩の疲れが出てしまい椅子で眠っていた。
一等客室にはベッドも備えつけられている。
だが出港の時に訪れた眠気は不意の物であったため、ベッドに向かうことなく椅子に座ったままで眠りに入ってしまった。
もちろんサクヤは、そんなリシュの寝顔を凝視している。
この世界にはカメラがない。
だからリシュの寝顔を脳に焼き付けようとサクヤは必至だ。
彼女の記憶力が、リシュと出会ってから飛躍的に上がったという事実は、リシュやティアはともかく、本人すら気付いていない事実である。
「う……ん」
リシュが目を覚ましたことに気付き、サクヤは丸窓へと目を向けた。
そして何食わぬ顔で──。
「おはようございます」
これは、それまで外の風景を見ていて、今しがたリシュが目を覚ましたことに気付いたという演技だ。
「おはよう」
眠そうな目のまま笑顔での『おはよう』
サクヤを悶えさせるには十分な威力を持っていた。
だが、サクヤは内心を一切悟られない完ぺきな笑顔を作って応える。
「椅子で眠ると肩が凝って辛いですよ」
最近は、年上のお姉さん的なポジションを獲得しつつあるサクヤ。
リシュとの生活で、内心を隠す術が驚異的なスピードで成長している彼女にとって、そのポジションを維持することは造作もないことだ。
「そうだね」
眠気も覚めてきたのかリシュの目は、既にしっかりと開かれている。
椅子に座ったまま眠ったせいで筋肉が委縮していたのかもしれない。
リシュは伸びをしている。
もちろん、その姿を脳に刻み込むことをサクヤは忘れていない。
「少し甲板で風に当たってくるよ」
「でしたら私も」
そう言って2人が立ちあがろうとしたとき船が揺れた。
「とっ」
よろけるリシュを支えようとサクヤが、その小さな体を受け止める。
この時は、さすがに邪な想いを抱いていたわけではない。
無意識下の思考までは保障できないが──。
サクヤはリシュを強く抱きしめていた。
お互いの頬が当たっており、思わず頬ずりをしたくなるもなんとか欲求を抑えることに成功する。
「ありがとう」
「いえ」
少し?
──かなり?
────いや、物凄く名残惜しかったがサクヤはリシュから離れた。
だが、サクヤが忘れることはないだろう。
リシュを抱きしめた感触と彼の髪の香りを。




